巡りゆく春の探し人

「変態さんは、どうしてこの町に戻ってきたの?」


 平たい石を川面に投げる変態さんに聞いてみた。石は回転しながら水面にぶつかって跳ねる。跳ねるたびに波紋は広がって、勢いがなくなると川の中に沈んだ。

 石投げという遊びだと教えてくれた。わたしもやってみたけど、一回も跳ねなかったからやめてしまった。


「実を言うと、人を探しているのですよ」

「ふーん。どんな人?」


 変態さんはまた石を投げた。投げ方をミスしたのか勢いが弱くて、一回も跳ねずに終わった。


「とても可愛らしい子で、といっても私と同じ年だから、四十前ですけどね」

「可愛いっていっても、もうおばさんになってるからそれだけじゃわかんないね」

「まあ昔の特徴も、今となっては変わっているかもしれないので、役に立たないかもしれないですけどね」

「可愛らしいってことは、女の人なんだよね。もしかして、好きな人だったの?」


 変態さんは何も答えなかった。

 沈黙が続いている間に、変態さんは石を三回投げた。けど一回も跳ねずに川の中に沈んでいった。流れていく桜の花びらが、なんだかひやかしているように見えた。


「そっか」


 わたしはそれだけをいった。変態さんの首の裏も桜色に染まっていた。内心では面白がっていたけど、口に出すと変態さんを刺激しそうだからやめておいた。ここでハッキリと口に出さなかったわたしは、ちょっとだけ大人になれたのかもしれない。


 大人にも、色々あるもんね。


「正直に話しますと、毎年この時期になると、桜木町へ帰ってきていたんですよ」


 変態さんは、振り返らずにいった。


「小学四年生の時、私たちのクラスが、春の精を励ます会を行うメンバーに選ばれました。授業ではもちろんのこと、放課後に集まって音読や歌の練習をしました。クラスのみんなでがんばる度に、絆が深まっていくようでした。でも私は音読も歌も、あまり上手にはできませんでした。私はそのことが嫌で、少しずつ練習をサボるようになりました」

「練習をサボるなんて、いっけないんだー」

「そうですよね。でもあの頃の私は、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかったのです。でもそんな私に、声をかけてくれる子がいたのです。一人だけこないなんて寂しいでしょって。私たちも寂しいから一緒にやろう。そんな風に言ってくれました」

「その子はすごくいい子だね。わたしだったら、ちゃんとやんなさい! って怒鳴っちゃうかもしれないな」

「その子にとっては当たり前のことだったのかもしれませんが、私にはとても嬉しかったのです。彼女こそが本物の春の精なんじゃないかとすら思いました。それから練習に復帰して、それなりに出来るようにはなりました。それで、私は決意したのです。春の精を励ます会が無事に終わったら、彼女に告白しようって」

「おおおおおー」


 なんだかテンションが上がってきた。わたしはまだ何もないけど、人の恋バナは大好きだ。女の子友達と女子会として集まった時は、恋バナでかなり盛り上がった。わたしと美咲ちゃんは何もおもしろいことはいえなかったけど、派手めの理沙は六年生のイケメンくんが好きっていってた。大人しめで黒縁眼鏡の詩織は、家庭教師のお兄さんと良い雰囲気だって。でも相手は高校生らしいけど、大丈夫なんだろうか。でも一番びっくりしたのは、普通だと思っていた舞子ちゃんは、先生と付き合っているとカミングアウトしたことだった。驚きのあまりにジュースはこぼれてお菓子は飛び散った。部屋の中がぐちゃぐちゃになるほど、わたしたちは騒いでしまったらしい。それ以来、先生と舞子ちゃんが一緒にいる時は、変に緊張するようになった。先生を見つめている時の、何かを求めるような気持ちが混じった瞳、何かをいいたげに揺れる口元。あれがきっと、恋をしている顔なのかもしれない。そう思った。


