第二六話 ツインテールの大賢者(自称)③

 涙する月野雫さんをなだめ、彼女が落ち着きを取り戻した頃、新たな仲間を迎えるという課題に今一度向かい直す。

 そのことについて私は女として反対であり、仲間としては賛成だった。

 群青君への独占欲を残したままではあるものの、しかし月野雫さんならば、と納得し掛けている自分も芽生え始めている。

 それは同じ人を好きだという私と月野さんの共通点に親近感を抱いたわけではなかった。

 彼女とて群青君と話しをしたかっただろう。しかし勇気が出なかったのだろう。

 その歯痒い想いを抱えたまま、二年間もの間、私と群青君が時折話すサマを見ていたのだろう。

 そうしてようやく精一杯の勇気を振り絞って、彼の机の上に漫画本を置いたのだ。

 私の尾行行為に比べて何といじらしい行いだろうか。

 共通の話題でもあれば……何か話のきっかけになればと、彼女は頑張ったのだろう。

 我々が通う中学校はマンモス校で一学年に三〇〇余人も居るばかりでなく、彼女と私は性質がまるで正反対な為にろくに話をしたこともないが、少なくとも一人の男性を最低二年以上の間、好きで居られる忍耐強さはあると分かった。

 同時に可愛げもあり、健気でもある。

 総合的に良い子、なのではないだろうかと私は思ってしまっているのだ。

 内面的には仲間として相応しいのではないかと、そう思ってしまっているのだ。

 

「複雑だな……仲間の前に恋のライバルか」

「私も……き、気持ちの置き場がわからなくて感情が忙しい……です……」


 そう言う月野さんの心情は察するに容易い。

 現実を受け止め始めて未だ数分。

 彼女が隠していたオタク部分がこの魔法と大自然の世界に喜びを見出さない筈はない。加えて好きな人に壮大な勘違いがあるとはいえ旅に誘われている。

 しかし全てを受け止めて決心を固めたとしても、大きな問題が一つ残る。

 気持ちだけでは、どうにもならないことがあるのだ。

 

「……着いて行きたいですけど……本当は魔法なんか使えないですからね……此処に……異世界に……来れただけでも……良かったかなぁ」


 彼女は未だ湿った瞳を空へ。

 現実を受け止め、そして見切りをつけて月野さんは前向きさを零した。

 大きな問題。それは戦力として成立しない、ということ。

 私のように戦う術を持つわけでも、本当は異世界転生者などでもない。

 真面目で可愛い、隠れオタクの女子中学三年生なのだ。


「でも……群青君の秘密を知れたのが一番嬉しかったですかね。何か、隠し事を知るって、距離が縮まる想いですっ」


 そう言って彼女は、目尻を大きく垂らして健気に微笑んだ。

 女の私にさえ、ライバルの私でさえ、そのおさげの垂れる肩を包んでやりたいと思う華憐さで。

 

「わ、私……鶴名さんともお話出来て嬉しいですよっ」

「え?」

「群青君ってモテ過ぎて、群青君のこと好きっていうと自信ある女みたいに見られるじゃないですか? だから他の女子には言い辛いし……こうして人に言えて、同じ気持ちを共有できるのはちょびっと嬉しいですっ」

「あぁわかる。あの彼を狙えるだけ自分のこと可愛いと思っているのかとか陰で言われるのはたまらんからな」


 心を奪ったのは彼であり私たちは奪われた側であって、だから被害者の私たちには自信などを計算に入れて恋に望んでなどいないのだと、私たちは悪くないのだと、ある種の鬱憤が破裂した。

