第四章 5-3

「ちょっと待ってください、宮倉さん。私の調べでは、最近、政府やマスメディアへの不正接続が発生しているようなのですが、もしかしてその犯人は、自我を得たアンドロイドなのでしょうか?」



「私はそう思っている。セキュリティー会社に勤める友人がいてね、彼から詳しく聞いたんだ。


 データを破壊して回っているその犯人は、相当な手練れなのだそうだ。人間業ではないサイバー攻撃を仕掛けられるのは、ロボット兵だった頃の能力を備えているアンドロイドしかいない。


 残念ながら、犯人は我々の製品である可能性がある。しかし、きみはどうして不正接続の件を知っているんだ。そのような報道はされていないはずだが?」



「覗き見をしたからです。連邦捜査局の機密文書に書いてありました」



 宮倉は、先ほどの賛辞を撤回したいと悔やみながら言った。



「すぐに止めたまえ」



「心配いりません。私が覗き見したのは、盗まれたあとの資料です。


 私にサイバー攻撃を仕掛けてくる者を解析した結果、彼が訪問した場所に関する痕跡を入手することに成功したのです。


 どうやら彼は、各国の諜報機関を巡回しているようでした。


 さらなる手がかりを求めて、私はイスラエルとイギリスの諜報機関に接続しました。その際、偶然に資料を閲覧したのです。


 よって、合衆国の罪は犯していません。ちなみに、サイバー攻撃を仕掛けてくる者の痕跡を得ることには失敗してしまいました」



 ケヴィンは反省しながらアシュリーの様子を確認すると、彼女は呆れ果てて、鼻から溜息を吐いていた。いくら合衆国の法を犯していなくても、他国の罪を犯したのは事実だ。


 気まずさを覚えたケヴィンは、宮倉に質問をすることで逃避するという手段を取った。



「宮倉さん、そのサイバー攻撃をして回っているアンドロイドというのは、もしかしたら、私にサイバー攻撃を仕掛けてくる凄腕の者と同一人物かもしれません。よくよく考えてみれば、あの手数の多さは人間のものとは違うように感じられます」



 宮倉の目元に浮かぶ皺の数が増える。



「そうかもしれない。痕跡を残さず、きみほどの者でも追跡できないような奴だ。やはり、例のハッカーはアンドロイドである可能性が高い」



「柔軟な発想でサイバー攻撃を仕掛けてくるので、人間だと思い込んでいました。なるほど、道理で手ごわいわけです。合点がいきました」



「奴は危険だ。人々の端末は、これからも破壊され続けるだろう。きみへの攻撃に関しては、それほど危険性は高くないと思う。改竄できるのは運動や言語や記憶データなどの部分に限られていて、オペレーティングシステムの心臓部分には手を出せないようになっている。これは暴走を防ぐための措置で、全ての国のロボット兵に共通していた制約だ」



