トクサはドジだが、媒体と交流するのがうまかった。魔法使いとしてはとびきりの才能と言っていい。人間を相手にするように媒体に接し、ふれあい、そして、たまにふりまわされている。性根が優しいからだろう。媒体に個はないが、集合体としての意識は持っているために好き嫌いをする。みずから動くことはできずとも、トクサに魔力を通されたときは戯れのように腕に張り付いたり、転ばせたりしている。

 媒体を自由に操れるようになるための第一歩として少量の水を変形させることにした。朝ごはんを食べた後、家の外に出てまずはお手本を見せる。わたしの操る媒体が鳥をかたどって空を飛ぶのをみたトクサは、瞳を輝かせた後に意気込んで両手にたまる程度の水を浮かせることに成功した。うれしい顔をして気が緩んだのかすぐに落ちてしまったが、二度目、三度目と数回繰り返していくとすぐに浮かせられるようになった。媒体がトクサに意識を向けているのが伝わってくる。

 変形自体はすぐにできるようになっていた。二度目の弟子入りなだけあって、魔力がうまく媒体に巡っている。ただ、ここからが問題だった。わたしが操ったものよりも数段小さい鳥がしずくを飛ばしながら羽ばたいてそらをとぶ。やったあ、と声をあげて飛び上がるトクサを笑うかのように、鳥の形をした媒体は彼の真上で形をとくのだ。媒体は塊のままトクサに降り注ぎ、彼の、時を重ねた木の幹の色をした髪が濃くなる。それが何度も続いた。街の人間からもらった服はぼとぼとになっている。わたしは二度その水気を飛ばしたけれど、それも修行の一環になるのではと思ってからはやっていない。そろそろやり方を教えるべきだろうか。

 またもや 媒体のいたずらを受けたトクサは眉を下げこそすれど不貞腐れてはいないようだった。

「なんで高く飛んでくれないんだろう」

 媒体に嫌われているのかなあ。トクサはそう言って肩を落とした。それはない。現に今、媒体からは嫌な感情は伝わってこない。むしろじっと、次の指示を待っているような感覚さえした。それを伝えると、トクサは俯いていた顔をあげてはにかんだ。

「そっか。……ふふ、楽しんでくれてるのかなあ」

 また、人間にするように声をかけながら、トクサはしゃがんで水を両手に掬った。瞼をとじる。もう一度挑戦するらしかった。これが終わったら水気を飛ばすように言おう。そう思いながらじっと見ていると、トクサの手から魔力がにじみ出ているのが感じられた。これまでより、ずっと量が多い。彼の両手から滴った媒体が重みを無視して戻っていく。わたしの足元から、橋の下から、トクサの両手に水が集結していく。彼はそれに気がつかないまま、媒体に魔力を巡らせて、わたしが作ったよりも大きな鳥をかたどった。この鳥を飛ばせるのに、魔法使いはどれくらい魔力を使うのだろう。鳥が羽ばたいた。十分な魔力を得た媒体は、今までのように戯れることなく風に乗って大空を舞う。まぶたを開いたトクサは嬉しそうに声を上げた。

「! やった、でき、た」

 空を仰ぎ、彼はそのまま後ろに倒れた。魔力の使いすぎだった。人間は魔力を使いずぎると倒れるらしい。トクサの魔力量を計算しながら、わたしは彼の服の水気を取って家に戻ることにした。


   ***


 緑の街に雨を降らせた次の日、緑の魔女からたくさんの種が送られてくるのとともにわたしの街にいくつかの木が増えた。街の真ん中にある大樹にも花が咲いたらしい。黄緑の街に雨を送ることにした。風が吹けば、花はいつかは実になる。街の人間はそれを食べるのを楽しみにしているから、できるだけ早くがいいだろう。大樹にできる実は甘い。街の人間にもらって食べたことがある。食べきってしまえばいいのに、毎回彼らはわたしのところまで持ってくる。

