II

 ウィータによって拾われた子供は、驚くほどあっけなく村で受け入れられた。かつて人間、それも成人したものを連れて帰ってきたことがあるためだ。大層ひどいけがをして川辺に倒れていたのだとだというその男は、妻も子供もなく、また人の輪に戻ることに疲れていたために村の中で生涯を終えた。ウィータが生まれる前のことだと、同胞のひとりは語った。

 成人を受け入れるのだ。ウィータが連れて帰ったのはまだ親のそばを離れないほどの子供である。見るからに痩せていて、身体にはあざや切り傷が多数あったうえに高熱にうなされていた。虐げられていたのはあきらかだ。村のなかで、心配するものはいれど拒むものはいなかった。

 村の長のところでようやく捨て子の全身を見たウィータは、それはそれはかいがいしく世話をした。同胞の手を借りつつ、うなされているようなら添い寝をし、丁寧に体を拭き上げ、夢うつつで目覚めたときには適度にあたたまったミルクを飲ませる。子どもはずいぶん衰弱していて、目が覚めても碌な反応はなかったが、それでもウィータは懸命に寄り添い続けた。

 初めてのことだらけだったに違いない。彼らの体質から、病に侵されることなど七つまでを除いて一度もあり得なかった。子どもを育てたことのある同胞や、かつて人間の世話をした同胞を突然訪ねたこともあっただろう。人間には考えられないほど慎ましく、規則正しかった生活が大きく乱れたことだろう。しかしウィータは一度たりとも投げ出さなかった。心の内には、連れて帰った責任と、身体を案ずる心配のみがあった。

 子どもが固形物を食べだしたのが拾ってから五日後、笑顔を見せるようになったのがそれから三日後である。そのころには捨て子の名前も判明していた。ステルラ、星、という意味を持つ言葉であった。ステルラが元気になっていくにつれ、村の雰囲気も明るくなっていった。歩いてウィータの家から顔を出したときには、彼らには珍しく宴を開いたほどである。ウィータの喜びようと言ったらなかった。涙を流し、まだ骨と皮だけのようなステルラの体を抱きしめ、なんどもよかった、とつぶやいた。献身的であったようすから当然ではあったが、同胞たちは呆れたのだった。

 ステルラは水辺で死ぬものだと巫女プレケスに死期を読まれて、山のなかに捨てられた。ステルラはボロボロの体で山を歩き回り、あるとき川に落ちてそのまま村の近くにたどり着いたのだった。人間たちのあいだでは読まれた死期に準ずるのが良いとされていた。彼らはなお死期を守ろうとするステルラに死ぬことはないのだと言い聞かせた。

 いつ死ぬのかを予言される。彼らからすれば、それはさぞ羨ましかったことだろう。死期がわかったのなら、彼らは今のように死ぬために生きるような生活はしていなかったにちがいない。だが、人間たちの宗教で言うところの神に疎まれた彼らは、神の祝福を受けるとされるプレケスの恩恵を受けることができなかった。かつてプレケスに死期を読ませようとした同胞がいたが、特別な瞳に彼らの死期が映ることはなかった。

 その出来事から、彼らにとってプレケスとは取るに足らない存在になった。慕う神のいない彼らからすれば、プレケスとてただの人間である。もしかすれば、神になにか押し付けられたという点においては同情のようなものがあったかもしれない。だけれどそれのみであった。

 それに加えて、彼らにはしかとした分別があった。死に対する羨望はすれど、他の種族に押し付けることはしなかった。なにより、ステルラには生きる意志があった。ゆえに彼らは命を絶とうとするステルラを止めたのだった。

 ステルラは彼らに大層懐いた。ウィータに対しては言うまでもない。彼らが人間とは違うのだと知ってもその態度は変わらなかった。彼女は村へすむことを決め、彼女の身柄はこれまで世話をしていたウィータに一任されることとなった。

