第六章 6

 一週間後。


 討論による決闘が行われる、土曜日の早朝五時。


 セントラルパークに潜んでいたユルゲンは、キャップを深く被って人目を避けながらマンハッタン南東にあるブルックリン橋を渡り、その先のクリントンヒルにあるフェロウズ=オオモリ家を訪問して、アシュリーとケヴィンに合流した。


 二人ともスーツに身を包み、緊張した面持ちでユルゲンを出迎えた。


 それから、アシュリーの父が所有する高級自動運転車二台に分乗して、さらに南東に位置するイースト・フラットブッシュにあるフィッシャー宅へと向かう。




 前を走る白いリメイク・クラシックカーにはアシュリーとケヴィンが乗り込み、その後ろを走る黒い新車にはユルゲンが乗り込んでいる。


 車内は、まるで真夜中の森のように静まり返っていた。


 車載コンピュータを介して会話できるのだが、双方とも一言も言葉を交わすことはなかった。分乗した三人は決闘前の緊張感に身を晒しながら、流れゆく街並みを眺める。




 フィッシャー家の前に到着すると、ユルゲンがミッヒに通信を入れて、出てくるように告げた。


 ユルゲンが乗る黒い新車に、普段着姿のティモシーとミッヒが乗り込んだのを確認したケヴィンは、車載コンピュータのドライバーに出発指示を出した。


 次の目的地は、あらかじめユルゲンが入力しておいた座標だ。そこに何が待っているのかは、ユルゲンしか知らない。


 沈黙に支配された五人を乗せた車が、街をあとにする。




 皆が窓の外を眺めて緊張を和らがせているなか、ティモシーだけは視線を落とし、自身の拳を見つめていた。


 自身が始めた戦いが、盟友であるミッヒに委ねられていると思うと、どうにも釈然としない思いが湧き起こってきて、思わず拳に力が入るのだった。


 彼は何度も自身に言い聞かせて、その強張りをほぐそうとしていた。




 マンハッタンから南西へ、豊かな森を切り裂くように敷設された道路をひた走る。


 二時間半ほど走ってもなお、車列は止まらなかった。




 緑に取り囲まれてから三十五キロメートルほど進んだところで、車列が止まった。


 時刻は、午前八時三十分。


 森の緑と、空の青と、地の茶色と道路の濃灰色以外に何もない場所が、ユルゲンによって指定された目的地のようだった。


 討論による決闘を仕切るユルゲンが、同乗者であるティモシーとミッヒと、前方に停まっている車の中にいるアシュリーとケヴィンに告げる。ここに来てやっと、車載コンピュータを介した通信が役に立った。



「討論は、この森の奥でおこなう。いい具合の倒木が二本、並んで転がっている場所があるんだ。向かい合って対話ができるし、腰を据えて言葉を交わすには最適な環境だ。十三年前の逃走中に見かけたんだよ。


 静かだし邪魔が入らない、とてもいい所なんだ。きっと、その倒木はまだ仲良く寝転がっているだろう。


 その場所へは、アンドロイドのみで向かう。お二人は車内で待っていて頂きたい。我々はこれから、濃密な討論を効率よく行うため、データを送受信する形式で対話する。人間の言語を用いないので、あなた方が参加しても意味がないんだ」



