変態さんと大人の色々

 気をつけるということは、ずっと意識してしまうってことで、意識すればするほどに気になってしまう。翌日の土曜日、お昼ご飯を食べて、すぐに家を飛び出した。行き先はもちろん川原だった。

 でもすぐ近くまで行ってしまうと危なそうだから、電柱の影に隠れながら観察することにした。桜並木は川に沿って続いているけど、大きさや花の付き具合はどれも同じものはなかった。桜は全部桜だって思っていたから、新しい発見に楽しくなる。わたしと美咲ちゃんは違うし、サクラおばさんとも違う。そんな違った部分を個性っていうみたいに、桜の木にだって個性があったんだ。


「こんにちは夏菜さん」

「ぎゃあああああああああああ」


 後ろから声をかけられて悲鳴をあげてしまった。

 電柱の脇からでて体を反転させる。声の主はやっぱり変態さんで、白いコートで前を閉じていたけれど、突き出ているのは生足だった。


 二メートルくらい距離をとって、両手で拳を握り、左手は前で右手は胸の前くらいに構える。テレビでやってたボクシング選手のモノマネだ。ファイティングポーズというやつだ。


「ははは。子供は元気があっていいですね」


 豪快に笑われて、ちょっとムッときた。全然動じていないようだ。

 わたしは睨みつける表情をつくって、殴る仕草を三回行う。気分だけなら世界チャンピオンだ。


「随分と警戒されていますね。私は何か非礼をしてしまったでしょうか?」


 本気でいっているんだろうか?

 本気でいっているんだろうな。


「ちなみに、白コートの下ってどうなってるの?」


 もしかしたら今日は変態さんじゃないかもしれないと、最後の望みをかけてきいてみた。白コートの下は、きっと普通に服を着ていて、ズボンはきっと男性用のショートパンツなんだ。それもちょっと気持ち悪いけど、はいているのならこの際それでもいい。

 万が一スカートとかをはいていたら……やっぱり変態さんかもしれない。


「格好ですか? 昨日と同じですが」

「ぎゃああああああああああああ」


 やっぱりこの人は、どうしようもない変態さんだった。

 わたしはまた一歩遠ざかった。


「おや、なんだか昨日よりも距離があるような気がしますが?」

「変態さんには気をつけなさいって、おばさんがいってたから」

「立派なおばさんですね。夏菜さんはあまり物怖じしない性格みたいですし、だからこそ警戒心を持つことは大切ですね」

「そういうことだから、変態さんには近づいちゃいけないんだよ」

「その通りですね。だから私は大丈夫です。自慢じゃありませんが、他人に対する態度は紳士的であるように努めておりますから」

「格好は変態さんだよ!」


 一見噛み合わない組み合わせかもしれないけど、変態と紳士の両方であることは可能なんだ。どれだけ言葉づかいが丁寧で、物腰が柔らかくても、格好が全てを台無しにしている。こんなこと、知りたくはなかったけど。

 知りたくはなかったけど!


 見つかってしまったので、隠れていた意味はなくなってしまった。気にはなるけど、近づきすぎると何が起きるかはわからない。

 しょうがないから、ここから立ち去ることにした。大人たちは多分、戦略的撤退とかそういった言葉をつかうはずだ。


「それじゃあ、急いでいるから」

「あっ、待ってください」


 きびすを返して立ち去ろうしたけれど、背中側から声が飛んできた。

 一応振り返ると、コンビニのビニール袋から何かを取り出していた。変態さんは取り出したものを見せつけるように掲げていた。都合よく太陽がすっぽりと隠れて、まるで後光が差しているように見える。


「ハーゲンダッツ、買ってきましたよ。アイス、お好きなんでしょう?」


 ハーゲンダッツで釣ろうなんて、やっぱり大人は卑怯だと思う。物を与えておけば子供が満足するなんて、甘い考えだっていってやりたくなる。

 いくらハーゲンダッツがわたしにとって貴重なものだからって、簡単に食いついたりなんかしない。ハーゲンダッツが食べられるのは、年に一回きり。お正月におじいちゃんおばあちゃんの家に行った時だけだ。パパとママの監視から離れて、近所のスーパーでこっそりとハーゲンダッツを買ってもらう。家に帰るまでに食べきらないと、パパとママが嫌な顔をするから、食べ終わるまで待っていてくれる。そんな一年に一回しか味わえない、至高の一品。

