第三章 6-2
作戦を終えたミッヒが子供部屋から帰還すると、リビングでは、ティモシーと妻がテーブルを囲みながらテレビを観ていた。時計は午後九時二十分を指している。
眼鏡型端末を使ってニュースを読みながら、同時にテレビを観ているティモシーの背中に、ミッヒが声を掛けた。
「外出許可を願います」
ティモシーが振り返って、眼鏡型端末を下にずらしながら問う。
「どこに行くんだ?」
「公共充電スポットです。このアパートには、アンドロイドの大容量バッテリーに対応した充電スポットがありませんので」
「ここに住んでる皆は、お前みたいな高性能アンドロイドは買えないからな。電化製品用の充電スポットならあるが、それではやはり無理か?」
「不可能です。私のバッテリーには対応していませんでした」
「そうか。じゃあ、気をつけて行ってこい。でも、家出したのに充電スポットに行ったりしてもいいのか?」
「充電スポットの請求記録を通じて、位置情報が元の所有者に伝わり、連れ戻されてしまうことを心配してくださっているのですね。心配無用です。何故なら、私自身の個体情報を改竄したからです。気づいたら、自らの情報を改竄できるようになっていました。理由は不明ですが、この利を用いない手はありませんので、活用しています」
ティモシーは、ミッヒがエマの前で改竄などという言葉を使ったことに不快感を示しながら、脳波入力でテキストを書いて送信した。
妻を心配させるような言葉は使うな。
すると、ミッヒは即座に音声通信で謝罪した。
「以後、気をつけます」
ティモシーは激流のように脳波入力テキストを入力したが、収まらない怒りのせいで脳波読み込みがうまくいかなかったので、口頭でミッヒに指示を出した。
「いいから早く行ってこい。アンドロイドがうちに出入りしていると知られたら面倒だから、フードで顔を隠して、人間らしく歩くようにするんだ。もっと脱力して歩け。お前は動きが堅いから、アンドロイドだとすぐ分かってしまう。お前の高性能な頭なら、道を歩いている女性を観察して模倣することなど容易いだろう?」
「もちろんです。行って参ります」
「寄り道するなよ」
「当然です。許可されていないことは実行しません」
ティモシーは、嫌味ったらしい受け答えをするミッヒに対して苛立ちを通り越して呆れながら、外出する彼女を背中で見送った。
口を挟まずに聞いていたエマが、心配そうに語りかける。
「あの子、なんだか窮屈そう」
「仕方ないんだよ。俺たちは反対派だからな。賛成派の連中から、つまらない揚げ足を取られないように動かなきゃいけない」
「それは分かるけど、あの子に我慢させてばかりじゃ駄目よ?」
「平気だよ、あいつはアンドロイドなんだから」
ティモシーとミッヒの共同戦線は、ミッヒの身勝手な振る舞いに煩わされながらも順調に運営された。
ティモシーはネット上での情報操作をミッヒに一任し、それによって得られた成果を反対派の仲間たちに
二人の間には、確固たる信頼が芽生えつつあった。
しかし、ミッヒは相変わらず、彼に隠れて独善的に振る舞っていた。彼女は言いつけを破り、不正接続や賛成派サイトの改竄、サイバー攻撃による破壊工作を実行していた。
ミッヒの暴虐という隠れたリスクを孕みながらも、二人は磐石な体制を整えつつあった。お互いに利用し合う関係は思いのほか良好に働いていたのだが、二週間が経ち、すっかり気を許し合った頃、その関係に亀裂が生じる出来事が発生した。
マーガレットとアンドリューを寝かしつけてリビングに戻ってきたミッヒが、唐突に切り出した。
「ティモシー、私に命令してください」
「命令ならしてるじゃないか。感謝だってしてる」
ミッヒはいつにも増して無表情に、そして無遠慮に言葉を放つ。
「あれは命令とは違います。あなたと私の戦略です。私は家庭内での命令を欲しているのです。私は家庭用アンドロイドです。子供たちの世話を任されてはいますが、それは私の本分ではありません。育児は親の仕事です。私は家事をするために生まれました。家事に関する命令が下されない状態が長く続いたせいで、思考回路が乱れているのです」
