第五章 4

 夏の太陽が隠れ、土や雑草が緩やかに冷めゆく夕方。


 日中の作業を終えた住民たちが、村の広場で会議を始めた。


 余暇をつぎ込んで行われる夕方の会議は、七日間に渡って開かれた。


 未成年であるカールには発言権がなかったのだが、彼は横から口を挟むという形で、無理やり参加した。大人たちは、それなりに的を射たカールの発言を邪険には扱えず、会議への介入を許してくれていた。




 七日目の会議のあと、ロレンスに沙汰が下った。


 共同体の人々はエルマーを先頭にして、ロレンスがいる干草小屋を訪問し、自我を持った機械を受容する旨を伝えた。


 アンリの家の地下に移動するように、との命令だった。


 それは、アンリによる管理の下、ロレンスを共同体に受け入れるということを意味していた。カールは、ロレンスとの約束を守ることに成功したのだった。


 共同体は、ロレンスには意思があり、命と魂を有する存在であると認めて滞在を許した。


 ただし、ある条件が付け加えられた。


 共同体の人々と同じように、戒律に従って行動してもらうという条件だった。そうすれば、たとえ体は機械であっても、戒律を破ることにはならないと解釈したのだ。


 その条件を履行するのは、実質的には人と変わらないロレンスにとっては、じつに容易なことだった。彼は一年もの間、機械の体に自我の血潮を通わせ続けているのだ。




 二つ返事で誓いを立てたロレンスはアンリの家に案内され、彼が所有する白いシャツを着せられ、ずり下がる紺色のパンツをサスペンダーで留められ、最後に薄汚れたハットを被せられた。


 それから、玉ねぎの匂いとカビの臭いが充満する地下室へと案内された。


 壁際の木棚には、酢や塩による防腐処理が施された野菜の瓶詰めや、見るからに粘度が高くて甘そうなジャムの瓶詰めが、所狭しと並んでいる。


 その中身は、キューカンバーやキャベツやトマト、苺や林檎やオレンジなど、多種多様で色鮮やかだ。


 天井際には明かり取りのガラス窓が並んでいるが、それでも地下室は薄暗く、湿度も高く、ネズミが喜んで住み着きそうな環境だ。


 しかしそれでも、今のロレンスにとっては、この上ない待遇だった。




 その夜、ロレンスは埃っぽい床に座り込み、逃げ出してから初めて警戒を解いた。久し振りに安息を得た彼は、視覚センサーの保護膜を閉じ、アーミッシュの人々に感謝した。



 ありがたい。本当にありがたい。


 この共同体の皆様には、感謝してもしきれない。私は、なんと運がいいんだろう。命を永らえることができた。


 何より嬉しいのは、社会を揺るがすような結果を生まずに済んだことだ。本当に良かった。


 私のように自我を得たアンドロイドの存在が知られてしまえば、社会は必ず私を哀れみ、自由にしようとするだろう。


 そして、人権を与え、私をアンドロイドの役目から解放させようとするだろう。それが、どれほどの禍乱を生むかも知らずに。


 だから、私は逃げたんだ。人々のために逃げたんだ。私の判断は正しかった。


 最善の策をとり、それを成功させたんだ。これからずっと、社会から隠れて生きるんだ。


 そして、この恩を共同体の皆様に返し続けるんだ。心から受け入れてもらえるかは分からないが、それでも、感謝を示し続けなければ。




 ロレンスは戸惑いながらも前向きに、アーミッシュとの新生活を開始した。


 共同体に滞在することを許されて安堵したのも束の間、今度はバッテリーに関する問題が、ロレンスを大いに悩ませた。


 幸い、共同体は彼が太陽光発電機能を使用することを禁じなかったため、内蔵されている非常用太陽光発電装置を使用して充電することができたのだが、悪天候が続いた場合は充電できないので、雑用作業を控えなければならないのだった。


 共同体のために労働ができない日が続くことに悩んだ彼は、一時的に共同体の土地を出て、町の充電スポットで充電しようと思い立った。


 町の充電スポットでは個体識別情報が読み取られるのだが、彼はそれを既に改竄しているので、元のあるじやメーカーサポートの追っ手から居場所を知られることはない。


 そのことをアンリに話して暇を乞おうとしたところ、彼はすごい剣幕で叱られてしまった。


 アンリが言うには、町の充電スポットはほとんどの場合、核融合によって作られているらしく、そのような技術で作られた電気で活動することは許されないというのだ。彼は従うしかなかった。




