第一章 3-1
最先端の高級衣服に身を包む女性とアンドロイドを、発展期のジャズ音楽が迎える。
フォーギヴは、一九五〇年代のインテリアで飾った内装が魅力的なレストランで、店の規模は小さいが、満足度ランキングでは常に上位にランクインしている。
しかし、新しいもの
フェロウズ=オオモリ家にとっては商売敵になるのだが、店の雰囲気も客層も異なるし、なによりオニオンスープが格別に美味であることから、彼女はしばしば通っている。懐古主義者であるアシュリーの父が、最も気に入っている競合店でもある。
店内に友人たちの姿はなかった。
アシュリーとケヴィンは予約席に案内され、高級そうな
感情豊かで包容力のあるサクソフォンが先導する曲から、やかましいとさえ感じるほど情熱的なドラムスが印象的な曲へと移り変わると、音の成分をグラフに変換して分析しながら聴いているケヴィンが、他の客の迷惑にならないように、小さな音声で感想を述べた。
「この曲は面白いですね」
「そうね。珍しい感じ。でも、少しうるさいかも」
「音質が悪いのでなんとも言えませんが、収録時には相当な勢いでドラムスを叩いていたと思われます。製作された年代を加味すると、
「アシュリー、あなたはジャズが好きではないのですね。再生頻度が低いどころか、そもそもプレイリストにジャズが登録されていません」
「パパがずっと流してたから、あまり好きになれないの」
「そうですか。検索したところ、親が好きな楽曲に嫌悪感を示す人は多いようです。しかし、それと同じくらい、親が聴いていた楽曲を好きになる人も存在するようです。おかしいですね」
「親が聴いていた楽曲を好きになるなんて、嘘。信じられない」
「絶えず聴かされて食傷しただけで、曲そのものを嫌いになっているわけではないと推測します」
そのとき、向かい合って話し合うアシュリーとケヴィンの視界の隅に、見慣れた二つの人影が入り込んだ。
話を中断したアシュリーが上品に手招きをしながら、入口に立つ二人組に呼びかける。
「ここよ、シャラダ、トニ!」
「久し振りね、アシュリー!」
アシュリーは椅子から立ち上がって、両手を広げて向かってくるシャラダを抱き止め、そのまま抱き合いながら、後ろに控えるトニにも挨拶をした。
「久し振り、トニ。ハネムーンはどうだった?」
「もちろん楽しかったよ」
ケヴィンも椅子から立ち上がり、擬似表情筋を笑顔の形にしながら、会話の輪に入った。
「それは良かったですね、トニさん」
「やあ、ケヴィン。マデイラの海は綺麗だったよ。核汚染もないし、最高の場所だ」
三人は触れ合って再会を喜んでいるが、ケヴィンは握手すらしようとしない。
何故なら、護衛機能も搭載しているアンドロイドの手のひらの手首寄りの部分には、スタンガンのワイヤー針の射出口があるからだ。
前腕に内蔵されているスタンガンが暴発する可能性はゼロと言ってもいいほど低く、月が落ちてくるくらいに有り得ないことなのだが、不安や不快感を覚える人も多く、それを重く見たメーカーは、接触行為を禁止事項としてプログラムした。
ケヴィンも兄弟機と同様、プログラムどおりに拳を握って暮らしている。
育児家庭に身を置くアンドロイドが子供からフィジカルコンタクトを求められた際は、拳を作ったまま対応し、急に駆け寄られて止むを得ず抱き止める際は、手のひらを上に向けたまま抱くように定められている。
三人は席に着き、お気に入りの料理をオーダーしてから、花咲くであろう会話を再開した。
シャラダが、アシュリーとケヴィンを交互に見ながら言う。
「あなた達、いつも一緒よね?」
アシュリーは肩をすくめながら答えた。
「ロボット離れをするタイミングを逃しちゃったの」
「私も、人間離れをする時機を失しました」
ケヴィンの合いの手に一同が笑うと、ケヴィンの擬似表情筋も笑顔の形に変わった。彼は作物を育てることの次に、人の笑顔を作ることを愛している。
笑いの波が凪いだのを受け、トニが言った。
「うちのアンドロイドなんか、今ごろ家で掃除してるよ。連れて来たかったんだけど、私は掃除をしなければならないので御一緒できません、って言うんだ。俺の命令の優先順位は低く設定してあるから、母さんの命令を解除できないんだよ」
