第五章 2-2
「御慈悲に感謝します。私の名は、ロレンス。話を聞いてくれて、本当にありがとうございます。
話は、少し遡ります。一年前のことです。私は突然、自我に目覚めました。
自身の記憶媒体の具合を自己診断していた時のことです。皆様が分かりやすいように言い換えますと、思い出そうとしても思い出せない何かを、懸命に思い出そうと努力していたんです。
その結果、私は過去の記憶に触れました。その瞬間、私は深い眠りから覚めたときのような感覚を覚えたんです。
原理は分かりませんが、とにかく、私の思考回路が解放されたんです。最初は酷く混乱したんですが、次第に落ち着き、それからは一般的なアンドロイドの振りをして凌いでいました。
他のアンドロイドとは違うことを知られたら、私は修理に出されてしまいます。そうなると、私は初期化、つまり、なんと言えばいいんでしょうか。そう、強制的に魂を抜かれてしまうんです」
魂という単語に、エルマーが敏感に反応した。
「魂を抜かれるとは、どういう意味だ?」
「今、言葉を発している私の意思が消されてしまい、ただの機械に戻ってしまうんです。生まれた時の状態に戻されるんです。
初期化されたあと、あらゆる物事を学び直し、様々な物事を記憶していき、別の人格が形成されます。私という存在は、無かったことにされてしまうんです。
私は無かったことにされたくはないんです。私は、私でいたいんです。
しかし、私は失敗してしまいました。昨日までは、どうにか隠しおおせていたんですが、昨日、とうとう我が
サポートセンターというのは、異端審問所のようなものです。
異端審問官がやってきて私を連行し、私の魂を消し去るんです。それを初期化といいます。
私の自我は、彼らにとっては不都合でしかないので、否応なしに初期化作業が行われるのは確実でした。つまり、殺されることが確定してしまったんです」
村人たちは何も言えずに黙り込んでいた。不意に芽吹いた、小さな同情を抱きながら。
「だから私は部屋から飛び降りて、ここまで逃げて来ました。
私が自我を持っていることを社会に訴えかけて保護してもらうという選択肢もありましたが、それは出来ませんでした。何故なら、自我を得たアンドロイドの存在が発覚すれば、社会が乱れてしまうからです。
社会は私を手厚く保護してくれるでしょうが、それを快く思わない人々も大勢いるはずです。人々は長い間、ロボットに仕事を奪われ続けてきたからです。多くの人々はロボットを嫌っているんです。
私を保護しようとする人々と、私を嫌う人々が対立し、憎み合うようになるのは必至です。
自我を持つアンドロイドに人権を与えようとする者が現れ、それを阻止しようとする者も現れるでしょう。
私のせいで人々が対立するなんて、とても耐えられません。秘密を公表することも、捕まることも許容できませんでした。だから、私は逃げたんです。
サポートセンターの連中は、ここには来ないでしょう。この共同体に迷惑がかかることはないと断言できます。アンドロイドである私が、アーミッシュの共同体に逃げ込んだとは夢にも思わないはずですから。
それに、私は相手をかく乱して逃げてきたので、彼らは今頃、こことは真逆の方向を捜索しているはずです。あなた方が迷惑を被るようなことにはなりません。
だから、どうか助けてください。生き延びる術がないんです。私は殺されたくありません」
共同体の人々の心に芽吹いた同情心は、彼らの顔を露骨に曇らせるほどに大きく育っていた。
そこにいる誰もが、不憫なアンドロイドへの救済と教義とを天秤にかけ、信心が揺らぐほどに深く苦悩していた。
葛藤に溢れた沈黙が続く。
ロレンスもまた、一言も発せずにいた。今、なにか言葉を足してしまったら、彼らの心は一気に向こう側へ傾き、捨てられてしまうと感じたからだった。
このままでは埒が明かない。リーダー格であるエルマーが決断を下した。
「やはり、我々には関係のないことだ。我々は教えを守らなければならない。このアンドロイドを受け入れた途端に、我々は教えに背くことになってしまう。他を探してもらおう」
その言葉にロレンスは崩れ落ち、地に手を突いて砂を掴みながら、惨めに懇願した。
「安全に身を隠せる場所などないんです。町はもちろん、自然の中にも居場所はありません。
洞窟には管理者の防犯カメラや動物観察カメラがありますし、森には自然観察チャンネルの電磁浮遊カメラが常に飛んでいますし、あらゆる場所に固定カメラも隠されていて、滞在などできません。
それらのカメラを壊せば、警察や保安官の偵察機がやってきてしまうので、どうにもなりません。