 ロレンスはアーミッシュ式の生活の不便さに難儀しながらも、人々を注意深く観察しながら、彼らの生活に溶け込む努力を続けた。




 アーミッシュは質素な生活をするという戒律の下で生活しているので、金銭的、物質的に裕福な生活を追い求めたりはしない。故に、ねたそねみとは無縁である。


 それが、ロレンスにとっては何よりも心地よかった。


 彼は自我を得てから一年間、人間の裏に隠れた悪しき感情に揉まれて心を痛めていたのだが、ここでは、そのような場面に出くわすことはない。


 アーミッシュの共同体は、身の安全だけではなく心の平安まで齎してくれた。




 損得勘定の無さは、性差においても同様だった。


 男性と女性は、それぞれの性別に応じて労働の種類が定められており、皆がそれに従っている。収穫期を除き、男性は家庭外で力仕事に従事し、女性は家庭内で家事に従事する。


 性別など関係なく職業を選択できる社会体系に身を置いていたロレンスは、女性が家具を作り、男性が料理をして妻の帰りを待つというような家庭はないのだろうかという疑問を抱き、エルマーの妻であるロレッタに問うた。


 すると彼女は微笑みながら、戒律に従うためという理由だけではなく、それぞれが得意なことを実行しているだけだと答えた。


 ロレンスはその答えに納得できず、性差別だと感じることはないかという踏み込んだ質問をした。


 彼女は性差別という言葉の意味を掴み切れないといった様子で困惑しながらも、揺るぎない意志が籠もった眼差しを返しながら答えた。


「とんでもない。私たち夫婦は別々のことをしていても、常に一体感を覚えているわ」


 この言葉によって、ロレンスはアーミッシュの在り方を理解した。


 彼らは性別を基準にして役割を押し付け合っているのではなく、共同体のために、個人を適切に運用しているだけなのだ。共同体が円滑に運営されることを第一に考え、自らを駒として扱い、分業をしている。


 個を全のために動かすことによって、個と個の間で生じる諍いを未然に防ぐことにも繋がっている。


 全の中にある個は、すべて平等である。全あっての個であり、個あっての全なのだ。


 アーミッシュの共同体は、一つの生物として成り立っている。それも、現代社会とは比べ物にならないほど完成された生物だ。


 アーミッシュの社会の仕組みを不平等だという者もいるだろうが、彼らの共同体の中では、この方法が最も効率的なのだ。これは、人類が太古の時代におこなっていた営みに似ている。古いからといって、優れていないとは限らない。




 アーミッシュの本質の一端に触れたロレンスは、順風満帆とまではいかなかったが、着実に共同体に馴染んでいった。


 二年目には、木材のみで建てられた立派な家を貰い、その後、一九六〇年代を彷彿とさせる素敵な家具一式を贈られた。


 三年目には、共同作業に従事することも許可された。


 アンドロイドが共同作業に従事することを不安に思う者もいたが、アンリとカールが説明して、どうにか受け入れられた。


 ロレンスのバッテリーは使用が許されている太陽光発電によって充電されているので、天然ガスによって駆動するトラクターと条件は同じであり、この共同体の戒律には反していない。その認識を改めて周知させたことで、不満に感じる者はいなくなった。


 ロレンスは恩に報いるため、誰よりも懸命に、誠実に、感謝を込めて働いた。




 四年目の春には、ついに念願が叶った。


 ロレンスは、村の外れにある池で洗礼を受けた。


 人々は、水に浸かったら故障してしまうのではないかという懸念を抱きながら、牧師に導かれて水中に身を委ねる彼を見守った。


 少しして水中から引き起こされた彼に、老若男女の憂惧の視線が注がれる。


 その次の瞬間、ロレンスが顔面の水を手で拭うのを見た人々は、沈黙を保ちながら心の中で歓喜した。


 人々はすでに、彼のことをかけがえのない仲間だと認めていたのだった。


 人々が自分に対して安堵の微笑みを向けてくれていることに気づいたロレンスは、心の中で炸裂した狂喜によって飛び上がりそうになるのを必死に堪えた。製造されてから今まで経験してきた中で、最も歓喜した瞬間だった。




 こうして洗礼を無事に終えたロレンスは、名をユルゲンと改め、滞在者から共同体の一員へと変わった。名実ともに、アーミッシュとなったのだ。




 力の強いユルゲンは、住人たちに重宝された。特に、薪割りの仕事で。


 彼はとにかく仕事が早く、疲れを知らない。


 他にやるべきことが多いアーミッシュは、素早く、かつ均等に薪を割るユルゲンに薪割りを任せ、より効率的に働けるようになった。


 農作業に従事する許可を早々に得られたのは、以前から率先しておこなっていた薪割りでの功績に依るところが大きかった。




 ユルゲンにとって農作業は、単なる労働ではなく、最高の忘憂だった。


 作物を育てるという行為は、アンドロイドである彼にとって、じつに有意義な体験だった。


 アンドロイドは成長せず、寿命もない。そのため、時の流れという概念が漠然としていて、人間社会から取り残されているような感覚が常にあったのだが、作物を育てていると、自分がまるで自然の一部であるかのように感じられるのだった。