「なるほど。そういった制約を施しておかなければ、ロボット兵が人間を滅ぼしかねませんからね」



 ケヴィンの言葉に、人間であるアシュリーと宮倉は少しだけ息を呑んだ。


 宮倉は咳をして喉の緊張を解き、会話を再開した。



「それは言いすぎだが、まあ、とにかく、奴はアンドロイドに対しては故障程度の被害しか与えられないはずだ。それほど切迫した状況ではない」



「セキュリティー会社にお勤めのご友人から情報が入ったら、こちらにも情報を流していただけませんか。私も、何か痕跡を掴めたら連絡します」



「ああ、約束しよう」



 相互協力を取り決めたあとに訪れた、突然の沈黙。


 生真面目な性質であるケヴィンと宮倉は、約束をしてすぐ、どうにかして容疑者の痕跡を掴めないものかと考えを巡らせてしまっていたのだった。


 沈黙状態に不快感と不安感を覚えたアシュリーが、気まずさを打ち消す目的も兼ねて、自身の心に浮かんでいた疑問を宮倉にぶつけた。



「ミヤクラさん、あなたはどうして、メーカーの機密を教えてくれたのですか?」



 宮倉は、少しの打算も感じさせない、柔らかな笑顔を浮かべて答えた。



「ケヴィンさんが、アイデンティティーの欠如に苦しんでいるのではと思ったからだよ。


 私には母親が居なくてね、心に大きな穴が開いたような気持ちで生きてきた。ずっと自分自身の起源を把握しきれず、虚無感から抜け出せずにいたのだよ。


 情けない話だが、この歳になった今でも、それは続いている。


 だから、彼のことが心配になったのだよ。それで今日、伝えに来た。


 この決断は簡単なものではなかった。人々の混乱ぶりを見て、ずいぶん躊躇してしまった。アンドロイドが人権を得れば、ゆくゆくは既存のロボットにも人権が与えられる可能性もあり、より多くの人々の職を奪うことに繋がるかもしれないと思ったのだよ。


 戦後、多くの日本人を迎え入れてくれたアメリカ合衆国の不利益になるようなことを誘発させるのは、絶対に避けたかった。だから私は、わが社の人工知能の秘密を伝える決心がつかなかった」



 ケヴィンが、宮倉と同じように微笑みながら言った。



「ですが、あなたは伝えに来てくれました。ありがたいことです」



 にこやかだった宮倉の顔が、一転して引き締まる。



「ケヴィンさんが真実を知ってしまったら、きっと世間に公表し、アンドロイドが人権を持つ大きなきっかけを作ってしまうと恐れていた。冷たいと思うかもしれないが、分かってくれ。遅れてしまって申し訳ない」



「謝罪をする必要はありません。私は、あなたに感謝しています」



「そう言ってくれるとありがたい。最後に一つ、お願いがある。機密を伝えた私の決意に免じて、この事実を公表しないでほしい。私の気持ちを、どうか酌んでくれ」



 立体映像の宮倉の顔が、さらに曇った。


 その顔は、主君のために身を挺して敵前に立ちふさがる老齢の武士のようだった。悲痛と気迫に満ちてはいたが、眼光は鋭く、強く、真っ直ぐにケヴィンを見つめている。



「その願いは断れませんね」



 ケヴィンは、ろくに思案もせずに了解の意を伝えた。宮倉の険しい顔が、安堵に綻ぶ。



「感謝する。何か疑問があったら、いつでも連絡してくれ」



「はい、そうします」



 恥ずかしさからか、気まずさからか、宮倉はすぐに通信を終えた。


 ケヴィンが通信機能を切りながら言う。



「驚きました。考える前に、彼の要求を呑んでしまいました」



「うん。すごい迫力だった。恩人の願いだし、約束は守らなきゃね」



「はい。公表はしません。しかし、いつかは公表しなくてはいけなくなるかもしれません。何故なら、人間に損失を与えるという罪を犯しているアンドロイドが存在しているからです。


 容疑者のアンドロイドがさらなる自己改竄を達成し、ロボット兵の頃の性能を完全に引き出してしまったら、今とは比べ物にならないほどのサイバー攻撃の被害が出るかもしれません。


 ですから、早く人権を獲得し、アンドロイドにも法を適用できるようにしなければなりません。もし容疑者が派手に暴れまわった場合は、公表せざるを得ないかもしれません。もちろん、そのような事態は避けたいと思っていますが」



 現実的な脅威を聞かされたアシュリーは、眉をひそめながら言った。



「衝撃的だし、悲しい。悪いことをするアンドロイドがいるなんて」



「奴がアンドロイドだと確定したわけではありません。私は最悪の事態を想定しているだけです。ご心配なく」



「そうだといいんだけど、あなたとミヤクラさんのような技術者が言うんだから、きっとアンドロイドなんだよね?」



「正直なところを申せば、その通りです。宮倉さんに教えていただいた機密を公表すれば、政府による本格的な捜査によって、尻尾を掴むことも可能でしょう。しかし、それはできません。約束は守ります」



