第二章 6
第三回デモから三日後。水曜日の夜。
暴動に発展しそうになったデモを沈静化させ、その後、完璧な指揮を執ってデモを成功させて以来、名実ともにリーダーとして広く認知されるようになっていたティモシーの元に、高く整った鼻に眼鏡型端末を乗せ、黒髪を後ろに撫で付けた清潔感のある髪型をした、身なりの良い見知らぬ男が尋ねてきた。
来客を伝えるコンピュータの声を聞いたエマは、夫がデモ活動をしている今、すべての訪問者を疑うべきだと考えて警戒しながら、ドア越しに応対した。
「何の御用でしょう?」
「ティモシー・フィッシャー氏は、ご在宅でしょうか?」
「夫は今、出掛けています。ご用がおありでしたら、組合のほうに――」
「エマ、構わないよ。きみは下がっていろ」
背後で待機していたティモシーが姿を現し、エマの肩を抱き寄せながら言った。エマは言われたとおりに部屋の奥へと下がり、振り返ってティモシーと男の様子を伺いながら、子供部屋に向かった。
ティモシーはドアを開け、警戒と威嚇の意を隠さずに訪問者を見据えながら言った。
「それで、あんたは誰だ?」
「私は、ロバート・ヴァローネと申します。弁護士です。本日は、愛国建設組合の代理人として参りました。管理人さんからも許可を頂いて、訪問させていただいております」
賛成派の建設会社経営者たちの手先か。
「帰ってくれ。話をしても無駄だ」
「お待ちください、フィッシャーさん!」
「知るか」
ティモシーが乱暴な動作でドアを閉めようとしたとき、焦ったヴァローネが早口で囁くように言った。
「愛国建設組合はアンドロイド人権運動に反対しています」
ドアノブを掴むティモシーの手が、ぴたりと止まった。
「それは、どういう事だ?」
「ここでは、ちょっと……」
ティモシーは速やかに愛国建設組合の思惑を分析したが、短時間では答えが出そうになかった。
「……入ってください」
ティモシーはとりあえず、この使者を受け入れることにした。
このアパートの入口にある保安システムを通ってきているのだから、銃や刃物を持っていないのは明らかであったし、殴り合いで負けるわけもない。つまり、危険はない。
部屋の主は、差し出された名刺を受け取って相手の素性を確認してから、愛国建設組合の代理人と名乗る男を招き入れた。
子供部屋のドアの向こうにいる妻に、客人を迎えたのでそのまま待機するよう伝えてから、リビングの窓際にあるテーブルに案内する。
ティモシーはコーヒーを機械任せにせず、自分の手で淹れた。キッチンに身を隠しながら、男をよく観察するためだ。
ヴァローネと名乗った男は、ブリーフケースを膝の上に乗せて中身を確認したり、それが終わると窓の外を眺めたりするだけで、別段変わった素振りをみせることはなかった。
問題なさそうだ。ティモシーは完成したコーヒーを運び、やっと席に着いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。先ほども申し上げたとおり、依頼主は愛国建設組合の人間でして、労働組合員と会合しているところを見られては困るということで、代理人である私が訪問させていただきました。改めて、依頼主の言葉を伝えさせていただきます。愛国建設組合は、アンドロイドへの人権付与に反対しています」
建設組合がアンドロイド人権反対派に回ることが、ティモシーには理解できなかった。建設業の経営者は、より有能で工期も短縮できるアンドロイドを優遇するだろうと思っていたからだ。
彼はその理由をすぐには訊かずに、ゆっくりと深呼吸をしてから、建設業者の損得を素早く検証し、導き出された答えを口にした。
「アンドロイドに賃金を払いたくはない、ということですか?」
ティモシーの的を射た回答に代理人のヴァローネは目を丸くしたが、すぐに瞬きをして誤魔化し、無意識のうちに漏れ出た軽侮を恥じながら話を続けた。
「仰るとおりです。話が長くなってしまいますが、どうかお聞きください。
まず、アンドロイドに人権が付与されれば、彼らは家事の対価を要求し始めるでしょう。当然ながら、所有者は支払いを拒否します。すでにメーカーに代金を支払っているわけですからね。
そうなると、ただ働きは御免だと言って家事を拒否し、家を出るアンドロイドも出てきます。
