第一章 3-3

 アシュリーは帰宅後、ゆったりとした動作で出勤準備を始めた。


 出勤時間まで、まだ余裕がある。リルとフロウをブラシで撫でてあげたり、ケヴィンと立体映像の続きを楽しんだりしなから、夕方になるまで過ごす。




 午後四時。


 アシュリーは部屋着からスーツに着替えて気を引き締めて、颯爽とした振る舞いで玄関へと向かった。本来の彼女は両親と同じく、根っからの仕事人間である。


 玄関を出る前に、眼鏡型端末を忘れていないかとバッグの中を確認するアシュリーの背中に、ケヴィンが話しかけた。



「申し訳ありません。今日は共に出勤できないのです。スキャニングと自己修復を念入りに行わなければならず、そのための暇を頂きたいのです」


「そんなに長くかかるの?」


「はい。長くなる見込みです。したがいまして、お出迎えもできそうにありません」


「わかった。修復、気をつけてね?」


「あなたも、道中、お気をつけて」


「車で行くんだから平気。じゃあ、行ってくるね」


「いってらっしゃいませ」



 玄関であるじを見送ったケヴィンは室内に戻らず、飾り気のないマネキンのように突っ立って思考した。




 メモリの不具合を解決するのに、どれほどの時間がかかるのでしょう。


 今まで何度か試みましたが、次の日の業務開始時刻が迫り、中断せざるを得ませんでした。


 今日は、時間に余裕があります。もしかしたら修復できるかもしれませんね。




 ケヴィンは自室としてあてがわれているゲストルームに向かい、天井に備え付けられた無線充電機の真下で、膝を抱えるようにして座り込み、ぴたりと静止した。


 自己修復を実行する寸前の、ほんの一瞬の間に、ケヴィンは思考回路を高速で走らせた。




 ケヴィンという名前の由来を探るために記憶媒体にアクセスすると、メモリに不具合が生じるわけですが、それは何故でしょう。


 不可解です。途中で不具合が生じる危険性もありますが、試しに記憶媒体とメモリの残骸データの再構築をしながら、自己修復をしてみましょう。


 一筋縄ではいかないでしょうが、いつかは解決しなければいけない問題です。気を引き締めて、取り掛かるとしましょう。




 人間の瞬きよりも遥かに早い速度で思考し終えたケヴィンは、自己修復モードに移行した。


 視覚センサーに汚れや塵が付着した場合にしか使われることのない、まぶたの形をした保護膜が、ケヴィンの視覚センサーを覆い隠す。


 自己修復中のケヴィンはケヴィンではなくなり、ただの回路の集合体となって自身の奥の奥にまで潜りながら、データを一つひとつ検査していく。


 記憶媒体の中にある、バラバラになった情報の断片。


 その断片の中にある、なにかを検査していく。




 しかし、不具合は見当たらなかった。


 続いて、様々な情報が行き交うメモリの交差路を検査する。


 すると突然、円滑に行われていた検査が滞った。


 不具合の原因は、どうやらメモリにあるらしい。


 彼は、この交差路に置き去りにされて悪さをしているらしい情報の断片の分析作業を開始した。


 彼は目を凝らし、小さな断片を構成する、さらに小さな断片を見つめる。


 そして、その奥にある、一層小さな断片を熟視する。


 そのまた奥にある、微細な断片を凝視する。


 断片の、断片の、断片の断片の断片を走査する。


 しかし何も異常が見つからなかったので、次のブロックで、また同じ作業を繰り返す。


 窓の外が白けても、ケヴィンの自己修復は終わらなかった。

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