 ティモシーは不快感を露にして、不躾に言い放った。



「おい、ここで待ってろと言うのか?」



「そうだ」



 ティモシーとユルゲンが乗り込んでいる黒い新車の内部に、わずかに殺気だった空気が満ちた。その様子は通信を介して、アシュリーとケヴィンにも感じ取られた。


 いくら面識がないとはいえ、悪くなった場の空気を放置するのは気が引ける。アシュリーはティモシーを落ち着かせるため、通信機能を介して、丁寧な口調で呼びかけた。



「人間とは比べ物にならないほど高速でやりとりをするんですから、しょうがないですよ。ユルゲンさん、どれくらいの時間がかかるんですか?」



 アシュリーの配慮に気づいたユルゲンは、申し訳なさそうに言った。



「すまないが、それは誰にも分からない。私も全く見当がつかないんだ」



「……そうですか。分かりました。待ってます」




 一同は降車し、やや重い足取りで森の入口へと向かった。


 森の前線の木陰に差し掛かったところで、賛成派の二人と反対派の二人は立ち止まり、神妙な面持ちで相棒と向き合って、それぞれのやり方で激励した。


 アシュリーは、ケヴィンが着込んでいる深い藍色の上質なスーツの襟とネクタイと中折れ帽の歪みを直してやり、ティモシーは無言のまま右手を上げて、ミッヒを送り出した。




 調停者の先導で、賛成派と反対派の象徴が戦場へと赴くのを見送った人間たちは、会話することなく、視線すら合わせずに、それぞれが乗ってきた車の後部座席へと戻った。


 高級車のドアが力なく閉められたことで奏でられた、柔らかな衝撃音が二つ、森に吸い込まれて消える。




 閑寂な森が、春風に揺れる。


 慎重なユルゲンが逃走経路に選んだだけあって、人通りは皆無に等しい。


 動くものは、森の緑と空の白だけだ。




 車内にはインターネットに常時接続されたモニターが備え付けられていて配信映像を自由に楽しめるのだが、アシュリーは一点を見つめたまま何度も溜息を吐き、娯楽に触れようとはしなかった。


 それは、後ろに停まっている黒い高級車の後部座席に座るティモシーも同様だった。彼もまた、討論の結果を案じるが故に思考が止まり、何もせずに高級車の座席に体を沈ませていた。




 フェロウズ=オオモリ家が所有する二台の車の横を、スポーツタイプの青い水素自動車が、規制ぎりぎりの排気音をばら撒きながら通り過ぎていく。




 三十分後。


 アシュリーは衝動的に、後ろに停まっている車に乗る敵対者に通信を入れた。



「フィッシャーさん。お話、よろしいですか?」



 虚を衝かれたティモシーが、驚きに身を乗り出して応答する。



「え、ああ、もちろん構わないよ。今日は車を用意してくれてありがとう。お礼が遅れてしまって申し訳ない。あの張り詰めた空気の中では、なかなか言い出しにくくてな」



「思っていた印象と違いますね。とても、何と言うか、普通というか。変なことを言って、ごめんなさい」



「あなたも、思っていたほど堅い人ではないようで安心したよ」



 お互いが紳士淑女を装い、上辺だけの親しみを込めて会話を交わす。当然、二人の距離が近づくことはない。



「あの、アシュリーさん。朝食は済ませてきたのかな?」



 彼女の長ったらしいラストネームを失念したティモシーが馴れ馴れしくファーストネームで呼びかけると、アシュリーはそれを気にも留めずに答えた。フェロウズ=オオモリ家の人間にとって、そのようなことは日常茶飯事だからだ。



「朝早かったので、トーストを一枚だけ。緊張のせいで食欲もなくて」



「俺もそうなんだ。ここに来る途中にあったダイナーで、何か食べないか?」



「そう、ですね。時間がかかるみたいですし。じゃあ、行きましょう」



 平時であれば反対派の男の誘いなど断るところだが、それを覆すほど、体が燃料を求めていた。


 アシュリーが車載コンピュータに命じると、二台の車は緩やかに旋回して、先ほど通り過ぎたダイナーに向かって走り出した。




 ダイナーの駐車場に停まった車から降りたアシュリーとティモシーは、ぎこちなく挨拶しながら合流して入店し、示し合わせたように席を一つ空けて、カウンターに座った。


 アシュリーはパンケーキとフルーツのワンプレート、ティモシーはクラブハウスサンドを注文し、少しばかりの会話をしながら食事をする。


 交わす言葉は自己紹介程度に留まり、共に行動しているアンドロイドとの出会いや、活動するに至った経緯について語り合うようなことはなかった。二人は一時的に行動を共にしているだけで、敵同士であることに変わりはないのだ。




