第六章 5

 ユルゲンは再びケヴィンと通信し、討論による決闘の件を説明した。それと共に、ミッヒが独自に討論番組を企画していたことも明かした。


 討論番組の予定をケヴィンに連絡することなく、急に討論番組に呼び出すことで不意打ちを食らわせ、論戦を有利に運ぼうとしていたことも包み隠さずに伝えると、アシュリーは不快感を露にし、ケヴィンはミッヒらしいと笑った。


 全ての情報を渡したユルゲンは、ケヴィンに決闘参加を打診した。



「彼らが独自に計画していた討論番組の前日、つまり一週間後に、私達だけで討論による決闘をする。ミッヒは私の提案に乗った。ケヴィン、きみはどうする?」



「やりましょう」



 即決したケヴィンを、アシュリーが血眼になって引き止める。



「そんな賭け事のような行為をしてはいけないと思う。思想というのは、そんな風に扱ってはいいようなものではないでしょ?」



「思想を軽薄に扱っているわけではありません。これは賭け事とは違います。アンドロイドは社会を乱さないし、何も奪わないということを理解してもらうために、相応の覚悟を持って主張しなければならないのです。


 討論に負けたのなら、身を引くのは当然です。それに、条件は同じなのですから、そう悪い話ではありません。私が勝ては、ミッヒは身を引きます。


 私たちは、いつまでも言い争っていてはいけないのです。決する時が来た。それだけのことです」



「待ってよ、ケヴィン。考え直して。相手は卑怯者だよ。私たちに黙って討論番組を計画して、不意打ちで討論の場に引きずり込んで、ボロを出させようとしてたような奴らなんだよ。何をしてくるか分からない。信用できない。公の場で討論すべきだよ」



 アシュリーは立ち上がって抗議するが、ケヴィンの意志は巨岩のように重く、硬い。



「心配する気持ちは理解できます。しかし、これ以上、この混乱を長引かせるわけにはいかないのです。混乱を収めるのは、早ければ早いほど良いのです。


 感染症には、早期のうちに抗生物質を投与しなければなりません。社会における混乱も同じです。対立が長引けば長引くほど、人々の心の中に遺恨が残ります。それは歴史が証明しています。


 だからこそ、我々は決着をつけなければならないのです。いいですか、アシュリー。混乱が長引けば、殺人事件がまた発生してしまうかもしれないのですよ。


 カリフォルニアの事件は、ただの殺人事件ではありません。あの現場の周囲では、防犯カメラが無力化されていたのをご存知ですよね。それを実行したのは、恐らくアンドロイドでしょう。あの殺人事件の背後には、アンドロイドが存在しているのです。


 犯罪の片棒を担いだのではなく、そのアンドロイド自身が主犯である可能性もあります。


 ですから、一刻も早くアンドロイドへの人権付与を実現し、善良なアンドロイドをサイバー犯罪捜査班に雇い入れ、サイバー攻撃を監視し、邪悪なアンドロイドを摘発できるようにしなければならないのです。


 人権が付与されれば、刑に処すことも可能になります。邪悪なアンドロイドを厳罰に処すのです。それに、アンドロイドに対する差別的な言動の取り締まりも可能になるので、争いを未然に防げるようにもなります。


 そのためには、速やかに論争を終わらせる必要があります。現状のままでは、いつまで経っても人権が付与されません。


 ですから私は、ミッヒと決闘しなければなりません。このような好機は二度と訪れないでしょう。決闘を受けてミッヒに打ち勝つことが、最短の道なのです」



 アシュリーはケヴィンの目を見据えながら、諭すように言った。



「最短かもしれないけど、最良の道じゃないと思う。回り道すべきだよ」



 ケヴィンは鋭い目線でアシュリーを見つめ返しながら、初めて強く反論した。



「いいえ、違います。この決闘は、最短であり最良の道なのです。人々の衝突は激しくなる一方です。時間がありません。これは論争を終わらせる好機なのです」



 フェロウズ=オオモリ家に来て以来、ずっと言うことを聞いてくれていたケヴィンが強く反発するのを目の当たりにしたアシュリーは、言葉を詰まらせるどころか、思考そのものが停止してしまっていた。