 その時ほどではないけど、やっぱり恋バナは盛り上がるのだ。


「でも、せっかく勇気を振り絞って決意したにも関わらず、果たされることはありませんでした?」

「えー、フラれちゃったの?」

「いえ、告白すら出来なかったんですよ。」

「どうして?」


 変態さんは、ゆっくりと顔を上げて、じっとどこかを見つめていた。

 わたしも視線の行方を追ってみる。多分だけど変態さんが見ていたのは、この川原で一番大きな桜の木。


「その年は大雪が降って、春の精を励ます会が中止になってしまったからです」


 変態さんに近づくと、瞳を半分伏せてポケットに手を入れてしまった。そして大きなため息をひとつついた。

 なんだかわたしもそんな気分になって、何かがきりきりとしめられているように感じた。きっと変態さんと同じような顔をしているのかもしれない。鏡を見なきゃ自分の顔なんてわからないけど、なんとなくそう思う。


 やるせないし、納得がいかないこともあって、わたしは質問をする。


「他の日に告白したりはしなかったの?」

「すれば良かったのかもしれません。けれども、あの頃の私はあのタイミングしか考えられなかったのです」

「そっか」


 変態さんには変態さんの気持ちがあって、どうしてもいいたいタイミングがあった。それはわたしがとやかくいえることじゃないように思った。


「それで、ますますタイミングが悪く、親の仕事の都合で私は一学期が終わるタイミングで転校することになりました。一度折れた勇気は元に戻らなくて、それ以来は一度も会うことはなく……三十年が経ってしまいました」


 三十年がどれくらい長いかなんて、わたしにはわからなかった。なんせわたしが生きてきた時間の三倍以上なのだ。全然想像もつかない。

 でもこの変態さんが、ものすごいおバカだってことはわかった。三十年以上も好きだった子のことを思い続けるなんて、よっぽどのバカじゃないと出来ないように思う。

 大バカ者で変態さんなんて、すごくかわいそうな人だと思う。


「変態さんはおバカさんだよ」

「あはは。そうかもしれませんね」

「三十年がどれくらいかはわかんないけど、相手だって結婚してたりもうどっか行ったりしているかもしれないのに、毎年ここにくるなんて、おバカさんだよ」

「まさか小学生に説教されるとは思いませんでしたね」

「ねえ変態さん。その人の名前って、あったりする?」


 もしかしたら、という思いがあった。そうだったらいいなとも、違ってたらいいなとも思う。

 だって、こんな偶然があるだろうか。たまたま出会った変態さんと小学生が、三十年振りの再会をつなぐかもしれないなんて。


 わたしは変態さんからの返事を待った。ハラハラと舞う桜の花びらが、不自然な感じで揺れる、変態さんの頭に止まった。

 春は出会いの季節だから、なつかしい人に出会うことだって、あるのかもしれない。


「はい。夏菜さんが夏の名前を持つように、春の名前を与えられていました」


 わたしの中で、とても嬉しい気持ちが強くなった。

 もしかしたらが、きっとに変わる。


「ねえ変態さん。お願いがあるんだけど」

「なんでしょうか?」

「明日の昼前に、大きな桜のところにきてくれないかな」

「どうしてでしょうか?」

「どうしても! もしかしたら、探している人に会えるかもしれないよ!」


 明日はちょうど、春の精を励ます会が行われる。今年はわたしも参加するから、サクラおばさんにも見にきて欲しいってお願いすれば、多分きてくれるはずだ。

 わたしの中では、もう完璧な計画ができあがっていた。


 けれど、変態さんの反応は予想していなかったものだった。


「実は、明日にはもう元いたところに帰ろうと思っていたのです。飛行機のチケットも今日にはとりました」


 変態さんは飛行機に乗れるんだろうか。

 そんな質問がうかんできたけど、今はそれどころじゃなかった。


「昨日はまだ、二、三日いるっていったじゃん」

「そうするつもりでしたけど、さすがに私もいい年です。いつまでもここに縛られているのも、みっともない様に思ってしまいました。それに、明日はとても寒くなるみたいですから」

「探している人に会いたくないの?」

「会ったところで、もうお互いに歳ですからね。もう告白するなんてできないと思いますし、いっそ会わないでいた方が、美しい思い出のまま幕を閉じれるんですよ」


 変態さんのいうことを、わたしはどうすることもできない。変態さんはもう大人で、なんでも自分で決めていいし、セキニンっていうものも自分で背負わなきゃいけない。大人たちがそういっていた。

 自分で決めたことをやってもいい代わりに、自分で決めたことは誰のせいでもない。それが大人なんだって、大人たちはいっていた。


 だけどわたしは納得できない。

 わたしにはわからないけど、キレイな思い出で終わることって、大人にはよくあるのかもしれない。わたしなんかじゃ想像できないようなけーけんがあって、やりたいことをやったりやれなかったり、それこそ色々あったんだと思う。