 カウンターから見える店の奥の厨房には、食器を洗うアンドロイドの姿があった。


 雇用法に違反しているのだが、それは一般市民にとっては見慣れた風景だった。ただの家事手伝いだと言い逃れができるし、警察官もわざわざ追及しようとはしない。




 少し遅い朝食を済ませて店を出た二人は、二台の車にそれぞれ乗り込んで、広い駐車場に停車したまま、映画や音楽を流して過ごした。討論による決闘が終われば連絡が入るはずだ。




 アシュリーが観賞している二本目の映画が、終わりを迎えた。


 アンドロイドの討論が終わるのに要する時間は、人間たちの想定を超えた。


 二人とも、そろそろ連絡が来る頃だろうと眼鏡型端末を装着して待っていたのだが、昼を過ぎても連絡は来なかった。




 時刻は午後二時を回っている。


 二人はまた連絡を取り合って車を降りて、再びダイナーで食事することになった。連絡が来るかもしれないので、眼鏡型端末を装着したまま入店する。



「あの席にしませんか?」



 アシュリーが日当たりのいい窓際のテーブル席を指差して提案すると、ティモシーは二つ返事で同意した。


 二人とも閉鎖空間にうんざりしていて、窓の外にある自然を眺めながら休みたいと思っていたのだった。


 二人は同じハンバーガーセットを注文し、視覚的開放感と昼食を同時に味わった。




 窓の外に見える新緑の風景によって心も開放されたアシュリーが、気まぐれに会話を主導し始めた。


 車内で、抑圧された環境で育った殺人鬼の破滅と救済を描いた映画を観ていたことをアシュリーが告げると、ティモシーはその話題に食いついた。彼もその映画を鑑賞したことがあり、二人の会話は多少の盛り上がりをみせた。


 しかし、それも長くは続かない。相変わらず、彼らは敵対者同士だった。


 二人とも、食事や会話の最中に眼鏡型端末を使い、相棒の代理となって他州の組織と連絡を取り合っていた。




 食事を済ませたティモシーが、立ち上がりながら言った。



「車に乗せてもらったんだ、奢らせてくれ」



「そんな、自分で払います」



「礼をさせてくれよ」



 ティモシーは眼鏡型端末を通して、カウンターにある支払い受信機に目線を向けて会計を済まし、強引に借りを返した。


 店を出た二人は、車に戻る前に相談をした。当人たちは気づかなかったが、二人の距離は、遅い朝食を済ませた時よりも少しだけ縮まっていた。



「さすがに、もうそろそろ討論が終わる頃だろう。もう午後三時を過ぎた。あの場所に戻って、出迎えてやろう」



「そうですね、そうしましょう。対話ではなくデータを送受信して討論すると言ったから、人間の話し合いよりも早く終わるはずですし、きっと、もうすぐ終わりますよね」



 二人はそれぞれ車に乗り込み、アンドロイド達と別れた場所に向かって出発した。




 満腹感と車体の優しい揺れにまどろみながら、アシュリーは考えた。


 どうして私は、フィッシャーさんと対立しているんだろう。どうして対立しなくちゃいけないんだろう。


 アンドロイドは仕事を奪うようなことはしないのに、仕事を奪うなと言ってくるから、対立しなくちゃいけなくなってしまった。それは誤解だと言っても、聞き入れてもらえない。


 たぶん、向こうも同じことを考えてる。同じ憤りを覚えてる。だから、理解し合うことはない。でも、理解し合う努力だけはしていたい。




 アシュリーは車載コンピュータを介して、後方を走る車との通信を開始し、疑問を投げかけた。



「あの、ひとつ訊いてもいいですか?」



「構わないよ」



「どうして決闘を許したんですか?」



「あいつの意思を尊重しただけだ」



「負けたら、彼女が意思を発する機会を失うことになるんですよ。私たちの社会の未来だって大きく変わってしまうかもしれない。こんな方法、間違ってる」



「でも、あんたは許可し、彼を送り出した。俺もあんたも同じさ。俺たちは、あいつらの意思を尊重したんだ。俺はこう思うんだよ。この論争の主役は俺たちではなく、あいつらなんじゃないかってね。あんたもそう思ってるんじゃないか?」



「……そうかもしれません」



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