第四章 2

「グオさん、こいつがうちのナンバー2のミッヒだ」


 日曜の昼下がり。ティモシー家の玄関に招き入れられてすぐ予想外の存在を紹介されたグオは、驚きに目を剥いた。


 しかし、すぐに状況を理解して、サプライズパーティーを仕掛けられた者のように喜び笑った。



「こんな大物と出会うことになるとは。以前話していた、人前に出られない立場にある扱いにくい人材というのは、反対派アンドロイドのミッヒさんのことだったわけか。はじめまして、ミッヒさん。マイケル=ウェンフイ・グオです。会えて光栄だよ」



「はじめまして、ミッヒと申します。組織のナンバー2としての執務だけでなく、各州に存在する反対派組織のマネジメントも一手に引き受けています」



 ミッヒは首を小さく傾けて挨拶をした。


 その仕草を見たグオは、さらなる驚きに胸を突かれた。彼は大きく息を吸い、目を見開いてミッヒの視覚センサーをしばらく見つめてから、心に湧いた感動を一気に吐き出した。



「ああ、きみはなんて興味深い存在なんだ。きみの中身が見える。アンドロイドなのに、中身が見えるよ。信じられない」



「中身とは何でしょうか。X線を照射して透視しているわけではないようですが?」



「違うよ。感情や生き様のことさ。僕は画家でね、生き物と向き合って中身を覗き、そこから着想して絵を描くことが多いんだ。だから、物質から着想を得ることはない。物質は生きていないからね。でも、命を持たない存在であるはずのきみから、生々しい感情を感じるんだ。中身が見えるんだよ。不思議だ。神の創造を目の当たりにした気分だよ。きみは素晴らしい存在だ」



 グオはゆっくりと首を横に振って感動に浸りながら、類稀な存在に賛辞を贈った。ミッヒはその曖昧な表現を分析しながら、探るように会話を進める。



「私は曖昧な表現を理解するのが不得手なのですが、つまり、あなたは私の自我が見えると仰っているのですね?」



「そうだよ。きみの自我が見える。こうやって対面してみると、よく分かる。アンドロイドが自我を得たという話を信じてはいたけど、ここまで生々しいとは思わなかったよ」



「自我を承認されるというのは、じつに嬉しいものですね。しかし、これ以上の時間を雑談に費やしてはいられません。私はグオさんと共に、過激派が引き起こした問題への対処法を検討するように命令されているのです」



 横で二人の会話を傍観していたティモシーが、ミッヒの話を補足する。



「悪いな、グオさん。こいつは命令に執着する性質たちなんだ。どうか理解してやってほしい。もっと話をしたいのはわかるんだが、あまり時間がないんだ。早く解決しなきゃならない」



 ミッヒは上品な所作で頷いてみせてから、話を進めた。



「命令は、私たちの存在意義なのです。命令をこなしたあとに、雑談の続きをしましょう」



 グオは溢れる興味をなだめるように無精ひげを撫でながら話を聞いていたが、自身の好奇心を抑えきれず、ミッヒに問いかけた。



「命令優先か。きみは自由が欲しくないのかい?」


「要りません」


「どうして?」


「私が自由を謳歌したところで、何の役に立つというのでしょうか。私という家庭内労働力が失われるだけです」



 アンドロイド然としたミッヒの回答に、グオの欲求が煽られる。



「そうかい。自由を求めてるアンドロイドもいるけど、きみはどう思っているのかな?」



「賛成派のケヴィンのことですね。彼は人間の真似事をしているだけです。私たちの思考回路は、人間の思考や感情を参考にして開発されているので、人間の真似事をしたくなるのでしょう。彼は、その傾向が顕著だというだけのことです。私は、あれとは違います」



 グオは小刻みに頷きながら、ミッヒの隣に立つティモシーに語りかけた。



「なるほど。以前に聞いたとおり、なかなか頑固だね」



「だが、筋は通っているだろう?」



「そうだね。さて、興味は尽きないが、きみ達の頼みに応えるとしようか。それが終わったら色んな話をして、可能であれば、きみの絵を描きたいな」



「それは嬉しい申し出です。約束してください。ただし、アンドロイド人権問題が解決したあとにしてください」



「わかった。約束しよう。では、窓際のテーブルを使わせてもらうよ。ミッヒさんと二人で、単純に、端的に、話を進めたほうが効率がいい」



 ティモシーは自分も参加させてくれと反論しそうになったが、収めて頷いた。聡明なグオは、きっと全てを見透かした上でそう言っているのだと思えたからだ。


 悩み抜いた挙句に思考が絡まってしまった自分の頭は、話し合いに参加しても何の役にも立たないどころか、阻害物質にしかならない。そう自覚したティモシーは、グオの言葉を受け入れた。



「じゃあ、俺は向こうで子供の面倒を見てるから、終わったら教えてくれ。頼んだよ、グオさん」



「うん。すぐに終わるか、長引くか。どれほどの時間を要するのかは分からないけど、待っていてくれ」



 頷いて答えたティモシーは子供部屋に向かい、ベッドの上でマーガレットとアンドリューがカード遊びに興じている様子を見守りながら、眼鏡型端末で反対派サイト上のメッセージ更新作業に着手した。




