東屋で密会

水沢妃

東屋で密会


 ねえ庭師さん。――そう、あなた。

 ……え? 特に用はないのよ。今年も日華草にっかそうがきれいに咲いたなって思ったから、庭に出てみただけ。そう、今年は特にたくさん咲いているのね。わたしもきれいに咲いていてうれしいわ。名前の通り太陽のような華やかな花。こんなに細い花びらが玉のように集まる花は日華草くらいなものね。

 わたしはまだここにきて一年しか経っていないでしょう? それでも、ここに来たとき色とりどりの日華草が咲いていてとてもうれしかったの。

 庭師さん、ここが地元なの? いいところよね。ここの日華草はわたしが見ていたものより大きいわ。あなたは好き? ……わたしも一番に好きよ。特に薄い色合いのものが。

 あなたがお世話をしているのよね? まあ、一人で? それは大変ね。今度わたしにも手伝わせてちょうだい。

 ……そんなにかしこまらないで。お願いだから。わたしはもうお姫様なんかじゃないのだから。

 ねえ、今、お時間ある? よければそこの東屋で暇人のおしゃべりに付き合ってほしいのだけれど。

 いいの? ありがとう。あ、今お茶を持ってくるわ。いいからいいから。テーブルに飾るお花でも摘んでいて?


 さて、何から話そうかしら。

 あなた、わたしのことはどのくらい知っていて?

 ……そうね。一年前まで、わたしはロワール国の……今のロワール州のお姫様だった。それだけ? それはいいことだわ。じゃあ、これからするお話は、わたしのお話ではなくて、どこかの国の女の子の話だとでも思って聞いてちょうだい。

 おおやけに顔を出したのはロワールが帝国と戦争を始めた後だったから、ほとんど国民には知られていなかったけれど、わたしのお父さまは確かに先代の国王陛下だったわ。ただし、お母さんは商家の娘だった。

 わかる? わたし、いわゆる庶子だったの。

 あの時、わたしはまだ十四歳だった。自分が庶子だなんて話も聞いたことがなくて、お母さんは何も言わずにあっさりと旅立ってしまって。戦争のせいじゃないの。流行り病だった。

 王都が帝国に攻めこまれて、王族の人達が全員死を選んだって知らせもまだ来ていなかったころ。わたしの前に、突然帝国の宰相を名乗る男が現れたの。わたしより八歳も年上だったけど、まだ宰相を名乗るには若すぎる気がしたわ。まあ、そのときは帝国も急死した先帝のお孫様が即位なさってまだ二か月で、先帝が始めた戦争をどうにか進めている状況だったのだけれど。

 あ、わたしがそのことを知ったのはもっと後、帝都に連れていかれてしばらく後のことよ。宰相の目的は、庶子とはいえ最後の王族になったわたしを人質にとって、王国の人達が逆らえないようにすることだった。

 でもね。突然商家の女の子が「こちらがお姫様です。」って紹介されても、国の人は納得してくれないし、まずわたしもどうしていいかわからなかった。だから帝都に連れていかれたわたしは、どこかの離宮に閉じこめられて、朝から晩までお作法やらダンスやらのお稽古に明け暮れさせられたわ。ちゃんとお姫様としてお披露目できるように。

 朝から晩まで予定が詰められて、夜は横になればすぐに眠ってしまって。国のことやお母さんのことも考える暇もなかった。一回、宰相が抜き打ちで来ていろいろと小言を言ってきたから、わたしも覚えたての上流階級の言葉でお上品に罵倒して差し上げたんだけど、「言葉遣いがまだ荒いですね。もっと真剣に励んでください。」とか言われて、まったく響かなくて、くやしくて、次に来る時までにはもっといい言葉を考えなくちゃと思っていたわ。結局それ以降、宰相閣下が顔を出されることはなかったのだけれど。

 そういう生活が一か月は続いて、ついにわたしのお披露目の日が来たわ。ロワール王国が帝国の属国になる誓約を取り交わす会議の日が。直前までわたしには知らされていなかったから、あの銀髪に文句をたらたら言ってやったけれど。あ、銀髪って宰相閣下のことね。

 わたしは商人の娘として、それなりに国の情勢を旅商人から聞いていたの。商売には時世の流れを読むことも大事だったから。だからその誓約が、王国を救うことになるってこともすぐにわかった。だからこそ、それを教えなかった宰相が恨めしかった。だって、わたしがそんなこともわからない娘だと思われていた、ってことでしょう?