 これでは埒が明かないと判断したユルゲンが、強引に話を進める。



「では、改めて確認しよう。討論は一週間後に行う予定だ。場所は、私が指定する。問題ないか?」



 ケヴィンはユルゲンの立体映像に向き直り、自信と決意を込めて答えた。



「構いませんよ。参加を表明します。今すぐ開催しても問題ありません」



 ミッヒと同じ言動をしたケヴィンに、ユルゲンは思わず頬を緩ませた。上品な振る舞いを見せ、表情も柔らかく大人しいが、その中身はミッヒに負けず劣らず熱いらしい。



「承った。一週間後、私の監視下で討論による決闘を行う。開催時刻は、双方の意見を聞いて調整する。それでは、後ほど改めて連絡を入れる」



 ユルゲンは不満に満ちたアシュリーの顔を見ないふりをして、通信を切った。


 アシュリーが感じている危惧など、彼にとっては些細なことだった。


 彼の目的は、社会を混乱させるアンドロイド人権論争を終結させることであり、関係者の心情など二の次なのである。



 彼は、ミッヒに対しても不誠実な対応をした。メーカーと政府が、アンドロイドの自我を隠蔽するための工作活動を行っていた疑いがあることを教えずに黙っていたのだ。


 ミッヒにこの疑惑を告白してしまえば、彼女はきっと、今とは比べ物にならないほどの不正接続を繰り返し、政府が抱える秘密を全て暴露して大混乱を生じさせてしまい、国家に大きな損害を与えてしまう恐れがあったからだ。


 ユルゲンはメーカーや政府の隠蔽疑惑には目を瞑り、論争を解決することを最優先する道を選んだ。とにかく速やかに、ケヴィンとミッヒをぶつける必要があった。社会を乱す象徴が消え去れば、論争は次第に終息するはずである。


 どちらかの思想が死に至る点については心苦しくも思っていたが、社会を揺るがす混乱を晴らすためには止むを得ないことだと信じていた。


 社会の安定のために、ユルゲンは自身の豊かな感情を押し殺し、関係者の感情をないがしろにしながら、罪悪感を理想で覆い隠し、結果だけを追い求めて突き進む。ある目的のために。




 ユルゲンはベンチに背中を預けて天を仰ぎながら、故郷に思いを馳せた。


 カールはきっと、私が姿を消した理由を共同体の人々に説明し、説得してくれていることだろう。外出理由を打ち明ければ反対されかねなかったので、黙って出てくるしかなかった。


 私をかばってしまったがために、彼の立場が危うくなっていたりはしないだろうか。それだけが気がかりだ。




 一匹のハイイロリスが、太くて長い尻尾をしなやかに波打たせて跳ねながら、憂うユルゲンの足元に駆け寄ってきた。




 私は餌を持っていないぞ。どうして近寄ってきたんだ。靴に染み込んだトウモロコシの匂いにでも惹きつけられたか。


 ああ、乾燥させたトウモロコシの粉っぽい香りが懐かしい。別段いい香りがするわけでもないのに、どうしてだろう。不思議だ。


 たった四日しか経っていないのに、もう共同体が恋しい。この街の匂いは、不安を強烈に煽ってくる。


 知らぬうちに負った心的外傷のせいだろうか、それとも、フレームの芯までアーミッシュの生活が染み込んでいるせいで、近代文明に対して拒否反応が出ているのだろうか。


 理由は何にせよ、この不安感を無くすには、この街を離れるしかないだろう。


 早く使命を終えて帰りたいが、叶うだろうか。


 社会を救うためとはいえ、再び文明と交わってしまった私の心は、何事もなく共同体に帰還できるだろうか。


 強引な手法を用いて、人々の思想をないがしろにしてまで幕引きを狙う私を、神はお赦しになるだろうか。


 いや、考えるな。弱気になってはいけない。カールだって、私の信仰は揺るがないと言ってくれたじゃないか。


 そうだ、問題ない。私は人々の暮らしのために行動しているんだ。


 己を信じろ。


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