 九年分の私の想いが、口から零れて止まらないのだった。


「私と彼の出会いは私の尾行なのだ。気持ち悪い女だろう」

「それを言うなら……群青君が一冊の漫画をきっかけにサブカルに興味を持ったりして、急にアニ研に来たりしてとか夢見てるイタい女子ですよぉ」


 群青君本人にはとても言えない気持ち。しかし誰かには言いたい。

 それは小学校は一緒ではなかった月野さんも同様の様子で、彼女なりに溜め込んだ想いを返してくれる。


「アハハ! 用事と言ってたのはそれか!」

「は、はい……本当に来ちゃったからビックリしちゃいましたけど……」

「そんなのいじらしくて可愛いじゃないか。私は素振りや筋トレする時は、彼の写真を目の前に置いて体力の限界を越えられるようにしているぞ」

「わ、私も家でアニコスとかして……群青君を助ける魔法少女の役とか演じてますよっ」

「ハハハ! それは気持ち悪いな!」

「えぇ~! 鶴名さんも相当ですよぉ!」

「うむ! 間違いないな! ハッハッハ!」


 こじんまり始まった女子会の濃度は濃い。

 何せ互いに相当の時間を掛けた想いだ。

 運悪く、買い物終わりの群青君に聞かれてしまうかもしれないと、互いに声量を落として、ニヤニヤしながら如何に自分が気持ち悪いかを晒し合う。

 都会ほど騒音もない異世界の城下町では、私たちの囁くような声もよく通った。


 それだけに──不穏な音もまた大きく目立った。


「──魔物だぁあああ! 魔物が出たぞぉおおお!!」

「何……」

「え、え、え、え!?」


 木材を切り裂くけたたましい音に続いて、遠くから悲鳴の輪唱が続いた。

 普段なら一度家に帰り装備を持って異世界へ入る筈が、今日はその工程を省いている──思わず抜き取ろうと腰に手をやるが、剣がない。

 鎧もない。有るのはセーラー服と携帯電話だけだ。


「拙い……剣がない……」

「ぐ、ぐ、群青君と合流しないと!」

「確かに。月野さん意外と冷静なのだな」

「と、とはいっても異世界じゃ携帯も電波が……あわわ……」

「──繋がるぞ」

「えぇ!?」


 群青君が定期連絡を入れているらしい女神様の御力により、私たちの携帯電話は生きている。

 携帯電話を取り出し、群青君へ連絡を入れる。

 今ばかりは彼の連絡先を知っていることを誇ってはいられない。


『はい、群青です』

「……いや家の電話か! 此方から掛けているから知っているぞ!」

『っは! そうだった! ごめん普段携帯を使わないものだから』

「や、それより魔物が街に出たらしい。噴水前に居るから合流出来ないか」

『なんだって!? 今、《転移陣ゲート》でそっちに行くよ!』

「あぁ頼──」

「鶴名さん! 危ないです!」

「っ!?」


 月野さんの叫び声と同時に、私の身体は彼女の突進によって攫われた為に、何が起きたのかを知ることが出来なかった。

 城下町に敷かれた石畳へ二人して倒れ込み、その私に最初に把握出来たことは──月野さんの左肩から大量の血が流れていることだった。

 続けて理解する。私を庇い、魔物による何かの攻撃に彼女は被弾したのだと。


「な……何を……何をしているんだ月野さん!」

「っうぅ……痛いぃ……」


 罪悪感で視界が闇に覆われている。

 一体何処から放たれた攻撃なのかも、どんな攻撃手段なのかも判別がつかず。

 戦い慣れた私が彼女を守ってやるべきなのに、と────ただ胸に巣食った罪悪感が、本来持つべき筈の冷静な思考までをも犯していた。

 その私たちを紫色の光が救う。勇者は現れる。


「月……島さん! 怪我しているのか! 《癒しの水キュア・ウォーター》!」


 約束通り瞬時に現れた勇者によって彼女の傷は瞬く間に癒え、傷は跡を残さず塞がっても私の心の傷は癒えなかった。

 ────なんという油断を。

 当たり所が悪ければ命を落としていかもしれないのに、と私の瞳は曇ったままだった。


「すまない……すまない月野さん!」

「えへへ……私、今日死んだかなって思ってました……だって善いことが多過ぎますっ」