 誓約は滞りなく済んで、その後の祝宴でも大して失敗せずに乗り切れたけれど、皇帝陛下に無理やり強いお酒を飲まされたのはちょっと辛かったわね。わたし、介抱してくれた人の顔も覚えていなくて、ちょっと申し訳なくなった。

 その日から、わたしは帝都の宮殿に住まいを移されて、ほぼ軟禁生活を送らされたわ。庭にも出てはいけないって言われて。数日に一度、誰かが持ってきてくれる日華草だけが楽しみだった。あんなに詰めこまれていたお稽古事もほとんどなくなってしまったし。

 そうやって時間ができて、初めて、お母さんや知り合いの商人のことを思い出して。みんな大丈夫かな、戦争に巻きこまれたりしてないかな、って。一か月以上経って今更そんなことを考えてもしょうがないのだけれど、どうしても涙が出てきてしまって。

 そんな時、幼馴染が訪ねてきたの。

 ユリオって名前の子でね、旅商人をしていたのだけれど、王国が崩壊したって聞いてうちまで訪ねてきてくれて、それでわたしのことを知ったみたい。もちろん真正面から来たって入れてもらえないから、夜中にこっそり。わたしはうれしかったけれど、彼に「すぐに逃げて。」って言ったわ。だってこんなことしたら捕まってしまうって誰にだってわかるでしょう? でも、ユリオはわたしに「一緒に逃げよう。」って言ったの。

 わけがわからないまま、わたしはユリオに連れていかれたわ。後になって思えば、昔の約束のせいだったかもしれない。

 そう、約束。わたし、ユリオと何か大切な約束をした気がするのだけれど、どうしても思い出せなくて。ユリオに聞いてもそんな約束は知らないと言うの。でももしかしたら、あの子だけは内容を覚えていてくれたのかも。

 あなたはある? 大切な約束。

 小さいときによく遊んでいたお友達を「必ず守る」と約束をしたの?

 約束は守れた? ……そう、それはなによりだわ。

 ……やっぱり、いるわよね。小さいときの約束を、ずっと憶えていてくれる人。

 わたしもそんなふうになれたらよかったわ。もう遅いけれど。

 あら、いつの間にか脱線してしまったわね。

 ユリオには誰か協力してくれる人がいたみたいで、その人たちのところまで連れていかれて。でも、着いたとたんわたしは彼から引き離された。ユリオもその人たちに利用されていたの。

 その人たち……王国の貴族に雇われた人達だって、後で知ったわ。誓約が結ばれることを快く思う人ばかりではないって、そのとき初めて気がついた。わたしは商人の娘としてではなく、王族として、国全体を見る者として選択をしなくちゃいけなかったんだって。

 そのとき、わたしはその人たちに殺されそうになったの。

 ……大丈夫よ。ほら、今はぴんぴんしているでしょう。ただ、その時絞められたせいで首に跡が残ってしまって、隠さなくてはいけなくなったのだけれど。今だって、常にチョーカーをしているのはそのせい。

 そう、その騒動の後、あの日の夜にユリオが王宮に侵入できたのはわたしのいた建物の警備がわざと緩くされていたからだってことがわかったのよ。やったのは南の元帥……宰相を目の敵にしていた人、だったの。わたしは宰相の預かりになっていて、わたしがへまをすると連動的に宰相も責任を負うことになるって、それを聞いたのはもっと後だったかしら。とにかくその時は宰相にもいろいろあるんだなと思っただけだったわ。

 あの銀髪に同情するほど、わたしは彼のことをよく思っていなかった。だって、首のけがで臥せっている時、お見舞いに来た宰相がわたしに贈り物だって言って渡したのが、石が一つぶら下がっているだけの地味なチョーカーで。「これをつけてしばらく大人しくしていてください、くれぐれも外へかけだしたりしないように。」って言うのよ。それって犬に首輪をするのと同じような理屈ではなくって? 人を故郷から無理やり連れてきて、ずっと閉じこめておくような人には似合いの言葉だったかもしれないわね。もっと憎たらしいのは、チョーカーについていた石が、日華草の中でも一番好きな薄桃色の花そっくりの色だったこと。どうしてこっちが気に入りそうなものを渡してくるのかしら!

 嫌いになりたいけれど、そこまで決定的な理由がないのよ。そこがまた憎たらしい。

 ……そうよ。今つけているチョーカーの石がそう。紐はわたしが縫いとったものに変えたけれど、この石だけはそのまま。そういえば、この色の日華草はロワールではあまり見かけないわね。

 あら、日華草って、地方によって咲く色が違うのね。同じ種なのに? まあ、不思議。薄桃色はもっと北で咲くのね。

 え? ここより南の色?

