はるのうた

遠藤孝祐

女子小学生の春 変態の春

 春は出会いの季節だって、口を揃えて誰もがいう。

 そうだね、確かにその通り。

 でも出会いがあるからといって、全て嬉しい出会いばかりじゃないのだ。とても残念なことに。

 だって、最高に気分のいい桜色の中で出会ったのは、下着姿の変態だったのだから。






 春になると、色々なものが元気になるよねっ!

 明るくはずんだ声で話すのは、ママの友人であるサクラおばさんだ。サクラという名前に負けず、とてもはなやかで明るい人柄だ。四十才に近づいているのに、見た目がとても若い。いい年して(って口に出すとぐりぐりってされる)色のついた墨汁を滲ませたような、淡いスカートをはいている。そこからスラリと伸びる足は、同性ながらもおみごとっ! て頭を下げてしまいそうになる。三十年後のわたしが、あんな風に素敵なお姉さんになれるかなんて、まだ全然想像がつかない。

 清楚な感じのカットソーに、花柄フリルのミニスカート。遠くに見える山にまで届きそうな、張りのある声を飛ばす四十前。そんな若々しい女性に、わたしはなりたい。いつかきっと……今はまだいいけど。


 そうそう、サクラおばさんはなんか三つくらいのことをいっていた。その二つ目はたしか、春になると気持ちいいということ。花は咲き乱れて、空気はとても温かい。虫たちは活発に動き回って、なんだか心もウキウキしてくるって。

 わかる。その気持ちはとてもよくわかる。だからこそわたしは、いつもより可愛い服に挑戦してみたくなり、買ったばかりの肩口にレースの入ったホワイトTシャツを着て、ライトブルーのカーディガンをはおった。鏡に映ったわたしは、いつもよりほんのちょっとだけ可愛く見えている、気がした。思わず家を飛び出して、スキップのごとく川原沿いの堤防を歩き回る。うきうきと空を歩けそうな気分で、自然と口笛を吹いていた。でもうまくは吹けなくて、ところどころカスれた音が出るけれど、楽しかった。道端にはアーチみたいな桜並木が続いている。わたしはその真ん中を歩く。先日満開になった桜は、世界を祝福するように花びらを散らせていて、まるで映画の主役のような気分だ。主演女優賞を頂けちゃうかも。ってなんのだよ。


 でも現実は残酷だ。楽しい気分もここでお終い。川の水が海へと流れ出るみたいに、楽しい気持ちも流されちゃいそう。ちょうど桜並木も通り過ぎて、散歩道が途切れた先は海になる。これ以上、先にはいけない行き止まり。


 ふいに突風が吹き抜けて、風の勢いに目をギュッとつむった。春は暖かくて嬉しいけど、まだまだ寒い風は吹き付けるんだ。

 おそるおそる目を開けると、いきなり何か白っぽいものが横切った。空気とすれる音がして、地面に落下した姿を見てしまった。動いていた物が止まると、なんだか気になってしまう。

 落ちているものを眺めてみると、大人用の真っ白いコートだった。厚手の生地をしているみたいで、今の時期に着るのは重くて暑いだろうなあと、どこかの誰かを心配してみた。


 ふと思いついた。持ち主が近くにいたら、渡してあげなきゃいけない。桜木第一小学校、四年三組の今月の学級目標は『人に優しく』だから、わたしはそれを守ろうと思う。学級目標なんてバカらしいっていきがる男子との違いを、こういうところで見せつけたい。

 白いコートを拾ってみた。間近で見ると生地がところどころひび割れていた。真っ白というよりは、気持ちくすんでいる気がする。コートの持ち主は思った以上に長く使っていたのかもしれない。

 わたしは少し誇らしくなって、思わず口元がゆるんでしまった。このコートはきっと大事なものだ。届けてあげたら持ち主も喜んでくれるに違いない。わたしはなんて良いことをするんだろうか。


 くすんだ白いコートが、まるで表彰状か何かに見える。拍手かっさいを浴びるわたしは、先生や生徒の前でいっぱいいっぱいほめられるんだ。いやいやそんなにほめなくてもいいですよ。アイスか何かを買ってくれれば。


 アイス色にあふれた未来に、やる気が増してきた。

 白いコートを風にさらわれた、不幸なお方はどこなのかな?