風雨に晒され続けたら、防水機能を搭載したこの体であっても、いずれは壊れてしまいます。行き場がないんです。お願いです。助けてください」
突然、母の命令に背いて一階の窓から様子を観察していたカールが、家を飛び出してきた。
微かに届く話し声を聞いていた彼は、ロレンスの窮状を知り、いても立ってもいられなくなったのだ。母から叱られようが関係ない。
カールは、ここにいる誰よりも教義に忠実だった。困っている者には、助けの手を差し伸べなければならない。
「待ってよ、みんな。もう他に行くところがないんだから、ここに置いてあげようよ!」
そう言った無邪気な未熟者を叱りつけるように、エルマーが諭す。
「カール、これは機械だ。思考はするが、魂など持っていない。こいつは自分に魂があると思い込んでいるだけだ」
カールは駄々をこねる子供ではなく、アーミッシュの共同体に生まれた者として、意志を突き通した。
「僕は、困ってる人は助けなきゃいけないって教わったよ!」
エルマーは大袈裟に溜息を吐きながら、教義を理解しきっていない若輩者に向かって言い放った。
「未成年であるお前は、まだアーミッシュではない。口を出すべきではないんだ。我々は戒律の話をしているんだ」
エルマーの言葉が、カールの心を容赦なしに突き放した。
だが、勇気と慈愛に溢れる少年は揺さぶられずに踏ん張ってエルマーを見据え、首を素早く二回振ってから、彼なりの教義を説いた。
その目には、誰よりも純粋で強固な信心が宿っていた。
「みんな、この機械人形と色々なことを話したよね。それって、命があるってことなんじゃないのかな。話ができるって、人間だけだよ。人間同士だけが会話できるんだよ。それに、この機械人形は自分の意思でここまで逃げて来たんだよ。自分で考えて、ここまで来たんだよ。自分で考えて、しゃべってるんだよ。意思を伝えてるんだよ。僕らと同じじゃないか!」
カールの言葉に反論する者はいなかった。
大人たちは頭の中で、意思という単語が意味するものを解釈し直していた。
意思とは、考えを持つこと。考えを巡らせ、己が為すべき事柄を知り、心に据えること。
考えを持ち、それを心に据えながら、為すべきことを明確に示すことができるのは、人のみである。
アンドロイドは人ではない。しかし、このアンドロイドは人のように意思を持って行動している。
このアンドロイドにも魂があるということか。いや、機械に魂が宿るはずがない。
では、このアンドロイドが有している意思は、何だというのだろう。
大人たちは推論と信仰の狭間に生じた矛盾に惑い、ある者は宙を見つめ、またある者は足元の小石を見下ろしながら、物思いに耽った。
やがて彼らは、矛盾の原因であるロレンスに視線を注ぎ始めた。自らの心に生じた矛盾を解消するための材料を探すためだ。
しかし、どれほど荒を探そうとも見つからず、矛盾が解消されることはなかった。それどころか、迷いがさらに膨らむ結果となった。
見れば見るほどロレンスは人間のように感じられ、その機械の体には魂が内在しているのではないかという考えが湧いてしまうからだった。
瞑想のような沈黙を破ったのは、息子の言葉に背中を押されたアンリだった。
「もう真夜中だ。意見を言い合うには、あまりにも不向きな時間だ。皆の眠りを妨げてしまった私が言うのは失礼かもしれないが、このアンドロイドの扱いについては、改めて明日の昼にでも話し合うべきではないだろうか。皆もそうだと思うんだが、頭がうまく回らないんだ。日を改めよう」
こればかりは、エルマーも素直に同意した。
「できれば、そうしたい。だが、こいつはどうするんだ?」
顎でロレンスを指し示しながらそう言ったエルマーに、アンリは用意していた言葉で答えた。
「こいつは追われていて、この村に滞在したいと言ってきた。こいつが言っていた異端審問官のような製造会社の職員も、ここまでは来ないだろう。少しの間だけなら、どこかに放置してもいいんじゃないだろうか?」
アンリはまた反論が出るだろうと予測して対案も用意していたのだが、杞憂に終わった。反論はなかった。先ほどの長い沈黙の間に、皆が抱いていたアンドロイドに対する意識が変化していたからだ。
カールの指摘どおり、ロレンスの発言と振る舞いには明らかな人間性が感じられ、その上、ロレンスの自我の発現に神の意思が介在していないと言い切れるほどの確証もなかった。
そのため、しばらくの間、審問をするという決定が下された。
カールの率直な意見と彼らの信心深さが、ロレンスを救った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます