第一章 3-2

 ハネムーンの思い出話だけでは満足できなくなったアシュリーが、おねだりをした。


「ねえ、シャラダ。マデイラで撮った写真を投影してみせて」


「もちろん。でも、映像のほうが面白いと思うけど?」


「瞬間の美しさが好きなの」


「相変わらず、古い価値感を愛してるのね。ちょっと待ってて」



 シャラダはバッグから眼鏡型端末を取り出して、テーブルの上に置いた。


 すると、眼鏡手前の空間に、拳くらいの大きさの画像が浮かび上がった。


 立体映像再生機と同じ仕組みで、眼鏡のふちの両端から不可視光線が交差するように照射され、その光線の重なりを発光させることで画像を表示させている。指輪端末でも表示できるが、画像表示能力は眼鏡型に大きく劣る。


 アシュリーのリビングに設置されている四点式の立体映像再生機には劣るが、それでも充分に楽しめる。




 シャラダが画像の近くで指を横に動かすと、その動きをセンサーで捉えた眼鏡型端末が、次々に写真を切り替えていく。



 満面の笑顔で写る二人のセルフショット。


 嘘みたいに青い海と、その海に負けないほどに濃く、純粋な青い空。


 キスをする二人。


 美味しそうな海産物の料理。


 ワイングラス越しに見る太陽。


 クルージングのスタッフに撮ってもらったらしい、水着での立ち姿。



 アシュリーは甘い溜息を漏らしながら言った。



「美しい海……」



 身を乗り出して肩をすくめながら、シャラダが自慢する。



「そこで獲れる魚も最高だったのよ」



「ここの熟成牛肉だって最高だよ」


 唐突に飛び込んできた、しゃがれ声。


 オーナーの息子で店長のピーターが、壮年を過ぎた年齢であるにもかかわらず軽い足取りで、食事を載せた静穏カートを滑らせながら、話に割り込んできた。


「もちろん、牛肉も好きですよ。だから来たんです」


 トニが笑って答えると、店長はいつものメニューを配膳しながら自信たっぷりに言った。


「そうだろう。故郷の牛肉が一番さ。まずはこちらを召し上がれ」




 三人は、クレソン多めのミックスサラダ、名物のオニオンスープと自家製のブレッド、ベイクドポテトが添えられたTボーンステーキ、それから、アシュリーが頼んでおいた結婚祝いの高級ワインを味わいながら、いつまでも湧いて出てくる思い出話を楽しんだ。


 その間、食事ができないケヴィンは転送してもらった画像をコンピュータ内で閲覧し、インターネットからは容易に入手できないような旅行情報を収集して、見聞を広めていた。


 彼はコンピュータウイルス攻撃を防ぐ自己防衛機能を搭載しているので、画像を預けても心配ないし、人間のように不用意にアップロードしたりもしないので、安心してプライバシーを開示できる。