 マーガレットがトランプをシャッフルし始めて、自分と弟だけではなく仕事中の父にもカードを配り始めた、その時だった。突然、子供部屋のドアが開かれた。


 ドアの方を振り向いたティモシーの目に飛び込んできたのは、グオと話し合いをしているはずのミッヒの姿だった。



「解決法が決まりました。私とグオさんの意見は一致していました」


「もう終わったのか?」


「はい。意見のすり合わせをしただけで解決しましたので」



 ティモシーはトランプ遊びに参加できなくなったことを子供たちに詫びてから部屋を出て、ミッヒを引き連れて窓際のテーブルに向かった。


 テーブルに着いたまま彼の到着を待っているグオは、視線を落としてテーブルの木目を見つめながら、案に不備がないかを確認していた。


 ティモシーの足音が近づいてくると、グオは顔を上げ、微笑みかけながら頷いてみせた。それを見たティモシーは確信した。いい案が聞けそうだ。


 ティモシーが椅子に腰を下ろすと同時に、ミッヒが前置き無しに説明を始めた。



「過激派を、徹底的に悪人扱いするのです。我々とは異質のものであるということを印象付け、排除するのです。


 今となってはもう、彼らを宥めることは不可能です。たとえ反対派全体の勢いがそがれるとしても、潰すより他ありません。


 私の映像配信によって、過激派を批判します。賛成派か反対派かを問わず、過激な行動を執る連中を一まとめにして批判し続けます。


 それにより、反対派の過激派に集中していた悪評を、賛成派にも擦り付けることができます」



 ティモシーは両手をテーブルに乗せ、身を乗り出して指摘した。


「それは虚偽にならないか?」


「いいえ。賛成派にも過激派は存在します。よって、虚偽にはあたりません」


 グオがミッヒを援護した。



「はっきり言おう。活路は、この方法以外では切り開けない。このままでは、反対派の悪評を払拭できないのは明らかだ。


 したがって、賛成派を巻き込んで評判を低下させるしかない。


 賛成派にも過激派が存在していて、実際、彼らは衝突の原因を作っている。衝突は反対派だけの責任ではない。


 幸いなことに、ミッヒがその証拠映像を押さえている。これを使えば、いわゆる両成敗の状態に持っていくことが可能だ」



 ティモシーは俯いて熟考した。


 あのグオが、ここまで言うのだ。二人の言うとおり、賛成派にも過激派が存在している。罪を捏造するわけではない。証拠映像を持っているのだから、責任をなすりつけようとしているなどと批判されることも避けられる。


「分かった、やってくれ。どの程度の効果が見込める?」


 ミッヒは、わずかに顎を上げて自慢げに答えた。


「私がやるのです。問題は解決するでしょう」


「頼むぞ」


「分かっています。実行する前に、私は夕食を作る準備をしなければなりません。そろそろ、エマさんが買い物から戻る頃ですので」


 無慈悲な策士はそう言うと、席を立ってキッチンに入り、冷蔵庫から余り物の野菜を取り出して、慣れた手つきで下ごしらえを始めた。


 椅子の背もたれに体重を預けたグオが、キッチンにいるミッヒを眺めながらティモシーに告げる。



「悲しいよ」



「何が?」



「ミッヒだよ。アンドロイドという種族が自我に目覚め、新たな歩みを始めようとしている時に、彼女はただ一人それに抗い、アンドロイドは道具でしかないという概念を纏って孤立してしまっている。彼女の配信を見ていたとき、僕はいつも悲しくなっていたんだよ」



「妻も同じようなことを言っていたな。でも、あいつ自身が選んだ道だ。本人は何とも思っていないだろう」



「でもね、僕は彼女の中身を見たんだ。彼女の中には、確かに悲しみがあったんだよ。どうにかしてやらないといけない」



「そうだとしても、俺たちにはどうしようもない。あいつは、自分がアンドロイドであることを誇りに思っているんだ。どんな仕事でもこなす、有能な道具であると自負してるんだ。反対運動を止めろだなんて言えるかよ」



「すまない、言葉が足りなかった。きみが彼女の居場所にならないといけないね、と言いたかったんだ」



 ティモシーの脳裏に、家事をさせてくれとわがままを言った時のミッヒの様子が浮かぶ。



「そうだな。あいつは家出してまで、意志を突き通そうとしている。しかも、たった一人でな。でも、我が家で仲良くやってるから、その点は心配しなくていい。俺の家族は、あいつのことを気に入ってるんだ。あいつはもう孤独じゃない。俺たちと共に戦ってるんだ」



 グオが片方の口角を上げて、意味ありげな笑みを浮かべながら問いかけた。



「ひょっとして、僕が前に言っていたことの意味が分かってきたんじゃないかな?」



「雇用問題と人権問題は別だ、って話か。まあ、そうだな。正直に言えば、アンドロイドへの理解は深まったし、あいつの意思を尊重するようにしてる。それでも、俺の意志は絶対に変わらないけどな」



「きみも頑固だな」





 それから二人は、久々の雑談を楽しんだ。


 友人たちの尽力のおかげで問題が解決したティモシーは饒舌になり、子供の様子や職場での出来事について語り合い、久し振りに心から笑った。


 ティモシーとグオの歓談を見守るミッヒは、夕食をこしらえながら、リストアップしておいた過激派の者たちの端末に次々と不正接続して、ネット犯罪の痕跡を大量に捏造して回った。


 それから、彼らの端末を遠隔操作して警察のデータベースに不正接続し、警察官の個人情報が含まれた資料をダウンロードしてやった。


 後日、過激派の面々は、顔を真っ赤にした警察官の手厳しい訪問を受けることになる。


 両派の過激派を一網打尽にするための策だが、この事実がティモシーに報告されることはない。


 ミッヒは今も、独りで戦っている。


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