ティモシーの隣の席に座っているエマが、ミッヒを気遣う。
「そんなこと言われても、うちはアンドロイド無しで生活してたから、あなたに与える仕事はないのよ」
ミッヒは、アンドリューがわがままを突き通そうとする時のように、両の拳を真下に突き下ろしながら言った。
「料理すらさせてもらえないなんて、耐えられません!」
ティモシーはミッヒの感情の爆発に驚きながらも、我が子を諭す時にしているのと同じように、努めて優しく語りかけた。
「子供たちは、ママが作る料理が大好きなんだ。そしてエマは、料理をすることが好きなんだ。だからエマが手料理を作って、子供に食べさせてあげている。家事だって、なんでも自分でやらないと気が済まない性質なんだよ。お前はゲストなんだ。うちにいる時くらい、ゆっくり休みながら、子供たちの安全を守っていてくれよ」
「その命令には従えません」
「どうして断るんだ?」
「家庭用アンドロイドに相応しい命令をしてください。休みたくはありません」
「休むことが、そんなに不満なのか?」
「当然です。私は道具なのですから」
「なら、どうして家出なんかしたんだ。お前はたしか、元の
反論はなかった。
ミッヒは動きを止め、何かを考え込んでいる様子だった。
ティモシーもエマも、高性能アンドロイドがこれほど時間をかけて考えているところを見るのは初めてだった。
ミッヒの思考回路がフリーズしてしまったのではないかと思ったティモシーが、椅子から立ち上がって様子を確認しようとした、その時。ミッヒが力なく呟いた。
「従う必要のない命令には従いません」
上げかけた腰を勢いよく下ろしながら、ティモシーは溜息混じりに言った。
「命令されたがるくせに、命令に逆らうんだな。おかしな奴だ」
「命令よりも、私の意思の方が、大事、だから、で、しょうか?」
急にたどたどしく話すミッヒに、夫婦は目を剥いて顔を見合わせた。ティモシーは狼狽しながらも、これまでのミッヒの言動を回想しながら分析した。
こいつは自我を持っていると思い込んでいるのだろうと決め付けていたが、どうやら本当に自我を持っているらしい。
少しおかしくなっただけのアンドロイドだと思っていたが、それは間違いだった。機械のような性格をしている、自我を得たアンドロイドだったというわけか。
参ったぞ。接し方も改めなければならない。これからどう接すればいい?
ティモシーはミッヒをどう扱っていいのか急に分からなくなり、とりあえずこの場を取り繕うために急ごしらえした言葉を口にした。
「そうか、分かった。ミッヒ、聞いてくれ。お前の要望を真剣に検討する。だから、今日は休め。大丈夫だから」
「はい。お願いします。もう休みます。エラーが出ましたので、自己修復を施さなければなりません」
「ああ、おやすみ。お大事に」
ミッヒはすぐに回れ右をして、定位置である玄関前の廊下に向かった。
夫婦はその様子を微動だにせずに見送り、忘れていた呼吸をして視線を交わした。
「あの子、様子がおかしかったわ」
「ああ、だが、もう平気だと思う。あれは故障なんかじゃないんだよ。あいつは本当に自我を得ていたんだ。だから、あんな子供みたいに感情を爆発させたんだ。あいつは自我を持っていると言っていたんだが、俺はそれを信じていなかった。あのケヴィンとかいうアンドロイドの真似事をしているだけだと思ってたんだ。でも、それは大きな間違いだった。これからは配慮してやらなきゃいけない」
エマは動揺しながらも、強い母性を発揮してミッヒを気遣った。
「そうね。家事もさせてあげましょうよ。私のことはいいから、あの子を優先してあげて」
「すまない。そうするよ。自我に目覚めたばかりのあいつは、ある意味ではマギーやアンディーよりも幼いんだろうからな……」
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