頭脳を使う職種には、新参のアンドロイドが入り込む隙はありませんので、彼らが行き着く先は、身体能力を最も発揮しやすい建設業や土木業になるでしょう。かなりの数のアンドロイドが、建設業界に流入してくる恐れがあります。
規制法は取り払われ、職業を自由に選択できるようになるでしょうから、彼らを喜んで雇い入れる建設会社が出現するのは必至です。
アンドロイドを多く抱えた建設会社に対抗するため、その他の建設会社もアンドロイドを雇わざるを得なくなります。
その結果、愛国建設組合に加盟するほとんどの建設会社が人間を解雇し、アンドロイドを雇うことになるでしょう。
アンドロイド自身が会社を設立して、建設業界に参入してくる可能性も充分あります。
包み隠さず簡潔に申し上げますと、愛国建設組合は、人間にしか賃金を支払いたくないと思っています。あなた方には家族がいるからです。
建設会社は金儲けをするだけの組織ではなく、間接的に合衆国の子供たちを養っており、未来永劫、そのような存在でありたい。私の依頼主は、このように仰っておられました」
この男は、じつに良い話を持ってきてくれた。
ティモシーは代理人を追い払わずに招き入れ、先ほどの蔑視に気づかない振りをして、最後まで話を聞いてやって正解だったと自身を褒めながら対話を続けた。
「ヴァローネさん、私が行動を起こした理由も全く同じです。全ては子供たちのためなんです」
「それは良かった。同じ志を持つ方々を繋ぐ仕事ができることを、心から嬉しく思います。私個人としましても、依頼主の言葉は、大変に心温まるものでした。企業が国民生活を第一に考えて行動するのは、じつに素晴らしいことです」
「同感です。頼もしい味方が現れたことを嬉しく思います」
二人の間にあった張り詰めた空気が掻き消えて、意志を同じくする二人の視線が、やっと綺麗に繋がった。
「愛国建設組合は、あなた方の活動費を負担したいと考えております。主に、移動費や雑費などです。ただし、それには条件があります」
「その条件によりますね。どのような内容ですか?」
ヴァローネは、胸がテーブルの淵に付かない程度に身を乗り出し、小声で言った。
「賛成を表明している議員に、圧力をかけてほしいそうです」
「どのような形で?」
「アンドロイド人権法案を出されないように、賛成している議員の事務所付近で反対デモをしてほしいとのことです。法案が出された場合は、自宅の付近でも実行してほしいと」
「厳しい条件ではありませんね。容易です。いずれは、そうするつもりでした。その条件だけで建設業者の団体から支援を得られるなんて夢のようです。しかも、建設会社の方々が自分と同じ考えをお持ちであることも分かりましたし、心強いですよ」
ティモシーの言葉を聞いたヴァローネは視線を落とし、大きな鼻から小さな溜息を吐いた。
「それがですね、フィッシャーさん。じつは、愛国建設組合は一枚岩ではないのです。
アンドロイドは睡眠と休息を必要としないので、長時間労働が可能です。つまり、工期が大幅に短縮されるということです。
それを売りにして契約を取り付けようと考えている経営者が、愛国建設組合内部にも複数名、存在しているのです。
そのような経営者が組合の幹部として名を連ねているせいで、私の依頼主たちは愛国建設組合名義でのデモ活動ができずにいます。
なので、このような形で、あなた方を支援するという手段を取っているのです。今後、あなた方の活動が、組合内部の賛成派から妨害される可能性もあります」
「そんな内部事情を、俺に話してもいいんですか?」
「協力関係を結べそうなところまで来たら話せと命じられました。その意図は不明です。経営者の勘というものなのでしょうか?」
ティモシーは、彼の依頼主たちの意図を推察した。
恐らく、同じように賛成派と戦っていることを知らせて仲間意識を起こさせ、より確実に協力関係を結ぶためだろう。
反対派のリーダーは、遥か遠くで同じように戦っている者達の期待に答えることにした。
「愛国建設組合の賛成派による妨害があったとしても問題ありません。覚悟はしています」
「素晴らしい。では、申し出を受けていただけるということで
「もちろん」
「安心しました。依頼主に良い報告ができます。この上なく強固な協力関係が築かれることでしょう。
愛国建設組合の反対派は、建設労働組合の反対派団体と契約を結び、金銭的支援を行います。つきましては、まずこちらの契約書をご確認いただいて、サインをお願い致します。
