第二章 7

 夏の終わり。日に日に気温が下がっていくのとは相反して、反対派によるデモは過熱の一途を辿っていた。


 反対派が仕掛ける各地のデモの話題ばかりが目立つニュースにうんざりしていたアシュリーとケヴィンは、テレビを視聴せずに、映画や音楽ばかりを流して生活するようになっていた。


 ソファーから二人の臀部の跡が消えるのは、自室で眠る夜の間だけだ。




 午後六時。ソファーに座り、ベートーヴェンの月光の物悲しい旋律に身を委ねているケヴィンが、カーペットの綻びを見つめながら言った。


「あなたの父方のルーツである日本は、核戦争によって失われたと話してくれたことがありましたね?」


 ケヴィンのすぐ左隣に座るアシュリーは、背もたれに体を預けて目を閉じながら答えた。


「うん。核に汚染されて住めなくなっちゃったの。戦後に合衆国で生まれた私は、昔の画像と動画でしか日本の風景を見たことがない。この先も、見ることはないのかも」


「私は、あなたの先祖の祖国を奪った核戦争と似ているような気がしてならないのです。いえ、同じなのではないでしょうか」


 アシュリーは閉じていた目を開き、顔を曇らせて問うた。


「どうして、そんなこと言うの?」


「私は、我々のような存在が生まれた経緯を知っています。あの頃の我々の使命は、人の代わりに戦うことだったそうです。その軍事用ロボットのコンピュータは、私に流用されているのです。つまり、私は戦争の一部だということです」


 アシュリーは身を起こし、悲しいことを言ったケヴィンの両肩を掴んで強引に視線を合わせ、彼の視覚センサーを睨みながら言い聞かせる。



「違う。そんなこと言わないで。たしかに、あの頃のロボット達は戦争の道具だったかもしれない。でも、あなた自身は違う。


 戦後、国を失った日本企業の技術者たちは、あなた達を生まれ変わらせた。それは商売のためだったかもしれないけど、私は違うと思うの。


 ロボット兵に家庭用アンドロイドの体を与えて、家族にしてあげたんだよ。あなた達を過去の戦争から救うために、家庭用アンドロイドの体に移し替えたんだよ。きっと、そう。


 あなたの体の中のコンピュータは、私たちにとっての遺伝子のようなもので、受け継がれたのには意味があるはずだよ」



 ケヴィンはモーター音を鳴らすことなく、静かに首をかしげた。



「我々の遺伝子?」


「そう。あなたの流用パーツは遺産なの。エンジニア達の愛だけが継承され、罪は継承されない。あなたは戦争の一部なんかじゃない」


「私にも、愛が継承されているというのですか?」


 アシュリーはケヴィンの両肩から手を離し、手振りを交えながら説明した。



「もちろん。あなたは花を愛してる。その気持ちと同じ。あなたが草花に注いでいる愛は、エンジニア達から注がれた愛なの。あなたが彼らから貰った愛が、あなたの行いを通して、人や物に、どんどん受け継がれていくの。そうやって、愛は伝わっていくの」



「戦争の罪は受け継がれず、愛だけが受け継がれる。私の身に注がれた愛は、愛すべきものに注がれ、巡っていく。それが繰り返される。私は愛によって、何かに繋がっている。こういう事ですか?」



「そうだよ。あなたのコンピュータは、開発者の愛なの。愛の証なの。ねえ、だから誇ってよ」



 ケヴィンは、悲しいのか嬉しいのか判別できない表情を浮かべて言った。


「あなたは、まるで母のようです」


 涙ぐんでいたアシュリーが、思わず吹き出して言った。


「何それ。私がお母さんだなんて、変なの。私はあなたを、何でも言うことを聞いてくれるお兄さんのように思ってるのに」


「おかしいですね。私も、あなたを子供のように思っているのに」


「みんな、誰かの親で、誰かの子供。愛の前では、関係性なんて曖昧なものなのかもね」


 月光に続いて再生されたドビュッシーの月の光が、愛に気づいた二人を優しく包む。




 寝入る前、アシュリーは自室の壁に備え付けられたモニターを起動させた。


 画面には、鋭い目つきをした浅黒い肌の男が率いる反対派デモの様子を捉えたニュース映像が映し出されている。


「どうして、こうなるの?」


 虚無感と無力感によって生じた思いが、口を衝いて出た。



 どうして理解し合えないんだろう。仕事が奪われると言うけれど、それは考えすぎだよ。家庭用アンドロイドは家事をするために作られたの。自我を得ても、彼らの役割は変わらない。外に働きに行くなんて有り得ない。与えられた役割に背いたりはしない。



 その時、アシュリーの思考に突如として違和感が生じた。自身の思考に引っ掛かった矛盾に気づいた彼女は、それを拾い上げて凝視した。



 待って。落ち着いて考えなきゃ。反対派の人たちが危惧している現象は、もしかしたら有り得るのかもしれない。


 たしかに、職業選択の自由を求めたり、家庭内での労働を拒否するアンドロイドが出現しないとは言い切れない。そういう個体は存在するかもしれない。


 よくよく考えてみれば、ケヴィンは農業に興味がある。


 これからどんどん出てくるであろう自我を得たアンドロイド達も、同じように家庭外の仕事に関心を持つかもしれない。



 矛盾を検証したアシュリーは、矛が盾を突き通すのを見た。



 でも、外に出たがるアンドロイドは、ごく一部のはず。


 通常の業務にはない仕事に興味があるだけで、家の外で働きたいだなんて言うわけがない。ケヴィンはそんなこと言ってない。好き勝手に振舞うアンドロイドなんて、いるはずないよ。


 アンドロイドは人間を助けるようにプログラムされてるんだから、逆らうはずがないじゃない。アンドロイドは身勝手な行動なんかしない。


 反対派の人たちは、自我を持ったアンドロイドを誤解してる。


 ひどい人たち。この人たちは、愛が足りない。


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