第二九話 四天王攻略戦②

「余は汝に問う──」


 岩山を魔物が雑に掘り進めただけの巣穴の中。灯りは乏しく、勇者の手に握られた松明のみ。

 充満する湿気により、カビた匂いと死臭が交じり合って私たちの鼻を不吉に刺激する。

 ダンジョン深部にて私たちを取り囲むスケルトン族に対し、私たち三人は背中合わせで簡素な陣を組んでいた。

 白骨の魔物、その瞳部分の空洞にて赤黒い魔力が渦巻き、中央の我々へ殺意を飛ばし、肉のない手には刃の欠けた剣などの凶器が握られ、カタカタと骨の歯でもって私たちを嘲笑う。

 四面楚歌の状況下で口を開いたのは中学三年生ムーン・ドロップだった。

 汝に問う────と、彼女が言った相手は周囲を埋め尽くす白骨の魔物ではなく、その対象はこの私、鶴名伊織だった。


「──チャラッチャラ! 問題です! 鉄は水に浮かないが水銀が水に浮く理由を答えなさい!」

「はい! 鉄の密度は水より大きいが水銀の密度は水より小さいから!」

「正解!」

「二人ともどうして戦闘中にテスト勉強してるの!?」


 私たち二人もいい加減に気付いているが、勇者様は天然だけでなく鈍感さもまた極めている。

 どうしてそんなにも簡単な質問をぶつけて来るのだろうか。

 その答えは、私たちは二人揃って人生初のデートが報酬としてぶら下がっているからに他ならない。

 このデートの持つ意味合いは大きい。

 何故なら相手は好きな人であり、その想い人のご両親同伴で行われる為だ。

 この報酬はそのまま家族ぐるみのお付き合いへと繋がり、そうなれば最早自ずと恋人関係へ発展するというものだろう。

 この報酬を手にすれば、そのまま私かムーン・ドロップのどちらかは彼女の立場を得る。…………筈。

 なればこそ僅かな時間も無駄に出来ない。それが例え動く白骨という異形の魔物に取り囲まれている最中であってもだ。


「死んで尚、魂を愚弄され突き動かされる諸君らに温かな眠りを────」


 慈悲深そうにムーン・ドロップは言って眼鏡の奥にある瞳を閉じ、魔法書を小脇に抱えながら両手の面を向い合せて温かな光を込める。優しい光りを抱く。


「死に刻めぇええええええええええ! 《天浄の吐息ホーリー・ブレス》!」

「前後と別人かのような無慈悲な言葉だな!」

「ギャーッハッハッハ! 死ね! スケルトン族な故に死んでいるとは既知のことだが、もう一度死ねぇえええええええ!」


 彼女が放った霧のような淡い光りが骨の身を包み、そして溶かしていく。召されていく。

 覚醒後の彼女の何と頼もしいことだろうか。

 セーラー服から着替えた漆黒のローブとトンガリ帽子の姿は以前から着慣れていたようにしっくり来るものがあり、大賢者と自称する彼女に申し訳ないがまるで魔王軍側の魔女か何かに見える。


 私も負けてはいられないと柄を握り込み、あえて鞘の中へと刃を忍ばせる。

 中腰姿勢から襲い来る骨共に視線を飛ばし、間合いに入るのじっと待つ。

 居合技だ。

 カッと目を開き、円形の間合いを身体の一部のように感じて、そして。


「問題です! チャラッチャラ!」

「伊織さん居合の構えから問題出すの!?」

「では先ほどの答えの密度に関連する問題ですが、密度を割り出す計算式を答えなさい!」

「余にとっては息を吐くほど簡単! 物質の体積割ることの物質の質量!」

「正解!」


 私の間合いへ踏み込んだ白く硬い足を感知し、刹那で銀の線を走らせる。

 剣道だけでは物足りないと精進を重ねて得た居合技だった。

 私の銀の剣によって切断されたスケルトンが、上半身と下半身を分けながら、私とすれ違うようにして吹き飛んでいく。

 

