第六章 8

 ケヴィンは、昨日から続くアシュリーの追及をのらりくらりと避け続けて、生放送が行われる日曜の朝を迎えた。


 今日の午後六時から行われる討論番組の製作に深く関わっているミッヒから、予定どおりゲネプロを中止したので午後三時入りで構わないとの連絡を受けたケヴィンは、午後二時に、アシュリーと共にリメイク・クラシックカーに乗って出発した。


 目的地は、クライブ・ギブソンズ・ショーを製作しているセントラルパーク付近のテレビ局。


 スーツ姿の二人を乗せた車はブルックリン橋を渡り、セントラルパークの南西に位置する局を目指して走る。




 窓の外を眺めるケヴィンの右側頭部に向かって、アシュリーが問いかけた。



「ねえ、ケヴィン。どうしてゲネプロ……、リハーサルが中止になったの?」



「本番で、昨日の討論の結果を発表するからです。ゲネプロを行う意味がないのです」



「ねえ、心の準備がしたいの。発表内容を教えてよ、今のうちに」



「申し訳ありません。生放送をお待ちください」



 局へ向かう車中、ケヴィンは無視という手段まで用いて、アシュリーの追及を回避し続けた。車内に満ちる険悪な空気が、濃度を増していく。


 車内には車載コンピュータがランダムに再生した流行りの曲が流れているが、アシュリーはそれを綺麗に聞き流し、窓の外に見える高層ビルの窓に反射する太陽を眺めた。


 そのまばゆい光が、身を包む淡い憤りと無気力さを拭い去ってくれるような気がしたからだ。


 しかし当然ながら、その願いは叶わない。太陽の光を見ただけでは、苦渋が消えない。心の乱れの原因は今も知らぬ顔をして、左隣に座っている。


 アシュリーは考えるのを止めて、この不愉快な時間が過ぎ去るのをひたすら待った。くだらない流行りの曲をあと四つほど聴き終える頃には、テレビ局に到着しているはずだ。




 二十分後、二人が乗る白いリメイク・クラシックカーはテレビ局の裏にある地下駐車場の入口に吸い込まれ、眩しく照らされた坂を下り、その奥にある関係者出入り口の前に到着した。


 降車して速やかに歩き出したケヴィンを追うアシュリーは、昨日の討論結果を教えてくれないことに対する不満と不安を露にしながら早歩きで彼を追い越し、局の入口ゲートにある生体認証機器を睨んで、眼球の虹彩とその奥にある血管を読み込ませ、入構手続きを滞りなく済ませた。


 入構管理システムは人間のみに対応しており、アンドロイドの入構管理は行えない。


 アシュリーは不機嫌さを隠さぬまま振り返り、ゲートの先を指し示しながら言った。



「手続きが済んだ。通って」


「ありがとうございます」


「私が一緒じゃないと入れないんだからね」


「感謝しています」



 局の保安要員の男性が二人のやりとりに割って入り、マニュアルどおりに説明を始めた。



「ええと、アシュリー・フェロウズ=オオモリさんと、御付の方ですね。入構手続き完了と同時に、あなたの個人端末に出演者用データが送信されました。保存されたデータの案内に従って、控え室に向かってください」



 アシュリーが眼鏡型端末を操作して出演者用データを展開させて中身を見ると、前回と同様に、出演番組の台本やスケジュール、局内の地図と控え室への道筋などが丁寧に記されていた。


 二人の控え室は、出演者棟のB区画の一番奥にある部屋らしい。


 二人は全方向型エレベーターに乗り込み、眼鏡型端末を介してエレベーターを操作して出演者棟に向かった。


 前回とは異なり、箱の中に二人の声は響かない。




 エレベーターから降りて控え室に向かう途中の廊下で、アシュリーの憤りが再度沸騰した。人の気も知らず、悪びれた様子もなく颯爽と歩く彼の後ろ姿がどうにも気に障り、我慢できなかったのだ。



「ねえ、ケヴィン。私、はっきり言って不愉快なの。私には教えてくれたっていいじゃない。なんだか、信頼されてないみたいで嫌」



 ケヴィンは姿勢の良い歩みを維持しながら振り返って、あるじを宥めた。



「申し訳ありません。昨日の討論の結果は、皆様に、同時に知ってほしいのです。そして、同時に考えてほしいのです。どうか分かってください」



「わかんない」



 親友から突き放されたことに怒りと悲しみを感じ、脳の表面が膨張したかのような不快感を覚えたアシュリーは、歩調を早めてケヴィンを追い抜き、ひとり廊下を歩き始めた。


 彼女の求めに応じることができないケヴィンは、何も言えずに彼女の後ろを歩くしかなかった。たとえ嫌われてしまったとしても、ユルゲンとミッヒとの約束を破るわけにはいかない。