 わたしはその実の名前を知らなかったけれど、緑の街にいたトクサはそれをよくよく知っているらしかった。

「りんご、いっぱいもらってきちゃった」

 外から帰ってきたトクサは、カゴいっぱいの大樹の実をかかえていた。赤い実と同じように頬を赤くしている。走って帰ってきたのかもしれない。りんご? わたしが首をかしげると、トクサは大樹の実を手にとって笑った。

「うん。りんご。あの大きな木ってりんごの木だったんだね! あそこまで育ったりんごの木は初めて見たよ。水がたくさんあるからなのかなあ?」

 水がたくさんあれば木は育つものなのだろうか。わたしは答えを持たないけれど、トクサはそれを求めているわけではないらしい。カゴを持ったまま台所に消えていった。

 あの木はわたしが生まれた時に緑の魔女が自分の媒体を操って成長させたものだ。わたしがこの世に生まれ落ちて初めて見たのは、真っ赤な夕日と緑の魔女だった。彼女は街の外でうまれたわたしを街まで連れて行き、そして大樹を生やした。りんご、というらしいあの実は、あのとき見た夕日によく似た色をしている。

 トクサはすぐに帰ってきた。両手に濡れたりんごを持っている。彼はそのうちのひとつをわたしのまえに置いた。

「切るのもいいけど、ぼくはかじるのが一番好きなんだ」

 えへへ、と笑いながら、トクサはりんごにかぶりついた。真似をしてわたしも赤色に歯を立てる。じゅわりと口の中に甘い汁が広がった。赤い皮があるのが不思議なくらいに淡い色をした丸い断面には、繊維を縫うようにして黄色の蜜があった。

 蜜たっぷりだ、おいしい、あまい、と感想をこぼしながらりんごを食べていたトクサは、種が見えたところでぱっと目を開いた。残った果実を急いで食べ終え、手で黒い種を取り出して手のひらに乗せる。

「ね。アサギちゃん、見てて」

 言われた通りに掌を見る。企むように口の端っこをあげたトクサは瞼を閉じて、空いた手を少し丸めて種の上に被せた。彼の魔力が動く。最近倒れたばかりなためか、かなり慎重に動かしているようだった。トクサの眉が寄せられる。魔力が掌の中心に集まっているのはわかるが、その中がどうなっているのかはわからなかった。自分の媒体じゃないせいだろう。なにをしようとしているんだろう。首を傾げていると、ぱちりとトクサの瞼が開いた。ぱ、と掌を退ける。彼の手の上には、大樹と同じ色をした首飾りがあった。

「できた! 首飾り!」

 トクサがそれを指でひっかけて持ち上げる。本来は金属や紐で作られるところは、蔦のように細い木が絡み合っている。たらりとぶら下がるのは、しずくを水面に落とした時にできる模様と同じだった。そのすべてが木でできている。わたしはその細やかさに驚いてしまって、口をぽかんとあけていた。

「驚いた? ぼく、細かいの得意なんだあ」

 ヒスイ様にもよく褒められてたんだよ。うれしい顔で、トクサが腕を伸ばしてくる。わたしの首に自分で作ったそれをかけて、また笑った。

「いつもぼくの指導をしてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします」

 わたしは首飾りを見下ろした。胸のあたりに落ち着いているそれに触れる。表面はなめらかで、やわらかい。でも決してやわではなかった。緑の魔女が送ってくる封筒の性質によく似ている。握って見ると、ほんのりあたたかいような気がした。

「……気に入ってもらえた?」

 わたしはずっと首飾りを見つめていたのだろう。そう尋ねてきたトクサの声はゆらゆらとして、さきほどまでの明るさはなかった。気に入ったかどうか。これまで特別好んでつかったものはなかった。わたしの行動はすべて研究ありきのものだ。研究をするのに必要だから、研究の一環だから、長く使ってきたものはそればかりだ。この首飾りは、研究に直接役立つわけではない。この媒体をわたしは扱うことができない。

 だけれど、壊したくないと思った。このまま身につけておこうと思った。ふわりと胸が軽くなったような気がした。これが気に入ったということなのであれば、そうなんだろう。

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