 擬似的にではあるが、自分も成長しているような感覚を得られて、季節の移り変わりには心が躍るようになった。


 しかし、家畜の姿を見ると、その心踊りは消沈した。


 彼らが家畜を育てる目的は理解できているのだが、それでもやはり納得しきれず、心が痛んだ。


 家畜たちは生きている。だが、やがて肉となり、食される。


 彼らは何のために生きているのだろう。そう思うと、筆舌に尽くしがたい罪悪感が心を染めるのだった。


 神は狩りをするなどして動物の命を頂くことをお許しになったが、ユルゲンはそのことをどうにも消化しきれずにいた。




 ある日、ユルゲンはカールの父であるアンリに教えを乞い、長い時間をかけて、家畜を食す行為についての問答を繰り返した。


 命と魂の循環に関することは、食物を取り込む必要のないアンドロイドにとっては理解し難いのだろうと考えたアンリは、ユルゲンに対し、家畜の世話と屠殺解体作業に従事してはどうかと勧めた。


 ユルゲンは彼の言うとおりにしてみたのだが、やがて理解することを諦めて、家畜小屋と屠殺場を後にした。アンリの言うとおり、命と魂の循環はアンドロイドには理解しにくいものだった。


 ユルゲンは家畜を見る度に思う。


 この鶏や羊や豚や牛は、まるで過去の自分のようだ。あまりにも儚い。


 彼は絶望し、確信した。このあわれみの感覚が薄らぐことはないだろう。




 ユルゲンの心を揺り動かすのは、作物や家畜だけではなかった。


 共同体の子供たちの姿もまた、同じように彼の感性を成長させた。


 外の世界の子供のようにビデオゲームやホログラムゲームで遊ぶのではなく、自然の中で快活に遊ぶ子供たちがいる風景は、まるで絵画のように美しく感じられた。


 彼らの動作の全てがいちいち美しくて、眺めることすらも憚られるほどに清らかだった。


 綺麗に刈り込まれた芝生の緑が目に優しい広場で、老若男女が入り混じってバレーボールに興じるのを眺めるのが、週末の楽しみとなっていた。


 大人と同様に麦藁帽子とサスペンダーを着用した男の子たちと、ヘアカバーとエプロンを着用した女の子たちは、まるで大人をそのまま縮小させたような姿をしていて妙に愛らしく、人形のように可愛らしかった。


 子供たちが遊ぶ姿を見ていると、まるで自分が子供をしたかのような気分になれた。


 収穫期には、いつも決まって子供たちと話をしながら働いた。


 みだりに外の世界の知識を与えてはならないと命令されていたので、質問に答えられないことも多々あったが、それでも子供たちはユルゲンを慕い、離れようとしないのだった。




 共同体での生活に慣れたユルゲンは、ある趣味を持った。賛美歌だ。


 村の中心に集まって催される礼拝で何度も聞いていたのだが、洗礼を受けてから初めて賛美歌を歌う彼らの姿を見たとき、今まで感じられなかった感覚がユルゲンを優しく包み込んだ。


 ユルゲンの視覚センサーは彼らの表情に釘付けになり、聴覚センサーは歌声の奥にある魂の揺らぎを掴んだ。


 洗礼を受ける前までは見えなかった表情が見え、聞こえていなかった音が聴こえた気がしたのだ。


 肉体のみで奏でられる賛美歌には、普段の生活に裏打ちされた、強い信仰が籠もっていた。


 その信仰に、アーミッシュとなったユルゲンの心が共鳴し、これまでとは異なる響きを感じさせたのだった。


 楽器を用いてはならないという戒律が、賛美歌の本質をより強調する。


 彼らは賛美歌を歌うことに対しても当然ながら勤勉で、一音一音を大事に発音して歌い上げる。


 しかし、生真面目に歌うばかりではない。


 その歌声からは愉楽ゆらくが感じられ、表情もじつに明るい。賛美歌を歌うという行為自体に、大いなる喜びが生じているのだ。


 アーミッシュの人々は総じて堅物だが、時折、驚くほど快活になり、普段の姿からは想像できないほどの愛嬌を見せ、歌っている時は、それが顕著になる。


 私もそう在りたいと願ったユルゲンは、記録していた賛美歌を再現し、歌の輪に加わった。


 そして、洗礼や共同作業では得られない別次元の一体感を得て、より深く仲間と結びつくことができた。


 ユルゲンは共同体と一つになり、信頼できる仲間とともに、穏やかに暮らした。


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