 はじめこそかつての扱いから怯えが見えていたステルラであったが、次第に持ち前の明るい性格を取り戻していった。人間たちが暮らす環境を思えば、彼らの村は住みよいとは言えなかったかもしれない。青空を仰ぐことはできず、風は少し湿り気を帯びていて、草木は少ない。全体的に薄暗い場所であった。それでも彼女はとろけるように笑ったのだ。細かに働き、子どもらしい無邪気さを見せる彼女を彼らはたいそう愛でた。ウィータはまるで娘が出来たような気持ちで、彼女を慈しんだのだった。

 人間であるステルラは、彼らとは比べ物にならない速さで成長した。背が伸び、年頃の娘らしく身なりを気にし始め、付くべきところに肉が付く。ウィータが連れて帰ってきたころのあの病的に細くみすぼらしいすがたとは見違えるほどに美しく育っていく。

 とうの昔に成長も老いも止まったウィータには、彼女はまぶしく映ったであろう。老いることは死に近付くことだ。ステルラが日を追うごとに目に見えて成長する姿は、彼に種族の違いを明確に表したに違いない。しかし、ウィータの態度は変わらなかった。自らが拾ってきたという責任感は薄れ、本当の娘に対する愛が生まれていた。

 変わったのは、ステルラのほうであった。

「あのね、私……ウィータのこと、すきだよ!」

 ステルラの年が十五を超えるころから、彼女はウィータにそんな言葉を向けるようになっていた。彼女は人懐こい質である。よくウィータに抱き着いていたし、親愛の言葉も頻繁に口にした。ゆえにウィータはそう重く受け止めることなく、今の内だけなのだろうと未来を思いながら同意の言葉を述べるに過ぎなかった。

 おかしいと感じ始めたのは、ステルラが見かけはすっかり大人に成長しきったころあいからであった。ことばが変わったのだ。

「愛しているわ」

 さしものウィータもこれには瞠目した。親に向けるものと意味合いが違うことに気が付いた。ウィータとて彼女を愛しているが、それはあくまで娘にむけるようなものであって、そこに甘やかな関係は含まれないのである。動揺しながらもそれまでと同じ言葉を返すと、ステルラは目に見えてふて腐れた。

 ウィータは同胞に相談を持ちかけた。かなり焦った訪問であっただろうに違いない。娘に恋情を向けられたのだから、ウィータの動揺はひとしおである。しかし押しかけられた同胞と言えば、彼を慰めることも落ち着けることもせずにただただ呆れた風体であった。

 曰く、村の者たちは前々からそれに気が付いていたのだという。けなげに愛を伝える少女を応援し、それにまったく気付かないウィータにため息をついていたらしい。彼らの村はそう大きくなかった。この話は村中が知っていることになる。ウィータは頭を抱えた。

 かくして四面楚歌であることを知ったウィータは、おぼつかない足取りでなんとか家に帰り、また愛を伝えてくる娘に言った。

「お前のことを娘のように思っているから、そんなふうには見れない」

 おだやかではいられなかった。娘と言っているくせに、父親のようには振舞えていなかった。そして、対したステルラはしたたかであった。

「娘がどうとかじゃないの。それはあくまで関係でしかないでしょう。それを取っ払って、私を一人の女として見てから答えをちょうだい」

 ウィータは頭を抱えた。かつてない難問であった。

 そうしてウィータが悩んでいるあいだにも、ステルラは美しさに磨きをかけて彼に迫った。息をするように愛を述べ、そばにいれば花が開くように笑い、かつての恩を返すように献身的にウィータに尽くし始めたのだ。否、尽くし始めたというのは正確ではない。彼女の行動は変わっていなかった。ただ、真相を知ったことでウィータの見方がかわったのである。

 そんな生活が数年続いた。ステルラが愛想を尽かせて出ていくこともなければ、ウィータが無理に彼女を追い出すこともない。同胞の視線はすっかり冷めきっていて、反比例するようにステルラの視線は熱を帯びた。

 ウィータはついにあきらめた。彼女を拾ったときのように、理屈をこねて考えることをやめたのだった。

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