第一章 1-2
そんなアシュリーと思い出を共にしてきたケヴィンが、発見した雑草を引き抜きながら進言する。
「お父様に、畑をおねだりしてみてはいかがです?」
「自分で買えと言われて終わりよ。土地は高いんだから」
「いずれはいくつかの店舗経営も任されることでしょうし、努力して収益を増やし続ければ、土地の購入は可能です」
「あのね、私はパパに雇われてるだけの店長でしかないの。それに、ビジネスはそう簡単なものじゃないの。私の寿命が来る数ヶ月前に、やっと狭い畑が買えるかどうか……」
「あなたらしくないですよ。幸いなことに元手はあるのですから、実現できます」
高級洋服ブランド店のマネキンのような顔をしたケヴィンの擬似皮膚が、限りなく自然な笑顔の形に変わるのを見たアシュリーは、思い直して同じように微笑んで返した。
アンドロイドであるケヴィンの表情の変化は、じつに滑らかだ。人間の表情筋とまったく同じ配置で炭素繊維の束が組まれていて、理論上は人間と同じ表情を作り出せる。
体は護衛任務に対応するために防弾仕様となっているのだが、その表面は擬似皮膚に覆われていて、とても柔らかい。
擬似皮膚は青白く、大昔のファンタジー映画に出てくる耳の長い種族の肌のようだ。
擬似皮膚の色は選択可能なのだが、大抵はアンドロイド然とした青白いものが選ばれている。人間に近い色合いだと、人間と見分けが付き難くて気味が悪いと感じる人がいたり、子供が混乱して怖がってしまうからだ。
オプションで、擬似皮膚ではなくカーボン製や金属製のカバーを選択することもできるが、一部の懐古主義者や、物好きな単身者、悪趣味な歌手にしか好まれていない。
アンドロイドの瞳は人間と大差ないのだが、人間とは決定的に違う特徴がある。
保護液は眼球に細かい異物が入らない限りは分泌されないので、常に乾いた状態で、人間のように艶やかな瞳にはならない。擬似皮膚と同じくオプションがあり、フェロウズ=オオモリ家は薄い茶色を選択した。
擬似頭髪の色や型も選ぶこともできる。ケヴィンは、父が見立てた擬似頭髪を装着して、フェロウズ=オオモリ家にやってきた。
ダークブラウンの髪色をしたオールバックの擬似頭髪で、アシュリーは子供ながらに気品を感じ、大変気に入っていたのだが、しばらくすると、彼は擬似頭髪の取り外しを願い出た。その時から、ケヴィンはずっとスキンヘッドのままだ。
がっかりした幼き日のアシュリーは、その理由を父に尋ねた。
父が言うには、艶やかで滑りやすい擬似頭髪のせいで麦わら帽子が左右にずれてしまって農作業に支障が出るし、直射日光のせいで熱暴走してしまうとケヴィンが訴えるものだから、言うとおりに外す手配をしてやった、とのことだった。
アシュリーは、ケヴィンの自然な笑顔をしばらく眺めながら考えを巡らせ、そして約束した。
「たしかに、後ろ向きな考えは私らしくない。わかった。いつか畑を買うわ。実現してみせる。そのためには長生きしなきゃね」
「はい。それでこそ、あなたです」
一人と一体は、また笑顔を交わし合った。アシュリーは改めて思った。
やはり、ケヴィンの笑顔は特別だ。他のアンドロイドとは違う。気のせいだろうけれど。
アンドロイドの顔つきは、人間を模して精巧に作り上げられている。口も、鼻も、最も再現しにくい目も、人間と変わらない。
しかし、どこかが人間とかけ離れているように感じられる。本能が違和を呟き、無意識に警戒心を湧かせるからだ。
厳しい環境下で暮らしていた人類の祖先は、対峙する者の感情を表情から読み取ることで的確に交渉し、生き延びてきた。
アンドロイドの外見がどれほど精巧になろうとも、人類が命懸けで培ってきたその本能が、彼らを異物として分類するのだった。
アシュリーも例外ではないのだが、長年ともに暮らしているケヴィンは別だった。彼女には、ケヴィンの表情の全てが、人間と変わらないように感じられた。
「ありがとう、ケヴィン。あなたがいないと、私は私を忘れちゃいそう。ポジティブな性格が、私の売りなのにね」
「どういたしまして。こちらこそ、私を必要としてくださってありがとうございます」
アシュリーは友人たちを楽しませ、迷惑にならない程度に上手く愛し、感謝を忘れないようにして生きている。家庭用アンドロイドとの接し方においても、それは変わらない。
ケヴィンは使用人という立場だが、アシュリーから深く愛され、愉快で穏やかな日々を過ごさせてもらっている。二十年前からずっとだ。
