第四章 真実

第四章 1

 マンハッタンに、雪が降り積もる。音もなく。論争に荒れる街を抱くように。


 洗練された大都会に降る雪は、道路の電熱消雪機能によって融かされて湯気となり、マンハッタンを霧の街へと変えた。


 街の喧騒は舞い散る雪のカーテンに遮られ、まるで人口が六分の一にまで減少してしまったかのように静かだ。


 郊外には、白いキャンバスに茶色い縦線をいくつか引いて、その上にブラシで緑色を少し散らしたような、神秘的な森の景色が広がっている。




 雪に彩られたニューヨーク州から遠く離れたカリフォルニア州に、アンドロイドをひたすらこき下ろす動画を配信している反対派の男がいた。


 二十六歳になったばかりのルーカス・アルドは、契約プログラマとして在宅労働をしていて、時折ネット配信をすることで孤独から逃避している。


 彼は今日もまた、口汚くアンドロイドを扱き下ろす。



「街の充電スポットを見てみろよ。アンドロイドがごちゃごちゃ居やがる。まるで、街灯に群がる蛾みてえだ。あいつらは俺たちの仕事だけじゃなく、美しい街の風景まで奪いやがるんだ。見苦しくて、充電スポットの近くを歩けやしない」



 ルーカスは孤独であるが故に、際限を知らない。



「あいつらはスクラップなんだ。兵器のスクラップなんだ。あんな連中が人権を得たら、どうなると思う?」



 彼に同調する観覧者がコメントを書く。



「好き勝手に行動し始めるに決まってるよ。俺たち人間は、仕事だけじゃなく土地も取られて、挙句の果てには命まで取られるんだ」



 男はカメラに向かって指差し、歯を剥きながら叫んだ。



「さすが、あんたはよく分かってるね。そのとおりだ。人間は殺されるんだよ。だって、あいつらは兵器なんだからな!」



 彼の口から唾が飛ぶのをカメラが捉えたが、彼は気づかないし、視聴者は指摘しようともしない。いつものことだからだ。



「まったく、嫌な時代に生まれちまったよ。もしタイムマシンがあるなら、アンドロイドの人工知能を人間に似せすぎた連中を撃ち殺してやりてえよ。それを許した奴らもだ。大昔の間抜け共の馬鹿な選択のせいで、俺らはこんなにも脅かされてんだ!」



 彼の背後にあるドアを叩く音が聞こえると、ルーカスは振り返って叫んだ。



「うるせえな、ババア。俺は今、大事な配信をしてんだから黙れ!」



 ルーカスはカメラに向き直り、深呼吸をして怒りを鎮め、ストレスのせいで痒みが生じた右の眉を掻きながら、視聴者に語りかけた。



「……はあ、みんな、申し訳ない。アンドロイドみたいな奴が家に居て、大変なんだよ。ああ、アンドロイドみたいな奴がでしゃばってきやがったせいで、アンドロイドの気持ち悪い肌を思い出しちまったな。本当に気持ち悪い色してるよな。それに加えて、あの表情だ。気味が悪いんだよ。何でか分からないんだけどさ、ガキの頃に見た、蛆虫だらけの野良猫の死体を思い出すんだよな。そう、生理的に気持ち悪いんだよ」



 脳波方式で操作するゲームのプレイ動画を配信しているルーカスは、下品だが痛快な語り口が若い世代の視聴者に人気で、それなりの視聴数を誇り、それなりに愛され、それなりに敵を作り、それなりに広告料を稼ぎながら、日々の愚痴をぶちまけていた。