 上質な食事を終えた三人は、早くも次の食事の約束について話し合った。スケジュール管理も担っているケヴィンは、三人の会話の聞き取り作業に集中する。


 料理を趣味の一つとしているアシュリーが、新婚の二人に提案した。



「じゃあ、来週の日曜日の昼に、私の家で何か作って食べようよ」



 同じく料理が好きで、取りわけ珍しい農作物に興味があるシャラダは、いつものように乗り気だ。



「いいね。また珍しい野菜を育てたの?」



「うん。日本のハーブが収穫期に入ったの。だから、日本風の料理になると思う」



 親が経営している酒類輸入販売会社の役員であるトニが、いつものように酒を見繕う。



「じゃあ、うちの店から良い酒を探して持っていくよ。日本酒で決まりかな?」



「あ、待って。焼き上げたピザに、さっき言った日本のハーブをトッピングするのはどうかな。だから、イタリアのビールがいいかも」



「ああ、なるほどな。ハーブを味わうには丁度いい。その日は、きみの両親とも御一緒できるのかな?」



「日曜だし、二人とも家にいると思う」



「じゃあ、ビールを余分に持っていくよ」



「パパとママは、ワインのほうが喜ぶかも」



「分かった、任せてくれ」



「じゃあ、ちょっと時間をちょうだい。予定を書き込むね」



 アシュリーはバッグから眼鏡型端末を取り出して装着し、スケジュール管理という言葉を頭の中で唱えた。


 すると、眼鏡のテンプル部分に内蔵された受容器が、彼女の言語中枢の脳波を瞬時に読み取り、それに応じて、眼鏡のグラス部分にスケジュール帳が表示された。


 書き込みたい情報を頭の中で読み上げると、間髪入れずに予定が書き込まれていく。




 来週の日曜。昼。自宅でランチ。ピザ、三人分。ああ、訂正。五人分。三つ葉を使う。ピザの材料を忘れずに購入。




 スケジュールへの書き込みは、速やかに終了した。端末のスケジュールに書き込まれた情報はケヴィンに送信され、共有される仕組みになっている。



「スケジュールを共有しました。では、ピザの材料を買い揃えておきます」



「お願いね」



 アシュリーはケヴィンと打ち合わせをしながら、眼鏡型端末を外してバッグに片付けた。


 彼女が未だに眼鏡型の端末を使用しているのには、ある重大な理由がある。


 コンタクトレンズ型の端末を使うと、目に違和感を覚えてしまうのだ。技術がいくら進歩しようとも、異物は異物だ。


 内耳インプラント式の端末など持っての外で、検討すらもしたことがない。


 眼鏡型は視界が少々狭まるが、コンタクトレンズ型と違って耳端末を装着しなくてもいいので便利だ。


 コンタクトレンズ型は耳端末を装着しなければ通話ができないが、眼鏡型は耳のすぐ近くに装着するので、耳端末がなくても骨伝導で通話できる。


 装着しなくてはいけない端末が一つ減るというのは些細なことだが、快適さの面で大きな差がある。


 それに、彼女は懐古趣味を持っているので、眼鏡型端末の見た目を大いに気に入っていた。




 アシュリーは手鏡で口元を見て、問題ないと分かると別れの挨拶をした。


「じゃあ、また来週ね。今日は楽しかった」


「私も。来週、楽しみにしてるわ、アシュリー」


 アシュリーとケヴィンは、二人きりで甘い時間の続きを過ごしたがっている友人たちを置いて、店を出た。




 店の前には、すでに父の車が到着していた。何も命じなくても、ケヴィンはいつも頃合いを見計らって、車を呼び出しておいてくれる。


 二人が乗り込むと、車載コンピュータのドライバーが指示を仰いだ。


「お帰りなさいませ、アシュリー様。行き先を指示してください」


「家に戻って」


「かしこまりました。発車いたします」




 帰り道は、眠気よりも喜びの感情がまさった。


 幸せそうなシャラダとトニを見ていると、私まで幸せになる。これだから、人間って素晴らしい。


 人類の祖先が育み伝えてくれた、愛を共有する能力に、アシュリーは心から感謝した。


 愛情のホルモンとも呼ばれているオキシトシンは、見ず知らずの人々が抱き合っている写真を見ただけでも分泌されることを、彼女はよく知っている。


 他人が幸せそうにしている場面を目の当たりにするだけで、人は愛情を強めることができるのだ。


 この共感力があれば、世界のあらゆる国々が愛と幸福を共有し、やがて訪れるかもしれない戦渦を、未然に防ぐことが出来るかもしれない。心から、そう信じることができた。


 しかしアシュリーは、現実を見据えることも忘れてはいない。


 異なる文化間や、利害の不一致が生じやすい場所で、戦争は必ず起こることを学習している。


 第三次世界大戦後の世界情勢は安定しているが、人類が地図に書き込んだ排他の線は、今も地球を縛り付けるようにして存在している。小さな小さな戦の火種が、その鎖の下に潜み、燃え上がる時を待っている。