「ちょいとそこのお嬢さん。私のコートを拾ってくれたのですか?」


 心地よく響く低い声が聞こえた。威圧するような声の質じゃなくて、穏やかで心をなでなでするような声だった。同年代の男子には絶対にだせない、本物の大人の声。

 一瞬にして想像が固まった。声の主はきっと、白コートとパナマハットの似合う、ザ・紳士といった姿をしているはずだ。常にレディーファーストを心がけていて、微笑みをくずさない。きっとそうだ。

 想像だけで、ちょっとドキドキした。でももし、想像よりも素敵な人だったらどうしよう。気絶しちゃうかもしれない。


 わたしは勢いよく振り向いた。

 想像の紳士の現実とご対面した。

 気絶しそうになった。


「これはまた可愛らしいお嬢さんですね。まずはお礼を言わなくてはいけませんね。私のコートを拾ってくれて、ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げる姿は、とても丁寧で好感触のはずだけど、背中に走った虫唾は抑えられなかった。嫌な汗で背中がかゆい。なによりも心が拒否している。


 なんせそのおじさんは、白のランニングシャツに、白の下着。もう四十に届きそうなその風貌で、未だに白ブリーフをはいているのだから、びっくりしてしまう。ほんとびっくりだ。びっくりでいっそ気絶したい。


 サクラおばさんがいっていた、三つ目のことを思い出した。


『春は元気になった変態が出るから、気をつけなさいね』


 気をつけてもどうしようもないことは、世の中にはあるもんだと思い知った。

 桜舞い散る中で出会った変態は、とても穏やかな笑みを浮かべてコートを手に取っていた。

 紳士的な態度で。

 でも下着姿で。

 わたしは防犯ブザーを持ってこなかったことを、とても後悔していた。

 変態の首元から、ちょろりと黒い糸が飛び出ていた。髪じゃないし、シャツの隙間を通っているから、きっと胸毛だろう。

 胸毛に視線を奪われた時、偶然にも桜の花びらが潜り込んだ。白とピンクは、お互いを引き立てあうような色だと今までは思っていた。

 ピンクの花びらに清楚そうなランニングシャツ。そして白ブリーフによる攻めたコーディネート。色合いは素敵なのに、認めたくない気持ちがある。

 白って清純なイメージの色だったんだけど、そうでもないんだなあと思い知った。






「実はおじさんはね、仕事を辞めたばかりなんですよ。それでいい機会だからと思って、昔住んでいたこの街に帰ってきたんですよ」

「そうなんだ」


 変態さんは、思った以上によく喋る。こちらが聞いたことに対して、聞いていないことまでベラベラと喋っていた。下着を見たくないから、変態さんに相槌をうつときは視線を上に向けていた。うなずいたり首を動かす時、不自然に髪の毛も揺れる。どうしてだろうと疑問に思った。けれど答えは見つからずじまいだ。


 わたしは適当に話を合わせながら、買ってもらったチョコミントアイスを少しずつかじった。パパとママも厳しくて、アイスなんて年に十回も食べられない高級品だ。工場に勤務するおじさんたち用なのか、川沿いの工場の前にはアイスの自販機が置いてあるんだ。コートを拾ってくれたお礼といって、変態さんはチョコミントアイスをおごってくれた。

 変態といっても、色んな人がいるんだと考え直した。アイスを買ってくれるこの変態さんは、いい変態なのかもしれない。


「そういえばお嬢さんのお名前を、まだ聞いていませんでしたね」

「名乗るほどのものじゃないよ」


 個人情報は大事だと、サクラおばさんもよくいっていた。

 変態に教える名前なんてありません。


「自分から名乗らないのは、フェアではないですよね。申し遅れました。私は植木うえきいつきと申します。あなたのお名前も、教えていただけないでしょうか?」


 丁寧な口調でいわれて、なんだかのどがつまった。ちゃんとした風にされてしまうと、こちらもきちんと返さなきゃいけないように思ってしまう。これだけ物腰はしっかりしているのに、どうして変態さんなのだろう。


