サクラおばさんと変態さん

「理由は色々ありますけど……こんなに暖かいんだから、脱ぎますよね?」


 真顔でそういわれてしまうと、返す言葉もなかった。

 多分もうどうしよう変態さんなんだろう。今まで捕まってなかったのが不思議なくらいだ。もし前科がある人だったら……考えると怖いのでやめとこう。


「ただいまー」

「おかえりなさい。もう少しでご飯できるから、ちょっと待っててね、夏菜ちゃん」


 家に帰ると、明るくはずんだ桜のような声が聞こえた。少しぽやんとした、ママの声とは違う。美人で素敵な、サクラおばさんがエプロン姿で出迎えてくれた。

 サクラおばさんはママの同級生で、三日間だけわたしと一緒に住むことになった。パパとママが旅行に行っている間、わたしの世話をしてくれるというのだ。パパとママがラブラブなことは、たまに恥ずかしいけど、悪いことじゃないとは思っている。両親が離婚してから、なんだか心が荒んでしまったクラスメイトの佐竹をみていると、ちょっと安心する。そんなことを考える時、ちょっとだけ嫌な気持ちになる。

 いつまでも仲が良い秘訣は、パパとママじゃなくて、彼氏と彼女の関係に戻ることだって二人はいってた。もう今さらすねたりなんかしない。わたしもサクラおばさんも、こんなことには慣れっこなのだ。


 夕飯が出来るまで、リビングでテレビを見ていた。時々はさまれるニュースは少しだけ退屈だけど、どのチャンネルもお花見スポットを映し出していた。どんなにすごい桜を見ても、やっぱり近所の桜並木の方がすごいと思った。特に鉄橋沿いの大きな桜は特別なんだ。なんといっても、春の精が宿っているとびっきりの桜だからだ。


 おいしそうな匂いがしてきて、我慢しきれずキッチンに移動した。まず目についたのはサラダだった。カラフルな野菜がテーブルに並ぶことは少ないから、色とりどりのサラダはまるで宝石のように感じる。パプリカなんてママは買ってきたりしないから、とても新鮮だ。

 バジルソースのたっぷりかかったチキンパスタは、見ているだけでヨダレが出てきそうだった。

 手を洗って、二人してテーブルで向かい合う。いただきますと声を合わせて、まずはパスタにかぶりついた。あまりにもおいしくて、感想をいう前に一口、二口とどんどん口に押し込んでしまった。


「いつもよりちょっと濃いめに作ったんだ」と、いたずらっ子のようにサクラおばさんは舌を出した。わたしは親指を立てて嬉しさを表した。味が濃いものは健康によくないってママはいうけれど、たまには食べたいのだ。それに、ちょっとは濃いめのほうが、やっぱりおいしい。


 もぐもぐと食べている合間に、サクラおばさんとは色んな話をした。学校での友達の話をわたしがすることが多かった。最近男子たちが変に突っかかってきたり、女子をからかうことが増えたんだっていうと、サクラおばさんは豪快に笑った。男子にはそういう時期があって、成長には必要なんだって。けどわたしは、小突かれたりブスとかいわれたくないから、ちょっぴり複雑な気分だった。

 そして今度の日曜日、つまりは明後日に『春の精を励ます会』をやるんだっていった時、サクラおばさんは遠くを見るように目を細めていた。


「あの行事、まだやってるんだ。うわあ、懐かしいなあ」

「サクラおばさんが子供の時もやってたの?」

「そうなんだよ。もちろん夏菜ちゃんのママも参加してた。これはちょっとした自慢なんだけど、春の精の役をやったこともあるんだから」


 わたしはびっくりしてスプーンを落としそうになった。

 春の精を励ます会の演目の一つに、春の精をモチーフとした物語の音読がある。その中に春の精の役があって、毎年誰がやるのかという基準はよくわからない。けれど、選ばれるのは綺麗で目立つ子が多くて、わたしたちは春の精役は花形だと思っている。