 じゃああの花はどうやって……。いえ、いいの。

 それより、お話の続きを話しましょう。

 わたしが大人しく養生している間に、帝国は別の国を攻め始めたの。

 宰相閣下は東の元帥も兼任してらっしゃったから、戦局が悪化するととんと姿を見かけなくなったわ。そのかわり、皇帝陛下がわたしを訪ねて来られるようになって。

 ロワールの隣の国はとても強くて、王族の方々も国民と戦うことを選んでいたわ。ロワールの王族とは大違い。そうやって戦争は長引いて、一年間、わたしは宮殿に閉じこめられていたの。

 皇帝陛下はわたしより五つ年上の方で、とにかく女性に甘い方だったわ。そういえば、一度夜中にわたしの部屋に忍びこもうとして、たまたま帰ってきていた宰相に見つかってこっぴどく怒られていらっしゃったわ。夜中じゅう説教をされるなんて、陛下がかわいそうになってしまって。

 宰相に文句を言ったら、あきらめてとっととどこかへ行ってしまったけれど。

 それから陛下はわたしが宰相から何も教えられていないってことを聞いて、周りの国のことを話してくださったわ。

 帝国というのは五つの国の集合体なの。その周りにいくつかの王国、ロワールも含めて七つの国があった。帝国はその国々を順番に攻めていたわ。七つの国を征服すれば、大陸のほとんどが帝国領になる。先帝の途方もない夢の後始末をしている、と、陛下は仰っていたわ。それが今でも忘れられない。

 じっさい、他の国からこっそりわたしに接触してくる人もいたわ。同盟を組んで帝国を滅ぼさないかって。でも、わたしが裏切ればロワールがどうなるかわからない。選択をしたものとして、国をまた戦争に巻きこむことだけはしたくなかった。返事を先延ばしにすることしかできなかった。

 同時に、何度も毒を盛られてね?

 ……大丈夫。わたしの口に入る前に気がついたり、陛下のすすめで毒に慣れるように訓練もしていたから。それでも一回、軽い毒をそのまま飲んでしまったことがあって。でも、宰相の慌てた顔を見られたから満足よ。いつも真面目くさった顔してるんだもの。

 実際、わたしに向けられた毒の何割かは、宰相を快く思わない人からのものだったし。あの銀髪は陛下と昔からの付き合いとかで、毒なんて全く効かない体になっていたらしいのだけれど。

 そんな時だったわ。突然陛下が亡命されたのは。

 わたしに接触を試みた国へ。元々陛下は先帝の考えに否定的で、戦争を早く終わらせたかったようなの。けれど、周りの取り巻きは先帝の頃と変わらないし、一度始めた戦争を途中で終わらせるのはさらに難しい。そこで陛下は考えられたの。戦争の構図を変えることで、戦争自体を止めることはできずとも、早く終わらせることはできるのではないか、と。

 陛下の味方についたのは七つの国のうち四国と、帝国内の二国。比較的若い人たちが治める国が多かったわ。そうして、帝国側に残ったのが五国。その時点で、戦力は五分五分だったの。

 ロワールが動けば、その均衡は崩れる。

 迷っているわたしの背中を押したのは、意外かもしれないけれど、宰相閣下だったわ。

 帝国の宰相として、あの人は帝国側のまとめ役になっていた。陛下と対峙する形で。

 宰相閣下は、わたしに「好きなようにしなさい。」と。わたしは陛下の側につくことにしたわ。早く戦争を終わらせたいのはこちらも同じだったから。さいわい、陛下の側についていた国がロワールのために兵を動かしてくださったし。

 あの人が何を考えていたのか、すべてを知ったのは陛下と落ち合ってからだったわ。

 陛下は宰相閣下の計画通りに動いているだけだった。周囲の国もまきこんで、帝国とその他、という構図を変える。勢力が拮抗したところでロワールを陛下の勢力に加え、均衡を崩す。ここまでは計画通り。

 そう、宰相閣下がわたしを人質にとったのは、ロワールを従わせるためではなく、戦争を最短で終わらせる駒として使うためだったの。こうやって駒として使われるまで、わたしは宰相閣下に大事に守られていたのよ。

 姫が宰相を裏切ってくれてよかったと、陛下に言われたわ。

 それから三ヵ月余り、派手な争いは起きなかったの。その間に陛下は帝国側についている他国と交渉し、ついに帝国との戦争が始まったとき、帝国はすでに、どうあがいても敗北するしかないくらいの戦力差をつけられていて。