 だが、品のない彼の声がインターネット上を駆け巡ることは、もう二度とない。爆死したからだ。




 ある日、彼はいつものように配信をしている最中に、配送業者からの宅配通知メールを受け取った。


 玄関先に電磁浮遊式の配送機が到着したのを知った彼は、すぐに戻ってくると言って玄関に向かい、言ったとおりに荷物を持って部屋に戻ってきた。


 大昔のフィギュアを集めるのが好きな彼は、視聴者に向かって知識をひけらかしながら、興奮によって震える手で荷物を開封した。


 みんな、驚くなよ。


 そう言いながら箱を開けた次の瞬間、箱の中で炸裂したパイプ爆弾から飛び出た金属片によって、彼の頭は血と肉と脂と骨に分解された。




 警察はクラシック・フィギュアの取引相手を重要参考人として取り調べたが、事件には関わっていないことが判明した。


 その後、被害者の通信履歴を調べていたチームの報告によって、配達完了メール自体が犯人による偽装であったことが明らかになった。


 犯人は偽装メールを送りつけて彼をおびき出し、玄関先に置いた爆弾入りの荷物を回収させたのだ。


 荷物は巧妙に細工されていて、送り主の欄にはクラシック・フィギュアの取引相手の名前が書かれており、伝票に内蔵された記録チップのデータにも同様の細工がなされていた。


 玄関の防犯カメラは不正接続によって無力化されていて、爆弾入りの荷物を置いた人物の姿は映っていなかったが、犯人が現場に足を運んだことは明らかだった。


 電磁浮遊式の配送機を使用して爆弾入りの荷物を置いた場合は、行政の無人航空機位置情報管理システムにデータが残るし、位置情報機器を取り外した違法な電磁浮遊機を用いた場合は、すぐに警察の小型無人航空機に回収されるか撃墜されるので、電磁浮遊機を用いた可能性は限りなく低い。


 犯人はその手で、もしくは地上走行型の小型ロボットを操作して爆弾を仕掛けたものと思われた。


 警察は現場周辺にある防犯カメラを調べたが、その全てが無力化されていることが判明し、捜査は完全に行き詰ってしまった。


 防犯カメラへのクラッキングの痕跡は見つからなかったのだが、犯人による工作であることは明らかだった。整備が行き届いている防犯カメラが、特定の地域で一斉に故障することなど有り得ないからだ。


 警察は、玄関の周辺や爆発物が入っていた箱と包装材を入念に調べたが、犯人は周到に証拠を排除して計画を実行したらしく、手がかりは一切得られなかった。




 その情報がマスメディアによって報じられると、犯人はアンドロイドなのではないかという噂が広まった。アンドロイドならば、有機的な痕跡を一切残さずに用意ができるからだ。


 その噂は一笑に付されることなく、奇妙な現実味を帯びて、人々の意識に染み込んでいった。何故ならば、被害者はアンドロイドに命を狙われてもおかしくはない言動を繰り返していたからだ。


 証拠が巧妙に隠滅された状況と動機を照らし合わせてみると、やはりアンドロイドによる犯行なのではないかという疑念が、誰の脳裏にも浮かぶのだった。


 彼の死はアンドロイド人権論争にも波及し、大きな影響を及ぼした。反対派が、この事件は賛成派アンドロイドによる殺人だと主張し始めたのだ。


 セキュリティーが極めて堅牢になっている現代において、周辺の防犯カメラを全て無力化するというようなサイバー攻撃を行えるのはアンドロイドだけだという反対派の見解は、何の抵抗もなく世間に受け入れられた。




 反対派が提示した犯人像が一人歩きをし始め、人々は激しく揺さぶられ始めた。あらゆる立場の人々が、それぞれの生活の合間に、テキストチャットで議論を展開する。



 アンドロイドが人を殺したぞ。



 どうしてだ。そんなことは出来ないようにプログラミングされているはずだろ?



 きっとバグだ。中身が戦争用ロボットだった頃に戻っちまったんだ。



 バグではないかもしれないぞ。自我を得たアンドロイドが、殺された奴の酷い言動に怒りを感じて、それで殺したのかもしれない。



 怒ったアンドロイドが、まるで人間のように人を恨み、殺人を犯したっていうのか?



 もしそうなら大変だ。アンドロイドは自我を得て、殺人衝動まで持つようになっちまったんだ。



 自我を得たアンドロイドは、人間と同じだよ。殺人鬼のアンドロイドが現れてもおかしくはないね。僕は全く驚かない。



 あんな人間なら、殺したって構わないわ。もし捕まったら、アンドロイドの殺人犯に恩赦を与えるべきよ。



 さすがに、それはまずいだろう。犯人のアンドロイドは、分別が付かなくなってる殺人鬼かもしれないんだぞ。殺された奴がどんなに酷い人間であろうとも、殺人は許されざる行為だ。



 もう嫌だ。人権を与えたら、アンドロイドはきっと自分勝手に振る舞って、俺たちを排除しようとするんじゃないか?



 アンドロイドはそんなことしない。みんな、どうして犯人がアンドロイドだと決め付けるんだ?



 証拠が残ってないからだよ。犯人が人間なら、絶対に証拠が残るはずだ。



 それはどうだろう。アンドロイドは人間に危害を加えられないようになっているんだから、狡猾な人間の犯行だと考えるべきだ。



 でもな、アンドロイドは自我を得たんだ。有り得ないことが起こったんだ。だからさ、人間に危害を加えられないプログラムなんか、無いに等しいんだよ。そんなプログラムは意味をなさないんだよ。お前こそ、人間が犯人だと決め付けるなよ。証拠を見る限りでは、犯人はアンドロイドである可能性のほうが高いんだからな。