 わたしにとってのハーゲンダッツは、そんなに軽々しいものなんかじゃない。


「バカにしないで! ハーゲンダッツくらいで、釣られるわたしじゃないからね」

「……でもちょっと見過ぎではないですかね?」


 気のせいだと思う。

 絶対。


 変態さんは名残惜しそうな表情で、コンビニの袋にハーゲンダッツを戻した。


「夏菜さんがそういうにであれば、仕方ないですね。今の時期限定の、ストロベリーホワイトチョコレート味だったのですが」


 限定という言葉を、わたしは聞いてしまった。

 わたしの中で、何かがグラグラと揺れているように感じる。変態さんには近づかないという、鉄の掟を守ろうとするわたしは、限定アイスの攻撃にさらされていた。変態さん反対という言葉と、限定アイスという言葉が天秤に乗っかる。人生で一番不毛なことを天秤にかけちゃったのかもしれない。なんだろう、迷っちゃってる時点で、少し情けないように思う。


 変態さんは、わたしを見て勝ち誇るような笑みを浮かべた。迷っていることを悟られたのかもしれない。


「せっかく夏菜さんのために買ってきたのですが、いらないのであれば私が自分で食べてしまいましょう。それでよろしいですか?」


 嫌らしい笑みを浮かべられて、わたしは一瞬で頭が沸騰した。手玉にとってくるようなその態度が、心底気にくわないと思った。損得の感情よりも、怒りの感情が上回る。


「バカにしないで! わたしは別に欲しくもなんともないから。自分で好きなように食べればいいじゃない」

「……そうですか」


 変態さんは表情を一変させた。少し意外そうに目をひそめた姿が見れて、わたしは心の中で舌を出す。神経を逆撫でする怒りの感情も、ちょっとだけスッキリした。

 完全にすっきりとしていないのは、まだ心の片隅に残っている言葉があるからだ。

 限定。それは今しかない、甘美な響き。


「お気に召さなかったのなら仕方ないですね。呼びとめてすいませんでした」

「わかればいいんだよ。それじゃあわたしは行くけど、その前に」


 いつのまにか、遠ざかった足は元の位置に戻っていた。


「そのアイス、ちょっとだけ味見させてよ。五口もあれば終わると思うから」





 冬の寒さで凍えても、暖かい場所で食べるアイスはおいしい。もちろん春になってそこらじゅうが暖かくなっているから、今は最高のアイスクリーム日和だと思う。夏になれば暑さを紛らわすためにアイスは必要だし、秋の涼しさを感じながらのアイスも、やっぱりとてもいいものだ。

 つまり、アイスクリームは最強ということ。


「ご満足頂けましたか?」

「味見だけでも最高だね」


 きっちり五口で味わったら、もう全部なくなっていた。ちょっと贅沢に食べすぎたかもしれない。カップをひっくり返してみると、すくいきれなかった分が垂れているので、自分の口で受け止めた。早くなくなったことで、もっと食べたかったという気持ちが強くなって、そしてやっぱり寂しさにおそわれる。


 二日連続でアイスを食べられたことはとても嬉しい。けれど暴食の影響はきっちり体に出ちゃうことも知っていた。クラスメイトのチエミちゃんは、可愛らしくてよく笑うから、とても人気の女の子だったけど、それも去年の夏までだった。夏休みが終わった後に登校してきたチエミちゃんを見て、驚かなかった人はいないんじゃないかと思う。とてもおいしいトンカツ屋さんに連れて行ってもらったようで、すっかりとトンカツにハマってしまったらしい。つまりは激太りして登校してきた。そんなチエミちゃんは、男子からはデブミと悪口をいわれるようになった。でももっと恐ろしかったことは、チエミちゃんをかばう女子たちも、影では彼女をブタミと呼んでいることだった。女子って本当に怖い。唯一、なんだか変な男子の倉山だけは、彼女のことをトロミと呼んでいた。悪口には変わりはないけれど、他のみんなよりはちょっとだけセンスを感じた。でも倉山が彼女を見る目は時々怖い。給食でたまに出る唐揚げを見た時と、彼女に向ける視線の種類は一緒のように感じる。まさか、食べる気なのか?