 しかし、何も手を打っていないわけではない。


 人類は数多の失敗から教訓を得て、戦争映像保存館をネット上に構築し、誰でも閲覧できるようにしたのだ。


 現代人は皆、二十一世紀後期から各国の兵士のヘルメットに装着され始めたカメラによって撮影された戦地の映像を、すべての人類が制限なく、いつでも自由に閲覧できる。


 小規模な紛争を含む、全ての戦争を記録した映像の中には、血生臭い場面も多く含まれているが、それらの映像が編集で切られることはない。


 兵士の亡骸の山を撮影した映像も、一般市民が惨たらしく殺されている映像も、全てそのまま閲覧できる。


 映像を撮影したカメラを装着していた人物の名前や国籍は非公開で、撮影された死体の着衣や顔つきは画像加工によって隠されていて、人種も国籍も特定されないようになっている。


 そうすることでナショナリズムを徹底的に排し、新たな恨みが生じないような取り組みが為されている。



 あらゆる配慮を備えた戦争映像保存館は、人間が人間を殺すという行為とその結果を、全ての人類に向けて簡潔かつ強烈に突きつけ、戦争の不合理を訴える。


 二十一世紀を生きた世界的資産家の呼びかけと資金提供によって、各国の軍の協力を得て始まった戦争記録保存計画と映像公開は、当初激しく批判された。


 だが、戦争の現実を突きつける事こそが唯一の平和への道であるとの認識が広がり、彼の理念は理解され始め、やがて世界中で賛同を得て、ついに実現した。


 人類は同じ映像を介して悲劇と恐怖を共有し、同じように後悔し、反省し、反戦を誓うようになった。


 世界は、祖先が伝え残してくれた共感力を最大限に活かして、戦争を回避するための環境を作り上げることに成功したのだ。




 戦争映像保存館で学んだアシュリーは確信している。


 人は、戦争を防ぐための素晴らしい仕組みを実現した。慈善活動においても、同じことが出来るはずだ。飢えの苦労を知れば、手を差し伸べる人が増えるに違いない。


 彼女は、今日の出来事を誰かと共有したいという衝動に駆られ、隣に座るケヴィンに話しかけた。



「シャラダとトニ、幸せそうだったね」



「はい。彼らから貰った画像を事細かに分析したところ、笑顔がとても多いことに気づきました。二人の生活は、幸せに満ちています。写真というものの最大の魅力を知ったような気がします」



「写真って、本当に素敵。その一瞬に、真の美しさが宿るの。いい写真ばかりだったね」



 ケヴィンと話したおかげで、アシュリーの心はまた一段と軽くなった。


 出掛ける時に感じていた無力感は、もう影も形もない。


 窓の外を眺める彼女は、無意識に頬を緩めた。人とアンドロイドとの間に生じる、共感めいたもの。それがいつか、本物の共感に変わる日が来るような気がした。




 道沿いに並ぶ、古き良き様式美を見せつける高層ビル。


 その所々に紛れるようにして建つ、先進的デザインの超高層ビル。


 新入りのビルの外壁は金属のような質感の遮熱材に覆われていて、太陽光をよく反射し、道路に光を届けてくれている。


 歩道を行く人々にとっては眩しくて邪魔でしかない反射光だが、アシュリーの目には、下界に降り注ぐ天界の光を描いた絵画のように映った。


 幸福を共有した心が、人によっては迷惑でしかない強烈な光を、美しく感じさせてくれる。




 クラシックカーを模した最先端の電気自動運転車が、光に満ちたビルの谷を行く。



「ケヴィン、ビルの外壁を見て。きらきら光って、すごく綺麗」



「はい。電灯とは違い、太陽の光は透き通っていて美しいです」



 二人の間にある共感は温度を抱き始めていたのだが、アシュリーはそれを自覚できてはいなかった。

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