 見えない恐怖に怯える人々は、反対派の言葉になびき始めた。対して、賛成派の勢いは日に日に落ち込んでいく。


 反対派は、畳み掛けるように流言戦略を展開した。それはミッヒの差し金だった。



『じつは賛成派の人間がやった』


『賛成派はアンドロイドに洗脳されている』


『賛成派は、アンドロイドに人権を付与するためなら人殺しをも厭わない』



 謎が疑念を生み、アンドロイド人権問題を巡る論争は、これまでとは異質の熱を帯び始めた。そして、反対派はその状況を最大限に利用した。賛成派は容疑を払拭することができず、ただただ忍耐を強いられる日々が続いていた。




 結局、犯人の正体が分からないまま殺人事件は迷宮入りする形となり、得体の知れない恐怖だけが残った。


 その恐怖は人々の心の中にこびり付き、反対派による流言によって膨張し、インターネットを介して多くの人々に伝染して、論争を次の段階へと押し進めてしまった。


 愚か者の血が、血の川を引き込む呼び水となった。




 ルーカス・アルド爆殺事件から三週間後。


 テキサス州オースティンで、重大な殺人事件が発生した。


 反対派の人間が、賛成派の人間を殺害したのだ。凶弾が放たれたきっかけは、アンドロイド人権問題を巡る口論だった。


 この事件は、あたかも論争の挙句に殺人が行われたかのように報道されたが、実際は違った。この殺人事件の背景には、長年に渡る近隣トラブルが大きく関係していたのだ。


 しかし、その情報は人々に正しく認知されず、扇情的な報道ばかりが行われていたせいで、アンドロイド人権論争によって生じた恨みで殺人事件に発展したと誤認してしまう人々が多く、その結果、賛成派と反対派の罵り合いがこれ以上ないほどに激化してしまった。




 冷静さを保っていた双方のデモ集団は、ついに全面衝突するに至った。


 警察は携帯式の三半規管振動波放射機によって暴徒の平衡感覚を失わせて鎮圧するが、それは気休めでしかなかった。


 三半規管振動波放射機の使用時間は法で定められており、五分経ったら一旦停止し、次の使用までは十五分の小休止を取らなければならない。


 加えて、一日の使用限度は一人あたり十回までと定められており、それ以上の回数を使用すると傷害罪で罰せられる。


 暴徒と化した両陣営の過激派は、十回に及ぶ激しい眩暈と吐き気を耐え抜き、それから暴力による主張を再開した。


 そうなっては警察も身を挺するほかなく、衝突の図式は三つ巴と化した。心中に渦巻く憎悪は、身体に刻まれる痛みと絡み合って、その体積を増していく。


 冷静なデモ活動は過去のものとなり、毎回、必ず衝突が発生するような状態にまで悪化してしまっていた。




 反対派の初期メンバーはこの状況を激しく憂いて組織の自浄を試みるが、過激派の人数は大きく膨れ上がっていて統制できず、デモの取り止めを検討せざるを得ない段階まで追い込まれていた。


 そんな中、過激派が突然離脱して、新たな団体を立ち上げた。


 しかし、その団体の寿命は短かった。


 彼らは所詮ならず者の烏合の衆でしかなく、主張のために仕方なく暴力を行使する者達と、純粋な嫌悪によって暴力を行使する者達の二つに分派した。


 特に後者は厄介で、これは戦争だと宣言し、得物まで持ち出してデモを行うほどだった。




 過激派の悪評は、善良なる反対派メンバーまでも巻き込んだ。反対派と過激派を混同した人々が、健全な反対派のことまで蔑視し始めたのだ。


 過激派は反対派から離脱して全く別の団体となっているのだが、その情報は世間に広く認知されておらず、そのせいで反対派全体の評判が下がり、ティモシー達の隠れた支援者である愛国建設組合も難色を示し始めるという事態に陥ってしまった。


 ティモシーが説明と説得を試みて事なきを得たが、愛国建設組合が支援を取り止める可能性が完全に消えることはなかった。




 ティモシーは頭を抱えていた。


 支援者が離れてしまうという心配のせいではなく、激しい対立によって暴力が慣例化してしまったことに誰よりも心を痛め、苦悩していた。


 彼が雇用問題に躍起になっているのは自身の金銭問題のためだけではなく、その先にある社会の混乱を防ぐためでもある。にもかかわらず、対立は己の手の届かないところで激しくなっていき、傍観することしか出来ずにいる。


 社会を安定させるために身を捧げてきた彼にとって、これ以上の苦痛はなかった。


 これではリーダー失格だ。どうにか出来ないだろうか。この際、頼れるもの全てを活用しなければならない。


 考え抜いた結果、反対派のリーダーはより良い組織運営のために、リスクを孕む重大な決断を下した。


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