 わたしはまだまだ子供だと思う。気持ちのことじゃなくて、年はまだ子供だ。大人たちからしたら、まだガキなんだろうと思う。大人のことなんてなんにもわかんない。


 だから、わたしは納得ができなかった。


「そんなこと知らない! 大人のいいぶんなんてわたしには関係ない!」

「そう言って頂けるのはありがたいですが、これはあくまで私の問題です」

「自分のことだから関係ないって、大人はいっつもそういう! でもわたしはもう関係がある。アイスを二個も買ってくれたし、けっこう話もしたんだから、わたしと変態さんはもうお友達でしょ!」


 わたしは近づいて、変態さんの手を両手でつかんだ。石をもってたからか冷たかったし、少しゴツくて皮が固い感じがした。

 それでも、わたしたち変わらない人の手だった。

 変態さんは変態かもしれないけど、わたしと同じ手をしている。


「夏菜さん……ありがとうございます」


 変態さんはわたしの手をにぎり返した。そして頭を下げて、お礼をいってくれた。嫌味な感じは全然なくて、なんだかちょっと照れくさかった。


 けれど変態さんは、いきなり表情を緩めたかと思えば、にぎっていた手を離して背中を向けてきた。

 わたしが声をかける前に、変態さんは話し始めた。

 ふるえているように、見えた。


「夏菜さんの言ってくれたことは、とても嬉しかったです。でも、どれだけ理由をつけても、結局は会うことが怖いのです。だから、思い出は思い出のままでとっておくことにします……最後にあなたと会えて、とても嬉しかったです」


 声すらもかけさせてもらえないうちに、変態さんは早足で去っていってしまった。

 吹きぬけた風は冷たくて、桜の花びらをいっぱいうばっていた。ちょっとだけ寒くなって、両手で体を抱きしめた。

 暗い雲がすごい勢いで流れてきて、空はどんどんと暗くなっていった。雨がふる前みたいな、嫌な感じがした。

 顔を伏せると、何も見えなくなった。ピンク色の桜も、変態さんの姿も。

 悔しくて、なんだか気持ちが込み上げてきたのを、口の中をかんで耐えようとした。

 痛みはたしかにあるのに、それでも気持ちを押し込めるには足りなかった。


「変態さんのいくじなし……ばーーーーーーか!」


 わたしの精一杯の悪口は、多分誰にも届いていない。






 わたしは、今日あったことをサクラおばさんに話した。

 サクラおばさんはうなずきながら聞いてくれたから、とても話しやすかった。

 それで明日の、春の精を励ます会を見にきて欲しいとお願いしたけれど、「多分無理だと思う」って断られた。

 わたしはすねてそのまま自分の部屋に戻り、枕に顔をつっこんでちょっとだけ泣いた。でも別にわたしが泣く必要なんて何にもないはずだ。それはわかっているのに、なぜか悔しくて涙は止まってはくれなかった。

 一度のどがかわいて、キッチンに行こうと思った。でもまだサクラおばさんに会うのは気まずくて、見つからないようにこっそりと移動した。

 リビングから話し声が聞こえてきたから、スキマをのぞくと、サクラおばさんは誰かと電話をしていた。熱心な口調ではあったけど、何を話しているかまではわからなかった。これは見つからないチャンスだと思って、急いで水を飲んで自分の部屋に戻った。

 そして、いつのまにか寝てしまっていた。


 目が覚めたのは、朝の八時過ぎだった。

 時間を見た瞬間に飛び起きて、急いで服を着替えた。多分今までで一番早いんじゃないかってくらいに急いでいた。春の精を励ます会は、一度学校で集合してから桜並木に向かう。だから学校には行かなきゃいけないんだけど、集合時間は八時半だから、急がないと間に合わない。


 ドタバタ音を立てながら階段をおりると、サクラおばさんがリビングから出てきた。急がないと間に合わないから朝ごはんはいらないっていおうとしたら、サクラおばさんはびっくりすることを話し始めた。


 今日は大雪が降っているから、春の精を励ます会は中止になったって連絡が入った。


 わたしはボーゼンと窓の外を眺めた。


 春の精を凍えさせるように、真っ白な雪がふっていた。

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