 傷は癒えても服は魔法では直せない。

 左肩から破れたセーラー服には目もくれず、月野さんは私に微笑みを返し続ける。

 二年前に私が異世界へ来る直前に抱いた想いと、同じ想いを私に送り続った。


「勇者様に、異世界に、魔物まで見れて…………それに、友達まで」

「月野さん……月野さん! すまない! 私なんかの為に!」


 依然、戦う気持ちの整わない私の代わりに周囲へ警戒を送る群青君が、「空か……」と呟いた。

 言われて上を見てみれば、空には悪魔のような魔物が数匹、停滞飛行でもって空中に留まっていた。

 その様子を頭に入れて勇者は迅速に指示と飛ばし始める。 


「月岡さん、これで伊織さんを守るんだ」

「はぇ!?」


 買い物は無事完了していたのだろう。

 彼は分厚い本を一冊、月野さんへ手渡した。


「伊織さんの戦術は剣だが、今は剣もないし例えあっても空に居る相手には届かない。飛び道具が必要だ。今、飛び道具を使えるのは魔法を使える僕と月岡さんだけだ」

「月野ですけど……わた……私が……」

「本当は買い物は結構前に終わってたんだけど、この世界の文字は読めないだろうと思って地球世界の文字で書き直しておいた。詠唱はそれで出来る筈だ」


 気弱に見える彼女だが、先ほどから実は肝が据わった女性なのだと思い知らされる。

 魔法が使えないのです────言って当然のその言葉を告げる様子もなく、瞳に決意を宿らせて本を勢いよく開いた。

 その様子を見て思わず慌てたのは私のほうだった。

 詠唱して、魔法名を言って────その声が虚し気に響き渡るだけだろう。

 魔法を使えないことが、単なる女子中学生であることが好きな人にバレてしまうぞ、と思わず止めに入る。


「ま、待て月野さん!」

「異世界……魔物……魔法……魔法書……魔法書! フハ……ヒャハハ……アヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

「な……す、既に……トリップしている!」


 いつの間にやら彼女は月野雫ではなくムーン・ドロップだ。

 彼女の血走った目が上から下へ、そしてまた上へ。次々と書かれた文字を読み上げていく。

 持ち前の知能の高さで書かれた文字を即暗記し、上空の魔物へ目掛けて手を翳す。

 

「──余の真名、ムーン・ドロップをその胸に刻め魔物共! 屍と成りし後、この蛮行についてを魂の中で余の名を復唱しながら悔い改めよ!」


 その様子に違和感も何もないのは、単衣にキャラクターに成りきって口上を練習した日々の賜物であるのだろう。

 だがこのまま魔法を唱えさせれば嘘がバレてしまう。

 彼女とて群青君を、好きな人を落胆させたくはない筈だし、騙していたのかと思われたくはないだろう。


「待て待て待て月野さん! 魔法は辞めたほうが!」

「余の真名はムーン・ドロップだが!?」

「……ご、ごめんなさい」


 彼女の出処不明な謎の勢いに気圧され、思わず謝る私を後目に、彼女は詠唱へと入った。


「──《射貫くは我が聖なる心 射貫くは神がもたらす至福の雨 慈悲に濡れ 慈悲に穿たれ 魔の胸にも新たなる希望を添えよう》」


 セーラー服を破損させた女子中学三年生の興奮は最高潮に達している。

 口上を述べ、詠唱を読み上げ、彼女は異世界を精一杯に満喫している。

 だから私は全てを諦めた。

 これで一つの想い出になるのだから、それでいいか、と。

 彼女が魔法が使えないと分かった後、無敵の勇者様がなんとかしてくれるのだろうと、もうどうにでもなれと私は全てを諦めた。


 その私の冷えた瞳の中に白い光が入り込んだ。

 ──光の出処は彼女の翳した右手先だった。


「魔法────最、高ぉおおおおおおおおおおお!! ────《光の雨ホーリー・レイン》!!」


 月野雫の────ムーン・ドロップの右手から異世界の空へ、白い雨が飛び上がった。

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