ケヴィンは精密な手つきで農作業を実行しながら、丁寧に水やりをするアシュリーの横顔を視覚センサーで捉えた。
大きくなりましたね。素直で、いい子に育ちました。容姿は予測どおり、お母様に似ています。思ったとおりです。
「ケヴィン、どうしたの?」
突然の問いかけに、ケヴィンは視覚センサーの保護膜を二度ほど上げ下げして答えた。
「失礼しました。はじめてフェロウズ=オオモリ家に来た日のことや、はじめて一緒に農作業をした際に記録した映像を再生していたのです」
「アンドロイドはいいね。思い出が鮮明なんでしょう?」
「はい。無劣化で高画質。そして、立体映像です」
「羨ましい。今度、立体モニターに映してみせてよ」
「仰せのままに」
農作業を終えた二人が、階下のリビングに向かうために階段を下りていると、その足音を聞きつけた二匹の飼い猫が階段の下までやってきて、上目遣いで出迎えた。
お気に入りの白いソファーの上にいるよりも、主人と友人を出迎えることを選択した律儀な二匹は、戻ってきた二人の足元に近づき、まずはアシュリー、続いてケヴィンと、流れるような動作で頬と腰を擦り付けた。
一歳になる雌のリルとフロウは愛嬌が良いほうではないが、挨拶だけは欠かさない。
猫なりの意思疎通を終えると、ロシアンブルーのリルは気取った足取りで離れていき、その先に敷いてある絨毯の上に寝転がった。
もう一方のアビシニアンのフロウは、オープンキッチンに向かうアシュリーの顔を見上げながら付いていき、ビターチョコ色のバーカウンターの端にひょいと飛び乗ると、右の前足を軽く毛繕いしてから、一鳴き。
「あら、フロウ。おやつが欲しいの?」
「先ほど、私が与えました。過食は健康を害しますので、今日はもうあげられません」
「ちょっとくらい、いいでしょ。太ってるわけじゃないんだし」
「それはそうですが」
「一本だけ。ああ、リルの分も」
「分かりました。いいでしょう」
アシュリーはフロウの頭を優しく撫でながらカウンターの中に入り、冷蔵庫の中にある猫用のチキンの干物のパッケージを手に取り、中身を取り出してフロウにあげて、もう一本をリルに振ってみせた。
フロウよりも落ち着きのあるリルだが、食に対しては貪欲で、おやつを見ると
二匹におやつをあげたアシュリーは、今度は自分のために冷蔵庫から炭酸水を取り出した。
テラスに出て、風に当たりながら飲みたいところだが、今は日差しが強すぎる。人間と接するのが嫌いではないフロウにちょっかいを出して遊びながら、その場で炭酸水を飲む。
「アシュリー、私は階下の客間の清掃をして参ります」
「うん、わかった」
「お出掛けになる時間までには戻ります」
フェロウズ=オオモリ家が住んでいるペントハウスは、居住スペースが二層、屋上が一層という三層構造になっており、三人と一体と二匹の住まいとしては少々広すぎるので、ケヴィンはいつも清掃作業に時間を取られがちだ。
菜園の作物に続いて、自分にも水分を与え終えたアシュリーは、トレーニングと農作業で掻いた汗を流すためにバスルームへと向かう。
リルとフロウも付いてきて、入口の前で座り込むと、いつも通りに鳴き始めた。濡れるから行かないほうがいいよ、と言っているらしい。
服を脱ぎ、まずはシャワーを浴びて、それから湯が張ってあるバスタブに浸かる。
マイクロバブルが普及していない時代を生きずに済んでいることに感謝しながら、彼女は体を撫でて、汗と老廃物を綺麗さっぱり洗い落とした。
「ホーミィ、ほんの少し
「かしこまりました」
家庭内マネジメント・コンピュータのホーミィは返事をすると、指示通りに湯温を下げた。彼はケヴィンとは役割が違うので、雑談は一切しない。
長風呂をすると、肌が乾燥してしまう。風呂から上がったアシュリーはバスタオルを使って頭を体を拭き、使い終えたバスタオルを洗濯乾燥機の大きな口に放り込んで、部屋着に身を包んでバスルームを出た。
足元には、主人の体が濡れるのを心配していたリルとフロウが座っていたが、主人の体が乾いているのを確認して安心したのか、それぞれのお気に入りの場所へ歩いていった。
アシュリーは同じフロアにある自室に向かい、キューティクルを擬似的に作り出すバリア構造再現ヘアアイロンで髪を整えた。
今日の昼は、レストランで友人と食事する約束をしている。
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