一枚目は、私が持ち帰ります。二枚目のほうは、フィッシャー様がお控えください。くれぐれも、紛失なさらぬように。
それから、この件はもちろん他言無用です。依頼主の方々は、あなたを信頼した上で、契約書に名前を書いておられますので」
ヴァローネはブリーフケースからクリアファイルを取り出し、その上に二枚の契約書を重ねて、ティモシーに差し出した。ここはオフィスではなくリビングなので、いつもやっているように契約書を
ティモシーは、世に出ることはないであろう契約書の内容を、隅々まで確認した。
意に沿うデモ活動が出来なくても違約金は発生しないが、資金援助が絶たれること。そして、この契約内容を意図的に漏らした場合は、多額の違約金が発生する旨が書いてあるのを見て、ティモシーは安堵した。
たとえデモの結果が芳しくなかったとしても、黙ってさえいれば違約金を請求されることはない。リスクは無いに等しい。
愛国建設組合反対派の意に沿うデモ活動ができなくても違約金が発生しないと明記されているのは、建設労働組合の反対派への誠意と信用の証であり、ティモシーもそれに気づいた。
契約内容に不備はないし、こちらにリスクは発生しない。
信頼できる。信頼もされている。
ティモシーは問題ないと判断してサインをした。
その書類には、建設会社の経営者と思われる人々の名前が、ずらりと並んでいる。愛国建設組合の政治に関わる者達にとっては、重要な機密文書であろう。
初めて、銀行の貸金庫を借りることになるな。そう考えながら、ティモシーは一枚目の契約書をヴァローネに返した。
「たしかに受け取りました。契約書にもあったとおり、資金は匿名で、あなた方の団体口座に寄付する形で振り込まれます。まず始めに、まとまった額の寄付をしまして、それ以降は、活動内容から見積もって追加寄付していくという形になります。万が一、資金が足りなくなった場合は、私に御連絡ください」
「ご配慮に感謝しますと、お伝えください」
仕事を終えた二人は、今後のデモの予定を確認し合い、それから握手をして別れた。
玄関の前でヴァローネを見送るティモシーの肩に、愛する妻の手が触れる。
「ティム、話を聞いちゃったんだけど」
肩に添えられた妻の手に触れながら、夫が少し呆れた様子で問う。
「盗み聞きしたのか?」
「詳しい内容は分からないけど、少しだけ。心配だったの」
「そうか。でも、心配いらないよ。ただの協力であって、悪い仕事を請け負ったわけじゃない」
「そうかもしれないけど、どんどん
「問題ないよ。契約書はしっかり確認した。契約内容にはリスクもない」
「間違いないの?」
「ああ、間違いない。俺は全てを把握して動いてる。何も心配ない。すべて必要なことなんだ。俺は、あの子たちを何としてでも幸せにしたいんだ。俺が得られなかった幸せを与えたいんだ。だから、彼らとの協力が必要なんだよ。分かるだろ?」
「分かるけど……」
ティモシーは両親の離婚後、父を憎み、母の愛に飢えながら、路上生活者や善意ある人々と共に手探りで生きてきた。妻のエマは、彼が父から受けた仕打ちや、酒に溺れた母のことを結婚前に告白されて知っている。
巨大な思惑が絡んできたことに恐怖を覚えたエマは、デモ活動から手を引いてほしいと願っているのだが、子供の未来のために戦う夫の気持ちも理解しており、どうしても引き止めることができなかった。
「なあ、エマ。俺はあの子達の良き父親でありたいんだ。だから、俺は戦わなきゃいけない。職を失うわけにはいかないんだよ」
「アンドロイドが人権を得たら、職を失うことに繋がるの?」
「前にも言っただろう。あれは被害妄想なんかじゃない。本当に、そうなるんだ。これからが本番だ。資金が入ったら、ニューヨーク州会議事堂前に遠征してデモができる。そのあとは、賛成派の議員たちに対してもだ。国も相手にしなきゃならない」
「無理しないで。あとで何をされるか分からないでしょ?」
「そんなことを恐れていては、何も守れない。エマ、俺は何も恐れない。家族の未来のためなら、何だってする。俺は決めたんだ」
ティモシーが起こした小さな火種は、揮発性の高い油を得て、激しく燃え上がる。
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