今日も暫く、観れそうにないニュースが流れてました。


 ニュースってのが嫌いだ。


 テレビってのが嫌いだ。


 どうにもあいつらを観ていると、どっと疲れて嫌んなっちまう。


 誰かが誰かを殺しただ、どっかの国が、また何かをやっただだ。


 感受性が強いらしい私には、どうにも胸が刺されるような気になってしまうのだ。勝手にそれまでの人生と結び付けて、すぐに考え込んでしまう。


 まだ若い、所か、まだ子供だったってのに、もう亡くなってしまったのか。何で殺されなきゃならなかったのか。何でこういつもいつも、弱い立場の人に限って、そんな目に遭うような仕組みになってんだろうなァこの世とはと、朝からもうどんよりと、日が沈む直前のようなおもたーい気分になって、飯を食う箸も止まっちまう。


 まァ、いいかたまにはと、そのまま食わずに飛び出しちまう事もある。人生ってのは兎角忙しない。事あるごとに待ってくれないし、それは急かしてくるものだ。


 朝目覚めてチャンネルを回せば、当たり前のように不祥事や殺人事件が日々流れるこのご時世に、何を感傷的な事をいつまでも思っているのかとは、ほとほと思うというか、困ってしまうが。


 大抵の人は、それをおかずに、飯を食う。


 その惨たらしい情報を見聞きしながら、父はトーストを齧っているし、弟達は眠そうに仕度をしていくし、母はご飯を食べて、洗濯物を干す。


 私はちょっと、耐えられない。


 いちいちテレビを消せなんて言わないし、チャンネルを変えろとも言わないけれど、ああ、朝からあれらを見て憂鬱になっているのは少なくとも、この家では私だけなんだなと思いながら、今日もぼんやりと飯を食っていた。


 朝飯が美味いと思った事は多分、生まれてこの方、一度も無い。


 いつもぶすっとしている。


 いつもどこか、悲しい気分になっている。


 そうだ、テレビを観なくなっていったのは、単に興味関心が移り変わっていったからではなく、こうした気分にわざわざ、浸りたくないと思うようになったからだ。


 天気予報だけを観て、ぱっと消す。


 他のものは、なるべく見たくない。


 無知より恐ろしいものは無いとも、確かに知っているけれど。


 君が自ら死を選んだ時とは、どんな気分だったのだろう。


 そうしたニュースに触れる度、そんな事ばかり思ってしまう。


 何にも悪くないのに頭のいかれた野郎の所為で、人生を終わらせられそうになったあいつは、こういうニュースを観る度に、どんな気分になっているんだろうとか。


 君は気にし過ぎだ。


 よく言われる。


 なら言ってやるが、私に言わせればお前達とは、目も当てられない程に鈍感だ。


 ぞっとする程に気が利かない。

 目を疑う程に痛みに鈍い。

 血も涙も無いんじゃないかってぐらい、そりゃあ人には冷たいさ。

 何が一番恐ろしいって、私が優れているだけで自分達は平均だと思い込んでいる、その薄情なんて言葉じゃあ足りない、鉄のような無関心。


 この鈍間のろま共め。


 私は繊細に生まれてよかったと、お前達を見る度に安心するのだ。


 今日も他人の死で、飯がまずく思える。

 今日も誰かが殺されて、憂鬱になれる。


 幸せだなんて言わないさ。


 私は自分が優しいなんて、本気で思った事が無い。


 お前達が、冷たいだけだ。


 ただ今日も視野の狭い、鈍感なお前達が見逃してしまっている誰かに気付ける事を、私はどうしようも無く、誇りに思う。


 ガキの頃からこうだったのだ。


 誰に言われようと、このまま死ぬ覚悟を曲げるつもりは無い。


 その、神経質だって言われるぐらいに細やかな感覚が無けりゃあ救えなかった奴が、確かにいた事を知ってるんでね。


 大層に生きてやるさ。



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