「サクラおばさんすごーい」

「すごいでしょ。あたしがやった年なんて、もう凄かったんだから。クラスの男子のほとんどがあたしのことを好きだったと思うよ」


 得意げな表情は自信に満ちているようで、きっと冗談でもなんでもないように思う。

 多分サクラおばさんは、本当にモテモテだったんだ。


「さすがサクラおばさん。ぼんやりとしたママとは全然違うのに、仲がいいことが不思議だなあ」

「そんなに意外かな? ああ見えて君のママも、言う時は言うからね。それに仲良くなったのにはきっかけがあるんだよ」

「えーどんなどんな?」


 テーブルに身を乗り出して続きを期待した。お行儀は良くないかもしれないけど、気になるものは仕方がない。


「なんとね、君のママとあたしは誕生日が一日違いだったんだ!」


 思わぬ答えに、なんだか肩透かしをくらった気分になった。


「それだけの理由で?」

「きっかけなんて、案外そんなもんだよ。それに、星座占いなんかは同じページだから見やすいんだよね」

「そういうものなのかなあ」

「誰かと仲良くなるのって、どのくらい仲良くしようって考えないでしょ? 気が付いたら仲良くなってるものなんだと思うよ」


 話を聞いて、親友の美咲ちゃんのことを思い出した。幼稚園から一緒だけど、どうやって仲良くなったのかは思い出せなかった。

 きっかけなんてどうてもよくて、今も仲良くしているのなら、それでいいような気がした。


 でもそうなんだ。サクラおばさんはもうすぐ誕生日なんだ。ママの誕生日が四月十二日だから、その前後どちらかということになる。またママに聞いてみて、サプライズでお祝いしようと思った。サクラおばさんの喜ぶ顔が目に浮かび、ちょっとおもしろい気分になった。


 それからも、わたしは日常で起こったことを話して、サクラおばさんは盛り上がるように反応してくれた。そのおかげで、わたしもますます口が回る。


「そういえばね、今日川原でおもしろい人に会ったんだ。白のランニングシャツと白ブリーフ姿の変態さん!」


 口に出した瞬間、見えない何かが重みを増した気がした。空気にピシッとひびが入る。そんな感じがした。

 しまった。うっかりと口を滑らせちゃった。アイスを買ってもらったことで後ろめたさがあって、このことはいうまいと思ってたのに。


 とっさに顔を伏せたけど、気になるから見上げるように視線をあげた。


 サクラおばさんは般若みたいな形相をしていた。


「大丈夫⁉︎ その変態に何かされなかった?」

「だ、だいじょうぶだよ。白いコートが風に飛ばされちゃったみたいで、拾ってあげただけだから」

「コートの下は下着姿ってこと? 正統派な変態じゃない!」


 変態に正統派とかあったんだ。初めて知った。

 ところで邪道な変態って、どんなのなんだろう。


「通報……通報しなくちゃ。夏菜ちゃん、110番って何番だった?」

「落ち着いてサクラおばさん。変態さんは変態さんでも、いい変態さんだから。敬語でとても礼儀正しかったし」

「いい変態って何⁉︎ 常識的なところが余計に怖いのよ!」


 それは一理あるかもしれない。

 呑気に構えていると、サクラおばさんは両手でわたしの右手を包み込んでいた。眉が引き締まって、真剣な表情へと変わった。


「大人って、とても卑怯なこともするの。安全ですよって顔をしてても、心の中では何を考えているかはわからない。だから、簡単に信用しちゃいけないの」


 いつもよりちょっと怖い顔をしている。でもそれだけ真剣に話してくれているってことだってわかったから、わたしはうなずいた。


「わかってくれればいいのよ。でもまだ心配だから、その人のことを教えてくれない?」


 わたしはうなずいて、思い出せるだけの特徴を話した。

 年齢はママやサクラおばさんと同じくらいだと説明したところで、不意に会話が途切れた。

 どうしたんだろう。不思議に思ってサクラおばさんを見ると、なんだか変な表情をしていた。


「どうしたの?」

「な、なんでもないのよ」


 そうはいうけれど声はふるえていて、説得力は全然なかった。なんでもなかったらそんなに焦ったりはしないと思う。


「心当たりあるの……?」

「色々あるのよ、大人には」

「……ふーん」


 そういわれてしまうと、子供はだまるしかない。いいたいことはいわない、魔法の言葉。理屈とかそういうのをまとめて押さえ込んでしまう。

 大人って、こういう時ちょっと卑怯だ。

 パスタを多めに巻きつけて、乱暴気味に口へと運んだ。


「とにかく、変態には気をつけなさいね」

「わかりました」


 カラフルなサラダをぱきぱきと噛んだ。食べ慣れていないパプリカは甘くてちょっと苦い。

 なぜか思い出したのは、チョコミントアイスの味だった。

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