「……夏菜かな

「夏菜さん、ですね。これからはそうお呼びしますね」

「うん……好きにすればいいよ」


 いい声で名前を呼ばれると、本当は気持ちいいはずなのに。なんだかすごくもったいない。

 せめてずっと目をつむっていようかな。下着姿が見えなければ、きっと素晴らしい紳士のイメージでいられるのに。


 花びらがおりてきて、鼻筋をなでるように沿って落ちた。ほんのりとした甘さと土のしぶみが混ざったような香り。これがきっと、春の香りだろうか。

 見上げると、ひときわ大きな桜の木で視界がいっぱいになる。他の桜からは隔離された、ひとつだけ特別な桜の木。

 鉄橋に寄り添うようにそびえたった桜の木には、春の精が宿るなんていわれている。


「夏菜さんは、春の精の話を知っていますか?」


 ふいにいった変態さんも、桜の木を見上げていた。


「知ってるけど」

「ということは、桜木第一小学校に通ってるんですか?」

「もしかしてへん、おじさんも通ってたの?」

「ええ。懐かしいですね。一つだけやたらと大きな鉄棒があって、あれを使って逆上がりができた人が勇者扱いされたものです」

「新しくなったけど、大きな鉄棒は今でもあるよ。男子がやたらとがんばってるのをよく見るんだ」

「あはは。やはりいつの時代でも、男の子というものは変わらないですね」


 変態さんは目をつむって、ほころんだ表情をしていた。とても絵になる光景だと思った。顔だけだったら。


「春の精を励ます会は、今でも行われていますか?」

「うん。やってるよ」


 春の精を励ます会は、この町で昔から伝わっている民話を元に行われている行事だって先生がいっていた。

 暖かな春の陽気と、川沿いの桜並木で有名な桜木町は、古くから桜の名所として親しまれていた。歴史ある偉い人が多数訪れたり、大名や将軍様といった権力者たちもお忍びで訪れたという話も残っている。

 でもある時、冷たい春が数年間続いた。原因が何かはわからなくて、自慢の桜が元気に咲かなくなった。満開にならずに七分咲きで止まってしまったようだった。桜が咲かなければ、お客さんもこなくなってしまう。桜が元気をなくしたことで、町もどんどん活気を失くしていった。


「そんな時、とある旅人がやってきた。珍しい客人に、町の住人たちは温かく旅人を出迎えた。歓待に快くした旅人は、町の住人にこう告げた。春の精が元気を無くしているから、みんなで励ましてあげなさい。春の精が元気を取り戻せば、長く続いた冬も終わるだろう。でしたよね?」


 わたしの説明に加えて、変態さんは続きを語った。今でもこのお話を覚えているなんて、少し意外だなって思った。


「そうそう。よく覚えてるね。それで町の子供たちが集まって、町で一番大きな桜の前で歌や踊りを披露した。するとひんやりとした空気が温められて、桜の花も咲きだしたっていうお話だよね」


 そう締めくくると、変態さんはうなずいた。どうしても見えてしまう白ランと胸毛。何か動きがあるたびに、変態さんの変態な姿が見えてしまう。


「以来、春の精に感謝と激励を送るため、毎年子供たちの中で春の精という題材の物語を桜の前で音読したり、歌をうたったりすることが行事として定着したんでしたね」

「おじさん、詳しいね。おじさんが子供の頃も、春の精を励ましてたの?」

「ええ、もちろんです。懐かしいですね」


 お喋りだった変態さんは、急に喋らなくなった。ただ黙って桜の木を見上げていた。何か言いたげに口は半開きだけど、何も言わなかった。表情はなんだか元気じゃなくなって、暗いような感じがした。


 わたしはとりあえずアイスをかじった。大事に食べていても、アイスは溶けてしまうからとっておくことはできない。名残惜しいけど、食べきらなくちゃもったいない。水になって溶けかけたアイスを見ていると、大雪の日に作った雪だるまを思い出した。一人で作ったから小型犬くらいの大きさにしかならなかったけど、雪二郎って名前をつけた。箸で手をつくってビー玉を埋め込んで目玉にした。緑と青を使ってオッドアイにしたおかげで、なかなかオシャレさんに見えたんだ。

 でも冬が終わって段々と暖かくなってくると、雪二郎は溶けていった。日に日に小さくなっていく雪二郎の姿を見て、胸の奥がきゅってなったけど、わたしは無視していた。

 形あるものはいつかなくなっちゃう。そのことがなんとなくわかっているけど、ちょっと寂しい。


 アイスを全部食べ終わって立ち上がる。お尻をパンパンと叩いて土を落として、カーディガンやシャツには汚れがないかをチェックした。うん、大丈夫そうだ。


「もう行ってしまうのですか?」

「うん。アイスを買ってくれて、ありがとうございました」


 変態さんに頭を下げるのもなんだかなあと思うけど、いい変態さんならなんだか許せる気がした。


 変態さんは、手を振って答えていた。


「いいですよ。あと二、三日はここにいると思いますから、気が向いたらきてくださいね」


 わたしは返事をしなかった。

 その代わり、ずっと気になっていたことを聞くことにした。


「どうしておじさんは、白ランに白ブリーフ姿なの?」

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