第五章 3
ロレンスは畜舎のすぐ傍にある干草小屋に入るよう命じられ、言うとおりにして中に入り、ブロック状に纏められた干草の上に座り込んだ。
アンリの家の地下室に置いておこうという意見も出たのだが、生活圏の中に機械を置くということにアンリは拒否反応を示して反対し、それは受理された。
その後の話し合いの結果、居住区から離れた場所にある干草小屋に待機させるという結論に達したのだった。
閉じ込めるべきだという意見は出なかった。
住人たちは罪を犯していない者を拘禁することに拒否反応を示し、それに加えて、ロレンスが終始無抵抗であったことを忘れていなかったので、抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる干草小屋に待機するように命じたのだった。
どこかに去ってくれれば御の字だという理由もあったのだが、行き場のないロレンスは逃げ出すことなく、そのまま待機し続けた。
ロレンスは滞在を許してくれた住民たちの思いに感じ入りながら、朝が来るのを大人しく待った。
メーカーサポートスタッフや警察官の来襲に備えて、休止状態に移行するのは控えておいた。安息は、まだ訪れない。
翌日。午前十時。
ロレンスの窮状とは対照的に、夏の空は綺麗に晴れ渡っていた。
ロレンスが干草ブロックの山のそばに座り込んで、遠くの空を眺めながら沙汰を待っていると、彼の聴覚センサーが小走りの足音を捉えた。
歩幅は短い。体重は軽い。やや不安定な走行。これは子供だ。
子供の足音は遠回りをして小屋の横を通り過ぎ、裏側に回ったところで止まった。
「やあ、気分はどう?」
小屋の壁越しに、足音の主が朗らかに言った。昨日、ロレンスに助け舟を出した、カールという名の少年の声紋だった。
「おや、カール君か。現状は最低だが、気分は最高だ。きみが助けてくれたからだよ」
ロレンスの小声は、干草小屋の通気性を保つために
家畜の世話をしている大人たちに聞かれてしまったら大変だ。そう気づいたカールは、ロレンスと同じように小声で言った。
「どういたしまして。あ、まだ名前を聞いてなかった。僕は、カール・フリック。あなたの名前は?」
「大人の方々には名乗ったんだが、きみは家の中にいたから聞こえなかったのかな?」
「うん。窓を開けて話を聞いてたんだけど、遠かったから」
「そうか。私の名はロレンスだ。名前というよりは、愛称といったほうが正しい。正式に命名されたわけじゃなく、お遊びで命名されたようなものなんだ。
少しの沈黙のあと、カールが疑問を口にした。
「その、最後に言った、長ったらしい名前みたいなものは、なに?」
「実在した悲劇の英雄のラストネームと、彼の階級だよ。私の
また沈黙が生じた。
先ほどと同じように、カールの頭には疑問符が生じているらしい。
「ねえ、かいきゅうというのは何なの?」
知らないのは当然だ。アーミッシュの子であるカールは、軍はもちろん、階級というものの存在すら知らない。
「階級というのは、何というんだろうね、集団の中での立場を表すものなんだ。ルーテナント・カーネルというのは、そこそこ大きな責任を伴う役職に就いている人という意味だ」
ロレンスは、軍についての解説はしないでおいた。平和主義を掲げ、それを実践してきた共同体に生まれ育った恩人には知ってほしくない事柄だからだ。
カールはまた少し考えてから発言した。
「責任がある役職っていうのは、大工仕事をする時に、みんなに指示を出すような人のことかな?」
「そう、だね。まさしく、そのような立場の人のことだよ」
「偉い人の名前を頂いたんだね。よかったね、ロレンス。ねえ、質問があるんだ。今、僕はヘレーネさんの授業の休み時間を使って、ここに来たんだ。大人に見つからないように隠れながらね。休み時間は短いから、急いで答えて。昨日の夜、僕は家の中にいたから、あなたの声がよく聞こえなかったんだ。だから、どうやってここまで逃げて来たのかを詳しく聞かせて?」
「私の逃避行に興味があるのか。きみの申し出は断れないな。喜んで話そう。私はマンハッタンを出て、森の中を夜通し歩いてきたんだ。逃げ出す直前に、どこか安全な場所はないだろうかと思って急いで調べていたところ、この共同体のことを知ったんだ。もしかしたら匿ってくれるんじゃないかと思ってね。私を救ってくれるのは、この村だけだと思う」
「そうなるといいね。きっと大丈夫だよ。僕が説得してみせる。ねえ、もっと質問してもいい?」
カールの声は弾んでいた。
ロレンスは音量が大きくなり過ぎないように気を払いながら、同じように声を弾ませて答えた。
「きみは命の恩人だからね。もちろんどうぞ。何でも聞いてくれ」
「ありがとう。じゃあ、早速質問するね。あなたはランタンを持ってなかったようだけど、どうして夜道を歩けたの?」
「私の目は、あらゆる電磁波を観測できるからだよ。明るくなくても見えるから、夜の間も休まずに歩けるんだ」
「でんじはをかんそく?」
「ああ、つまり、暗いところでも明るく見えるようになる機能を持ってるんだよ」
「夜でも見えるのかあ。仕組みはよくわかんないけど、すごいね」
ロレンスは、彼の無邪気な感想に顔を綻ばせながら言った。
「私は機械だからね」
「機械ってすごいね。暗闇でも見えるなんて、まるで猫やコヨーテみたいだ。そういえば、機械は覚えるのが得意だって聞いたことがあるんだけど、もしかして、教科書の中身も全部覚えられるの?」
「容易だ。私たち家庭用アンドロイドは、常に会話データを記録しているくらいだからね。今も、全ての会話を記録しているんだよ」
「いいなあ。賢いんだね。勉強しなくてもいいんだね」
ロレンスは干草に紛れて落ちている藁を拾い上げ、節をちぎり取り、空洞になっている茎を覗き込んで、遠くに見えるオークの木の青々とした葉を眺めながら言った。
「私たちは賢いわけではないよ。記憶力が良いだけで、賢いわけではないんだ。きみの方が賢いよ」
「そんなわけないよ。機械って、計算もすごく得意なんでしょ。どうして僕のほうが賢いだなんて言うの?」
「きみは、物事の本質を見抜く能力を有している。アーミッシュにとって、私は戒律に反する存在であるはずなのに、きみは私を否定しなかったどころか、私の自我に着目して、皆を説得してくれた。そして今、私は追い出されずに済んでいる。きみのおかげだ。きみの賢さが、人々の心を変えたんだ。そう簡単にできることじゃない」
「うーん。僕は教義を習ってはいるけど、細かいことは全然わからない。ただ、みんなが協力し合ってることはよく知ってる。なんでも手伝い合うんだよ。だから、僕もそうしただけ。きみが困ってたから助けただけ」
なんと優しい子だろう。ロレンスは微笑みながら、壁の向こうのカールに語りかけた。
「教義をよく把握していないからこそ、見えるものもあるんだね。なるほど。未成年であり、まだアーミッシュとなっていないきみが居てくれて、本当によかった」
「僕も、あなたに会えて良かったと思ってるよ。僕も今日の集まりに参加して、あなたがここに住めるように説得してみせるよ。昨日だってうまく出来たんだし、みんな言うこと聞いてくれると思う」
「ありがとう、カール」
「期待しててよ。じゃあ、もう休み時間が終わっちゃうから行くね。また今度」
「ああ、また今度」
カールはアーミッシュの子供の日常に戻り、ロレンスは再び孤独と緊張に沈んで、時が流れるのを待った。
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