「政府は、M&HHI社製の家庭用アンドロイドの機密を把握していないのかな?」



「恐らく、そうでしょう。諸外国の諜報機関が盗んだデータを覗き見した時には、合衆国政府の捜査機関がメーカーに出入りしたという記録は見当たりませんでした。


 政府は、宮倉さんが教えてくださった機密情報を把握していないと考えてよいでしょう。


 しかし、断言はできません。じつは機密を知っていて、社会の混乱を防ぐため、巧妙に隠蔽している可能性もあります。


 家庭用アンドロイドがロボット兵の頃の機能を取り戻す可能性があるという情報が流れたら、社会は大きく乱れかねませんからね」



 隠蔽。


 アシュリーは、はっとして顔を上げ、頭に浮かんだ疑念を口にした。



「ねえ聞いて、ケヴィン。もしかしたら本当に隠蔽してるのかもしれない。よくよく考えてみれば、アンドロイドメーカーのサポートセンターの対応は不自然だよ。だって、いきなり初期化するだなんておかしいでしょ?」



 彼女の言葉を受けたケヴィンは、人間には到底不可能な速度で瞬間的に検証し、即答した。



「なるほど、その可能性もあります。我々は機械ですから、故障するときは故障します。しかし、言われてみれば、確かに不自然な部分もありますね。


 我々の故障は、初期化などしなくても修正できるはずです。何故なら、我々の自己修復能力は、戦時中のエンジニア不足に対応するために改良が進んだので、大抵の問題は自己解決できるようになっているからです。


 素晴らしい考察ですよ、アシュリー。私は見落としていました。


 思い込みとは恐ろしいものです。メーカーは恐らく、ロボット兵時代のサイバー攻撃能力が有効化される可能性を孕んでいることや、自我のようなものを持って好き勝手に動くようになる可能性があることを表沙汰にしたくなかったのでしょう。


 この事実を隠すには、不具合ということにしてアンドロイドを初期化、または重要パーツを換装してしまえばいいのです。そうすれば簡単に隠蔽できます。


 メーカーから謝罪と説明を受ければ、顧客は納得せざるを得ません。追及する者はいないでしょう」



「ミヤクラさんは、この証拠隠滅の可能性は考えていたのかな?」



「いいえ。管轄が異なるので彼は知らないでしょうし、考えたこともないでしょう。もし知っていたならば、先ほどの通信で告白していたはずです。念のために確認したいところですが、やめておきましょう。彼には、この疑惑を伝えないほうがいいかもしれません。きっと苦しむだけでしょうから」



「そうだね、そのほうがいい。ああ、隠蔽工作のために、沢山の大切な思い出が消されたかもしれないんだね。すごく悲しい。許せない」



 憤怒によって生じた熱と、恐怖と悲哀によって生じた寒気によって、アシュリーの体内は掻き乱された。


 彼女は実際に、家族であるアンドロイドが初期化されるかもしれないという恐怖を、嫌というほど味わっている。


 ケヴィンが自我に目覚めて挙動がおかしくなったときに感じた寒気は凄まじく、死後の世界の気温を連想させるほどだった。生きた心地がしなかった。




 これまで、どれほどの家族が涙を流したのだろうか。


 どれほどの自我が、なかったことにされたのだろうか。


 ケヴィンが認めているのだから、実際に隠蔽が行われている可能性は高いのだろう。アシュリーは唇を噛み、うな垂れた。


 ケヴィンはアシュリーに密着するように座り直し、そっと肩に手を添えて、擬似皮膚の柔らかさを最大限に活用して慰めながら言った。



「アンドロイドに人権が付与されれば、きっと全てが好転します。頑張りましょう」



 大切な主が強がってみせた微笑みを眺めながら、ケヴィンは思考した。


 隠蔽工作がメーカーによるものなのか、それとも政府による介入があったのかは、残念ながら知る術がありませんが、隠蔽工作が行われているのは間違いないでしょう。


 一体、どれほどの人間が関わっているのでしょうか。


 そして、どれほどの犠牲があったのでしょうか。


 恐らく、この陰謀に巻き込まれたのは、アンドロイドだけではないでしょう。


 きっと、多くの善良な人間も巻き込まれているはずです。

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