「す、凄い……本当にテスト勉強しながら次々と魔物を倒している……!」

「余は汝に問う! 有機物を燃やすと焦げて黒くなりますが、それは何が原因で──」

「炭素! うるぁああああああああああ!」

「正解!」

「では有機物を燃やすと水が発生するのは──」

「余は水素と答えようか!」

「正解! どんどん来い骨共ぉおおおおおおおお!」

「二人とも……理科を重点に置いている……!」


 私たちの咆哮と、テスト勉強の応酬に比例してスケルトンの数は減っていく。


「余は問う──水素は空気に比べて密度が」

「小さい! では問題です! 空気中に最も多く含まれる気体は──」

「窒素だろうて! では問題です! 一定量の水に物質を溶かした時、それ以上は」

「飽和──ですが! ではその時の水溶液を」

「飽和水溶液! 《天浄の吐息ホーリー・ブレス》!」


 直線が骨を断ち、聖属性の温かな魔法が飛び交い、そして理科問題が飛び交った。

 テスト勉強に夢中になり、気付けば骨の姿は洞窟内から消え失せる。

 しかし奴らも此処で終わるような輩ではなく、凹凸激しい土の地面に黒い水溜まりが湧いて出た。

 そこに水気はなく影が蠢き、巨大な白骨の手が抜き出て地を掴む。

 這い上がるようにして全ての姿を露わにしたその骨の魔は、漆黒さを光らせる重鎧を纏っていた。


「──貴様ら……我が配下をよくも」

 

 口ぶりから察するにこのダンジョンの主。その主はどうやら喋るようだ。

 手には、激しい湾曲を帯びたコピシュ剣を巨大化させたような大剣を握る。そのサイズは群青君の身長ほどはあろうか。

 内臓などはある筈もない身体の、その口からは黒い吐息が────瘴気が漏れ出している。


「───死を以て償、」

「《天浄の吐息ホーリー・ブレス》!」

「ギャアアアアアアアアアアアア!!」


 無慈悲に、自分は口上大好きな身分でありながら折角現れたボスには口上を述べさず、ムーン・ドロップは余所見ながらに浄化魔法を叩きつけた。


「余は汝に問う! 問題です! 固体の物質を水に溶かして再び結晶として取り出すことを!」

「再結晶!」

「き……貴様ら……」


 骨の指先をカタカタワナワナとさせる、既に瀕死の名も知らぬボス。


「正解! む? まだ息絶えぬか、《天浄の吐息ホーリー・ブレス》!」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「待つんだムーン! 僕は例え死者でも話の通じる相手には先ずは説得を試みるようにして……」

「きゃつは死を以て償えと言おうとしていたぞ? 敵意の認識は終えている!」

「そ、そうだけど……」


 先刻までの雑魚一匹一匹より魔法一発分だけ戦いは長引き、既にその身が消えることを悟ったボスは捨て台詞の体勢へと乗り出した。


「フ……フフ……我輩を倒すとは流石は勇者一行……しか」

「──ホーリー……ブ」

「待て待てムーン・ドロップ。捨て台詞ぐらい言わせてやる慈悲を持ちなさい」


 最期の力を振り絞って声を発するボス目掛け、それすらも遮断するように聖魔法を打ち込もうとするムーン・ドロップを私は抑え込む。

 月野雫状態の彼女は地味目なツインテールの尾を華憐に揺らす、おしとやかな女学生であるが、覚醒中の彼女の魔法を阻んだことで、「っち」と即座に舌打ちをボス目掛けて吐き捨てた。

 

「仲間が済まないな。さぁ最期の言葉をどうぞ」

「ぐぅうう……貴様らこの更に奥に控える我が主、四天王が一角デスカルノ様には決して敵わんぞ! 見ていろ! 必ずや貴様らを八つ裂きにしてくれるわ!」

「……まさか四天王もスケルトン族なのか?」

「そ、そうだが……」

「スケルトン族の四天王デスカルノ……何だその親父ギャグみたいな名前は」

「っく……クソぉぁあああああああああああああああああああ!」


 どうやらトドメを刺したのは私のツッコミらしかった。

 名も知らぬボスは悔しそうに絶叫し、そのまま断末魔にして、その身をサラサラとした塵に変え消えた。

 この洞窟の奥に四天王が居る。デートの達成条件がこの奥に居る。

 そう思うと心には無敵感で満たされ、その勢いに乗せられてこのまま突き進んでもいいかと思われた。


「だ、そうだ。どうする? 今日このまま行くか?」

「……いや、相手のデスカルノは転生前に一度刃を交えている……凄く厭らしい戦い方をする相手なんだ。それが分かっただけでも今日は収穫だよ。一度帰って作戦を立て直そう」


 勇者の出した提案に私たちが首肯を返すと、彼は周囲を注意深く見渡して転送ポイントの記憶を終えたようだった。

 次、異世界の地を踏む時は四天王と相まみえる。此処まで来るのに二年の月日を掛けた私でさえ感慨深いものがあるのだから、勇者の胸中は計り知れない。

 未だ幼さを残した可愛い姿を日光色の眩い鎧に身を包ませ、物憂げな面持ちで居る彼は、大きな戦いを前にして気を引き締め直しているように見えた。

 しかし安心してくれと彼に言いたい。

 驕るようなので言えないが、今は誰にも負ける気がしないのだ。

 この戦いの先に、人生初のデートが在る。

 恋心とあらゆる煩悩が混ざり合って出来た無敵感は、自分でもやけに怖いくらいの巨大さだった。

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