 ともかく、目に見えて太ってしまうということは、学校生活では死刑に近いと思う。だから気をつけなければいけない。


 少しでもカロリー消費のため、運動がてらに川原を歩くと、変態さんもついてきた。どうせならわんちゃんとかを連れて歩きたいのに、隣を歩くのは変態さんで、ひどくがっかりした気分になる。まあでも、離れてとは強くいいづらい。なんだかんだいって、二日連続でアイスをごちそうになっているから、きびしくいうことはちょっとできそうにない。変態さんは変態さんで「一緒にいるわけでなく、たまたま同じところにいて、同じペースで動いているだけだから」とよくわからない言い訳をしていた。それくらいは許そう。


 今日も変態さんはよく喋った。見知らぬ小学生なんか相手していないで、お友達にでも会えばいいのに。でもきっと、今はいないんだろうなあ。

 今日の変態さんは会社の元上司が、いかに嫌なやつなのかということを語っていた。話を聞いていると、わたしもだんだんむかついてきた。元上司がとても嫌なやつであるように思えてきた。若い女子社員にはいやらしく迫って、気に入らない部下には仕事を押し付けたりするんだって。それで誰かが成功したりすると、ちゃっかりその手柄を独り占めしたりするそうだ。そんな状況に嫌気がさして、結局は仕事を辞めてしまったのだと、変態さんはしめくくった。


「どうしてみんなは、その上司にいけないことだっていわなかったの?」

「もっと上の人にこのことを伝えたりはしてた人もいたけど、結局は聞き入れられなかったんですよ」

「えーなんでー? 悪いことをしてるんでしょ? どうして悪いことをしている人がそのままなの?」


 変態さんの表情が、なんだか弱まったように感じた。なんだかとっても、悲しそうに感じる。その目は何かに似ていると思った。それはきっと、「大人には色々ある」っていってたサクラおばさんの目と似ているんだ。


「大人になっても、悪い人はいっぱいいるからだよ。いや、ちょっと違うかな。大人にもいいところや悪いところを両方持っていて、あんな人でも良いところはあるから、きっと悪いところだけを責められないんだ」


 その答えに、わたしはまだもやもやしていた。いっていることはわからなくはない。けれどわたしたちは学校の先生だけじゃなくて、パパやママからは悪いところは直さなきゃいけませんって叱られる。だから悪いところをきちんと直していって、大人になっていくんだと思っている。


「大人って、悪いところがないんだって思ってた。大人になるとちっちゃなことで悩まなくなって、子供じゃできないようなすごいことができるんだって」

「大人だって悩みはするし間違っちゃうことだって一杯ありますよ。完璧な人なんて、いないんですよ」


 それはきっと完璧な答えじゃないように思う。だけど、わたしはそれでいいような気がしていた。

 少なくとも、変態さんは大人がごまかしてしまう色々を、できる限り教えてくれようとしてくれた。そう感じたから。

 大人だからって、誰しも完璧じゃない。確かにそうかもしれない。これだけ紳士的なこの人だって、残念なことに変態さんなのだから。

 大人っていうものへの憧れはなんだかちっちゃくなった。その代わり大人になることへのよくわからない不安も、少しだけちっちゃくなった。だからあおいこ。


 チラッと変態さんを横目で見る。ひび割れた白コートの下では、昨日着ていた白ランニングシャツと白ブリーフ姿なんだろう。


 大人ってヘンテコだ。


 わたしは変態さんにバレないように、ちょっとだけ笑った。

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