 わたしが宰相閣下と最後に会ったのは、戦争があっけなく終わった、その後のこと。わたしが帝国で軟禁されていた建物には宰相閣下の私的な場所というものがあって、陛下がそこに案内してくださったの。そこは建物の近くに作られた温室で、色とりどりの日華草が咲き乱れていたわ。すべて、閣下がいろんな土地から土を集めて栽培しているものだと。

 あのときはわからなかったけれど、あなたの言うことを聞いてようやくわかったわ。日華草は土地というよりも、土によって色を変える花なのね。宰相閣下は小さいときからいろんな土地に行っていて、土地ごとに色を変える日華草を見て、ずっと研究を続けていたのですって。

 温室にはこっそり閣下が連れて来られていたの。戦犯として裁かれる数日前のことで、わたしはそれが最後になるとは知らずに、さんざんお小言を言い散らして。そうして、言うべきことを何も言わずにその場を去ってしまったの。

 宰相閣下も宰相閣下だったわ。ずっと温室の事を気にしていて。……日華草のことを心配する宰相閣下は、そうやってお花の世話をする人のほうが天職だったような気がしたわ。

 あとで陛下に聞いたことだけれど、宰相閣下はいちおう帝国の名門貴族の跡取りではあるけれど、ご両親は政治的に対立する貴族の娘と息子で、宰相閣下が生まれたときには二人とも駆け落ちして帝国を出た後だったそうよ。それから宰相閣下はしばらくロワールにいたんですって。国境の街に。

 ただ、帝国と他国の雲行きが怪しくなってくると、ご両親が定住せずに放浪することを選んだことで、いろんな国を見てまわることになったそうよ。そのときに日華草の研究も始めて。

 そういう生い立ちがあったから、帝国の中でもよく思っている人は少なかったと。そうして、宰相閣下は故郷ともいえるロワールを攻め滅ぼしてしまったのだと。

 ……あのとき、ロワールからわたしを連れ出したとき、お稽古事ばかりさせていたのは、わたしがお母さんたちのことを考えなくていいようにするためだったのかもしれない。チョーカーに薄桃色の石を選んだのも、部屋に日華草を置いてくれていたのも、宰相閣下だったかもしれない。陛下に絡まれたときにタイミングよく現れたのも、ちゃんとわたしのことを見てくれていたからかもしれない。

 あの帝都での日々を思い出すたびに、宰相閣下にお礼が言いたくなって。ほんとうにありがとうって、あのとき言えていたら、どんなによかったか。別に嫌いじゃなかったんだって、伝えられていたら、あの人はどんな顔をしてくれたのか。

 もう、遅いことだけれど。

 宰相閣下は死刑になったから。

 執行されるところは見なかったわ。そのころにはわたしも、ロワールに帰ってきていたから。

 その後、帝国も含めた周辺十二か国は巨大な国になって、国はそれぞれ州とよばれるようになったわ。ロワールは王政を辞めて、わたしもやっとお役御免になった。皇帝陛下は結果的に、先帝の願いを叶えてしまったの。

 本当は商人に戻りたかったけれど、さすがに顔が知れ渡っているから、この片田舎で隠居みたいな生活をさせられているわけ。わたしはこれで満足だけれどね。

 それに、一度見てみたかったの。宰相閣下の故郷を。


 ……ずいぶん長く話しこんでしまったわね。

 これがつい二年前まで続いていた戦争のおはなし。おろかな帝国が自分の身を滅ぼしたと揶揄されている戦争のなかで、必死に平和をつかみ取ろうとした人の話よ。

 庭師さん、長い話に付き合ってくれてありがとう。

 ……え?

 そんなこと聞いてどうするの?

 そうね。もしも宰相閣下が普通の、花を調べる学者や、どこかの庭師だったら、か。

 学者先生としてなら、きっとお花の話をたくさんして、仲良くなって、もっと好きになっていたかもしれない。

 もしも、の話だけれどね。

 ああそうそう、庭師さん。

 このお話は誰にも言ってはだめよ。本当はわたしが墓場まで持って行かなくてはいけないお話なのだから。

 え? もう自分に話しているじゃないかって?

 何を言っているの。あなただからこそわたしはこのお話をしたのよ。だってこんな話、あなたにしかできないじゃない。

 ね、庭師さん?

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東屋で密会 水沢妃 @mizuhi

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