同情を表しながら、アシュリーが言った。
「それは残念。彼とも会いたかったのに。ああ、ちょっと待って。これじゃ、いつもの雑談と変わらないじゃない」
トニは苦笑いしながら同意した。
「確かに。じゃあ、マデイラの思い出話を始めようか」
三人と一体は、シャラダとトニの華やかなハネムーンの記憶を共有した。
時折、見つめ合いながら語る夫婦に、アシュリーはほんの少しだけ嫉妬を覚えながらも微笑み、ふわりと頬杖をついた。幸せそうな二人を見ていると、嫉妬すら心地よく感じられる。
シャラダはインド系の女性で、アシュリーとは大学の陸上部で知り合った。彼女は義足を使用している。
大学二年生の休み期間中にフリークライミングをしていた彼女は、手を滑らせて十五メートルの高さから落下し、右膝から着地して複雑骨折をしてしまったのだ。
後遺症が残るのは確実だったので、膝から下を切断してサイバネティックス義足を装着するようになった。
彼女は現在、何の不自由もなく生活している。
唯一の憂いごとは、これまで出場していたフリークライミング大会で、サイバネティックス義手義足の不使用部門への出場が出来なくなり、好敵手と張り合えなくなったことくらいだ。
自分の幹細胞を培養して作り出した足を移植する方法もあったのだが、神経が馴染むまで膨大な時間がかかり、神経伝達にも不安が残るので選択しなかった。
通常、手足の培養移植は、神経が馴染みやすい子供に施される。
シャラダの義足は脳波と筋電信号の両方を読み取って動く仕組みで、本物の足と全く同じように動かせるので、運動好きな彼女がサイバネティックス義足を選択したのは必然だった。
アシュリーの同級生には、他にも視覚障害や聴覚障害を持つ者がいたのだが、彼らも同様に、生体工学医療によって充実した生活を送っていた。
補助器具の画質や音質は、本物の目や耳よりもわずかに劣ってはいたが、二十一世紀初頭の高価なビデオカメラと同程度の性能を有しているので、目立った問題や不満が生じることはない。
医療と生体工学は平行して取り扱われるようになり、それによって培われた知識や技術は、あらゆる障害と闘う人々の支援に役立っている。
トニも同じ大学出身だが、シャラダから紹介されるまでは面識がなかった。彼はイタリアにルーツを持つ家に生まれたのだが、生粋のフランス系である母に似た顔つきをしている。
彼は十五歳の時に骨肉腫を発症したが、あらゆる医療技術によって完治した。
はじめに、本人の体内から各種の免疫細胞を取り出して、骨肉腫に対抗するための免疫記憶を強化させて培養し、それを体内に戻した。
次に、ガン細胞が増殖する際に利用される遺伝子を一時的に無効化するために、無害化したウイルスに偽の遺伝子を持たせ、運び屋として全身を巡らせ、ガン細胞そのものを弱体化させるという遺伝子治療が施された。
それと同時に、ガン細胞が免疫細胞を不活性化させる際に悪用する受容体を塞ぐ薬剤と、それによって活性化しすぎた免疫細胞が正常な細胞を誤って攻撃するのを防ぐための抑制剤が投与された。
これらの遺伝子治療と投薬によって、免疫細胞はガン細胞を存分に攻撃できるようになり、完治に成功した。
ガン細胞の増殖に関与する遺伝子は毛母細胞や生殖細胞などの増殖にも関わっているので、頭髪は無くなり、自然な形では子供を作れなくなったが、本人は落胆していない。
治療を終えたあと、テロメアを再構成した体細胞から毛母細胞と睾丸を培養して、移植したからだ。
クローン内臓製造技術が確立されてから、人類は内臓疾患に命を奪われにくくなった。
しかし、不老不死が実現したわけではない。脳の置き換えは禁止されているからだ。
そもそも、そのような技術が実現する見込みもない。脳に記録された人格や記憶情報を取り込むことは可能だが、そのデータを新たな脳に入力する技術が確立されていないのだ。
どれほど裕福であろうとも、最後は平等に死ぬ。
現代医療によって困難を乗り越えたシャラダとトニは今、幸せな時間を共に過ごしている。
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