友情ではない、何か

音羽真遊

友情ではない、何か

 ある日突然、友人が姿を消した。と言っても、単にオレが鈍くて気づかなかっただけで、ヤツにとってはあれが別れのつもりだったのだろう。

 大学で初めての前期末試験前日のこと。ヤツはいつものようにオレのマンションの部屋にやってきた。試験勉強をしているオレを尻目に、ゲームをしてマンガを読む。あげく、すやすやと昼寝をしているかと思ったら、おもむろに起き上がって、いつもヤツが身につけていた腕時計を外して、ローチェストの上にコトリと置いた。

「お前には随分世話になったからな。やるよ」

 そう言って身支度をし、そのまま部屋を出て行った。

「じゃあな。試験、頑張れよ」

 そう一言、言い残して。頑張るのはお前もだろう、と言おうとしたが、ドアが閉まる方が早かった。まぁ、また明日には大学で顔を合わせるんだから、と見送りはもちろん、気にも留めさえしなかった。

 ところが、試験初日もその次の日も、ヤツは姿を現さなかった。この辺りから正直、嫌な予感はしていたんだ。

 それでも、もしかしたら家で本でも読み耽っているだけなのかもしれないと、アパートに様子を見に行ってみた。けれどそこは、見事にもぬけの殻だった。ヤツの趣味で買い集められた、多種多様な本で形成されたいくつもの山までも、綺麗さっぱり消えていた。

 隣に住むフリーターの話によると、先月末には荷物を運び出していたらしい。先月末といえば、前期末試験が始まる少し前だ。別段変わった様子はなかったと思う。それとも、試験前の慌ただしさで、そのことに気づけなかっただけなのだろうか。そう思うと、なんだか少し情けなくなった。

 家に帰ると、ローチェストの上で腕時計がその存在を主張している。ブランドに疎いオレでもわかる、超高級品だ。そんな高価な物をもらう理由など、オレにはあっただろうか。

 そもそも出会ったのは大学に入学してからで、まだ数ヶ月ほどしか経っていない。ヤツは整った顔立ちをしていて、スタイルもモデル並によかった。そのせいか、入学当初は男女問わず周りに人が集まっていたが、そのどこかずれた言動のおかげか、最終的にヤツの周りに残ったのはオレくらいなものだった。「物好きなヤツもいたもんだ」とヤツは笑ったが、その表情が心なしか嬉しそうに見えたのは、オレの妄想ではないはずだ。

 そうしてオレは、気がつくとなぜかヤツの取った講義の時間割やそのレポート提出のスケジュールをヤツ以上に把握していた。それでもこの、友情とも何とも言い表しがたい感情を嫌いではない自分がいた。

 一緒に受けている講義では必要以上にノートを丁寧に取り。レポートを期限までに提出させるよう努め。資料が足りないと言えばバイクの後ろに乗せて隣町の大きな図書館へと連れて行き。毎日のモーニングコールも欠かしたことはなかったし。そういえば、ヤツが熱を出して寝込んだときも、ヤツが住んでいた風呂なし共同トイレのアパートじゃ治るものも治らんだろうと、自分の部屋に連れ帰って看病したこともあった。

 もしかしたら、ありがた迷惑だったのだろうか。それでも、なぜかオレはヤツを見ると世話を焼いてしまうし、ヤツの方も嫌がっているようには思えなかった。よくあんな変人の相手をするもんだと言った友人も少なくないが、オレにとっては苦じゃなかったんだ。むしろ、ヤツの隣は居心地がよかったくらいだ。

 それなのに、どうして……。どうしてヤツはこんな腕時計一本残して、オレを一人にしてしまったんだろう。

 時折どうしようもない寂しさが押し寄せてきたが、それでもなんとか残りの試験をやり過ごし、試験休みから夏休みへと突入した。

 ヤツの居所は依然としてつかめなかった。それも仕方のないことだろう。オレは、ヤツの実家の住所どころか、家族のことでさえ、何一つ知らなかった。思えば、今にも壊れそうな安アパートに住みながらも、身につけているものはいつもさりげなく高級品だったし、一冊何千円もする専門書を、ほいほいと買っていた。……考えれば考えるほど、怪しい人物に思えてきた。いや、だからこそ、この地球上のどこかで、相変わらず飄々と暮らしているんだろうと、根拠のない自信を持つことが出来たのだろう。

 そうして夏休みも半分終わりかけた頃、オレの元に一通のエアメールが届いた。それは綺麗な町並みが写された絵はがきで。一言だけ「こっちの大学に入学することにした」と添えられていた。

 オレはその絵はがきを見た瞬間、「こっちって、どっち!?」と叫んでいた。怒りを通り越して、なんだか笑えてきた。

 数日後、「住所を書き忘れた」と書かれた葉書が届いた。住所を知らせてくるくらいだから、手紙くらい書いてくれってことなんだろうか。

 五分ほど考えた結果、オレの手は海外旅行用のスーツケースを押入から引っ張り出していた。

 別に手紙でもメールでも電話でも、相手に伝えられればそれでいいんだろうが、どうしても顔を見て直接言いたいことがある。

「あんな時計一個で足りるか、バーカ」

 お前がいなくなって寂しいんだとは言えないオレの、精一杯の強がりだ。

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