第一章 1-3

 裾の長い大人びた緑色のワンピースを着て、髪を整えてメイクをしてからリビングに戻ると、そこには、ソファーに座って、膝の上に乗っているリルの背を撫でているケヴィンの姿があった。



「お掃除、ごくろうさま」



「お安いご用です。お風呂の湯加減はいかがでしたか?」



「ホーミィがうまく管理しているから、平気」



 寡黙なホーミィと饒舌なケヴィンとの差が、妙におかしく感じられて、アシュリーは思わず笑ってしまった。つられて笑みを浮かべながら、訝るケヴィン。



「どうしました?」



「なんでもない。そうだ、出掛ける時間まで、さっき言ってた昔の映像を見せてよ。もちろん立体映像でね」



「かしこまりました。では、部屋を少し暗くしましょう。ホーミィ、お願いします」



 会話を聞いていたホーミィが、望みどおりに部屋の明かりを抑えて、立体映像再生機を起動させた。


 アシュリーはケヴィンが座っている白いソファーに腰掛けて、胸を躍らせながら再生を待つ。



「では、再生します。私たちが初めて会った時、つまり、あなたが五歳の時の映像です」



 ケヴィンが記録データを立体映像再生機に無線送信すると、部屋の四隅に備え付けられた再生機器から、交差発光地点を設定された不可視光線がいくつも放たれた。


 その光線が交わった場所で可視化された光が映像を形成し始めると、すぐに幼い頃のアシュリーと両親の立体映像が浮かび上がり、そして動き始めた。


 ケヴィンの顔面にある二つの視覚センサーが捉えた記録映像なので、ケヴィン本人の立体映像は表示されない。立体映像は人の姿だけではなく、簡易的ではあるが背景も描写される。



「わあ、若い」



 目の前に映し出された五歳の自分を見たアシュリーは、懐かしさと恥ずかしさと楽しさに感嘆の声をあげた。


 イベントの際に記録した映像を再生することは多々あったが、フェロウズ=オオモリ家に迎えられた日の映像を流すのは、意外にも今日が初めてだった。


 ケヴィンは擬似表情筋を微笑みの形にしながら、映像の光を反射して色とりどりに輝く彼女の瞳をしばらく眺めた。


 そして観賞の邪魔にならないように、そっと囁いた。



「初めて一緒に観賞しましたね。毎年、たくさんの思い出が生まれるので、この映像を観る機会がありませんでした」



「うん。そういえば、旅行とパーティーの映像ばかり観てたね。それにしても、本当に変な感じ。あなたから見た私って、こんな感じだったんだね。あなたのことをちょっと怖がりながら、恥ずかしそうに笑ってる。感情がいっぱい」



「はい。どうして怖がっているのかと疑問に思い、インターネットで調べましたところ、子供がアンドロイドと初対面した際は、このように少し怖がるのが普通なのだそうです」



「気を悪くしなかった?」



「問題ありません。我々には、そのような人間的な感情はありませんので」



「そう、よかった」



 立体映像の中の幼いアシュリーが言った。あなた、おなまえは?



 立体映像の中のケヴィンが答えた。私の名前は……、ケヴィンです。



 立体映像の中のアシュリーの父が訝った。おかしいな。まだ名前を設定していないはずだぞ。アシュリーに名付けさせようと思ったのに、どうしてだ?



「あれ、ちょっと待って。停止して。変じゃない?」



 急に大きな声を上げたアシュリーの言いつけどおりに、ケヴィンは映像を停止させた。



「どうしたのですか、アシュリー?」



「パパが、名前を設定してないのに、って言ってた。あなた、自分で自分に名付けたの?」



「いいえ。私は、私の名前を記憶していたのです。理由は不明です」



「てっきり、小さかった頃の私が名付けたとばかり思ってた」



「申し訳ありません。傷つけてしまう可能性を考慮し、黙っていました。じつは、この映像を再生する機会を避けていたのは、このせいです。先ほどの農作業中に思わず口を滑らせてしまい、その結果、この事実を明らかにしてしまうという事態に陥ってしまいました。あなたが私に名前を与えていないと知った今、あなたは傷ついていませんか?」



「平気だよ。いいの、気にしないで。誰が名付けたとしても、あなたはあなたなんだから。それにしても驚いた。だって、普通は迎え入れた家の人が名付けるものでしょ?」



「はい。当時の私も疑問に思い、調べました。仰るとおり、その家の子やあるじが名付けるのが常です。自らの命名の経緯を記憶していないというのは、じつに不可解です」



「どんな人が名付けたんだろう。製造元の技術者かな。パパの親戚に訊いても無駄だよね。いくら経営者一族でも、そんな情報は探せないでしょうし」



「お考えのとおり、不可能でしょう」



「当然、そうだよね。でも、気になるなあ。誰が名付けたんだろう。もしかしたら、あなた自身かも?」



 アシュリーは冗談を言ったが、ケヴィンは笑わなかった。それどころか、眉間に皺を寄せたまま微動だにせず、何かを考えているようだった。


 違和感を覚えたアシュリーが問いかけようとしたその時、ケヴィンはいつものように、にこやかに答えた。



「そうなのだとしたら大変に興味深いことですが、私は何も記憶していません。これ以上、考えても無駄でしょう。では、続きを再生しましょうか?」



「うん、お願い」



 立体映像の一時停止が解かれ、思い出がまた動き出した。


 ふたたび輝き出す、アシュリーの瞳。


 しかし、それを眺めるケヴィンの擬似表情筋は硬い。




 じつは先ほど、自分で名前を付けたのではないかと冗談を言われたとき、彼の思考回路は酷い遅延を起こしていた。


 メモリの動作に不具合が生じたのを確認した彼は、自らを速やかに検疫したのだが、どうしても原因を把握できず、無理をして会話に復帰したのだった。




 このような思考回路の遅延やメモリの不具合は、今に始まったことではない。ある特定の記憶を読み込むと、必ず再発するのだった。


 彼の最古の記憶は、フェロウズ=オオモリ家の使用人となるために起動された時のもので、それ以前のことは微塵も覚えていない。


 高性能ロボット兵の機体から家庭用アンドロイド機体にコンピュータをまるごと流用される際に初期化され、まっさらな状態になってしまったからだ。


 初期化されているので不具合など出るはずもないのだが、自身の名前について思考すると、何故か必ずメモリに不具合が生じるのだった。


 何度も検疫しているのでウイルスではないことは確実だし、致命的なバグでもないので放置していたのだが、放置すべきではないことも理解していた。



 そろそろ本腰を入れて修復しなければなりません。



 そう思考したケヴィンは、スリープ状態に移行する前に深層まで自己修復を実行する、とスケジュールに書き込んだ。


 そして、心に引っ掛かるものを引きずりながら、映像観賞をするアシュリーに視線を戻した。


 外出予定時間になったとき、アシュリーは後ろ髪を引かれる思いで出掛けなければならなくなるだろう。そう予測したケヴィンは、外出までの時間内に彼女が満足できるように、面白い場面を的確に編集して上映した。




 懐かしい立体映像記録を観賞し始めてから、約二十分。


 時計の針は午前十一時をそうとしていた。



「そろそろ、シャラダさん、トニさんとの食事会の時間です。約束をしたレストランに向かわなければなりません。猶予は一時間です」



「ああ、時を忘れてしまってた。行きましょう」



「お供します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る