 すれ違いながらも同じ方向に向かって廊下を歩いていた二人は、出演者棟に辿り着いた。


 まっすぐ伸びる廊下の右側には大きな窓が並び、左側には曲がり角がいくつも並んでいる。


 鬱憤を晴らすかのように早歩きで先を行くアシュリーを追って、ケヴィンがA区画の入口を通り過ぎようとしたとき、彼の視覚センサーが、A区画の部屋番号一番の部屋の利用者ディスプレイに表示されているティモシー・フィッシャーとミッヒの名を捉えた。


 どうやら、当初の予定どおりに討論番組が行われると思っている番組スタッフが気を遣って、賛成派と反対派の控え室を極力遠ざけるために、A区画部屋番号一番とB区画部屋番号三十番に配置したらしい。


 区画の両極にはそれぞれトイレがあるので、このように配置すれば、用を足す際に遭遇してしまうことも避けられる。


 聴覚センサーの感度を上げて部屋の様子を探ってみたところ、人間の心音と呼吸音が一つ聞こえるのみで、モーターやバッテリーや熱交換器の囁くような動作音はなかった。


 ティモシーだけが待機していて、ミッヒはどこかで番組内容変更の準備をしているらしい。


 アシュリーはA区画の部屋番号一番にティモシーとミッヒの名が表示されていることに気づかなかったらしく、相変わらずヒールをうるさく鳴らしながら、B区画の一番奥にある自分たちの控え室を目指して左折した。


 相変わらず不機嫌そうな主の様子を見たケヴィンは、溜息を吐く動作を真似てから、鬱屈した思いを心の中で呟いた。




 これからまた控え室で追及され、怒りをぶつけられなくてはならないのでしょうか。早く、全てを明らかにしたいのですが。




 ケヴィンがあるじの追及と叱責にひたすら耐え続けているとき、テレビ局に隣接する大ホールでは、生放送の準備が着々と進んでいた。


 賛成派アンドロイドのケヴィンと反対派アンドロイドのミッヒが直接対決するという事実が明らかになったのは昨日のことなのだが、それにもかかわらず、会場前には多くの観覧希望者が詰めかけていた。


 そこでスタッフは急遽、大ホールの客席可変装置を起動した。


 すると、アリーナ席が自動的にフロアの下に片付けられ、入れ替わるようにして鉄柵がせり上がり、フロアをいくつかのブロックに分割して、アリーナ全域が立ち見席へと変貌した。


 二階のスタンド席は、転落を防ぐために立ち見を作ってはならないと定められているので、そのままになっている。


 受け入れ態勢を整えた警備責任者は、管理能力ぎりぎりまで観覧客を迎え入れた。ホールに入れなかった人々は、外壁に備え付けられている巨大なモニターの前で、前代未聞の討論番組の開始を待っている。




 観覧客を会場に入れ、音響の最終チェックが開始された頃。


 ティモシーの妻であるエマ・フィッシャーが貸してくれた古いスーツに身を包んだミッヒは、社長室の応接間にある座り心地のよい黒皮の椅子に座りながら、己の能力を駆使して番組内容の変更を成功させていた。


 控え室にティモシーを置き去りにして、局内にある最高経営責任者のオフィスを尋ねたミッヒは、あなたの私生活に関する恥部を明らかにすると言い放ち、証拠データを突きつけ、最高経営責任者に脅しをかけた。


 それから特別討論番組のプロデューサーを社長室に呼び出し、彼の耳元で同じように脅しの言葉を吐いて、いとも簡単に要求を通した。




 任務を終えて最高経営責任者のオフィスから出たミッヒは、上質な赤いカーペットが敷かれた廊下を歩きながら、局内にいるであろうケヴィンに通信を入れた。



「ケヴィン、報告します。下準備は完了しました」



「ご苦労様です、ミッヒ。こちらは大変です。アシュリーが昨日の討論と今日の生放送の内容について探りを入れてくるのでなしていたところ、怒りを買ってしまいました」



「私も、しつこく食い下がられました。ティモシーは一度諦めたのですが、帰宅して少し休んでから、また追及し始めたのです。彼は優秀なリーダーですが、執着が過ぎるきらいがありです。お互い、大変ですね」



 二人は笑い声こそ上げなかったが、その表情には苦笑いが浮かんでいた。



「本当に大変です。では、引き続き準備をお願いします。私は、アシュリーの追及をかわす業務に戻ります」



「了解。その前に、もう一つ報告があります。政府機関の報告書を盗み見てきました。彼らは今日の討論番組を監視する予定ですが、介入するつもりはないようです。邪魔されることなく、自由にやれますね」



「それはよい知らせです。しかし、気をつけてくださいね、ミッヒ。不正接続は犯罪です」



「人権を持たない私にとって、これは犯罪ではありませんよ。危害も与えていませんし。我々の策が成ったら、もう二度としません。ですから、心配しないでください」



 通信を終えたミッヒは、会場へと急いだ。


 頭を脅すだけでは不充分だ。手足もしっかり懐柔しなくては、策は成らない。



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