第二五話 ツインテールの大賢者(自称)②

 学校の校舎を写していた私の視界は、秒で茜射す大草原へと移り替わったが、もう二年もの時間を掛けた冒険の日々は、この大自然に目を慣れさせた。

 もう驚きも少ない。 

 異世界には車もない。チャイムもない。私を現実に引き戻す為の音がない。

 放課後、少しばかり時間を使ったことで、異世界の空は橙色。

 大自然の生み出す新鮮な空気がこぞって、肺の中にある様々な鬱憤と入れ替わろうと心を懸命に洗う。

 そうして溢れ出たストレスの限りを、私は夕焼けの空へ向かってぶつけるのだ────。


「────なんでやねぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええん!」

「ど、どうしたの伊織さん!」

「ふぇ? へ? こ、此処は何処ですかぁ!?」


 ──なんでやねん、と思わず関西弁にならざるを得ない。

 それほどに、この色々なすれ違いが入り混じって出来上がった混沌的状況に対して放てる適切な一言が出て来ないのだ。

 この現状は一体なんだと言うのだ。


 状況を整理しよう。

 先ず、部室にて転移魔法の魔法陣展開に戸惑いの言葉を吐露し、異世界の大地を踏みしめて困惑しているところを見ると月野さんが異世界転生者といった言葉はやはり冗談であることは確実。

 そう。あれはその部類の人たちなりのジョークなのだ。挨拶なのだ。

 問題なのは、それを真に受けて──よし、作戦通り戦力増強した──と満足気な彼だ。

 単なる女子中学三年生の二人を引き連れている事実に気付いていない。

 何より問題なのは彼女の戦力だ。

 私はまだいい。幼い頃より習った剣の腕と彼に対する愛情で何とか渡り歩けている。

 しかし彼女はどうだ。

 吹けば倒れそうな華奢な身体。

 魔物を殺めるなど到底不可能であろう優しく上品なお顔。

 走る度に二本のおさげを揺らして、「よいしょ、んしょ」などと言いそうな私にない可愛げ。

 魔物など狩れるのか? 命のやり取りなど出来るのか?


 いやこの懸念は同時に希望でもあると思うべきだろう。

 彼女が戦力として成り立たないとあれば、流石の彼も月野さんの同行を取り下げる筈。

 それだ。それでいい。

 彼を落胆させることにはなるが、本気で現実世界の住人から死人を一人出すより遥かにマシな筈だ。

 先ず行うべきは雑魚戦。彼女が戦力として成り立たないと、一般人でしたと露呈させる為の雑魚戦が必要だ。


「伊織さん? 大丈夫?」

「っは! 大丈夫だ気にしないでくれ! それより、彼女の装備を買いに行かないか? 私の時のように!」

「なるほど! 賛成だね!」

「……こ、此処って何県ですか? 私親に連絡しないまま遠出しちゃったのでしょうか……?」


 彼女の精神は今、揺れ動いている。

 目の前で起きた非現実的現象を受け止めようとする自分と、現実逃避しようとする自分が戦っている。


「え、でも突然こんな地方へ来れる手段があるわけが……部室でパーっと紫色の光が……魔法陣が……えと……えと……夢?」


 通称ロイド型眼鏡の奥の目は、光を失い座っている。

 周囲を覆う大自然を見ようとして見ていない。

 

「しまった……! 月山さん、転移酔いしてしまったか!」


 その隣で大ボケを真剣な表情で吐き出す勇者。


「違う、これは現実よ……現実……そう私はきっと選ばれし者だった……え? いやでも……あ、もしかして知らない間にVRのヘッドギアを二人に装着されたとか……」


 もう一人の彼女、とでも言うべきだろうか。

 内に眠る厨二な彼女が出て来ようとしているが、やはり現実逃避する彼女。

 

「──《状態回復リフレッシュ》!」


 心の底から転移酔いだと信じて疑わず、それを引き起こしてしまった罪を償おうと状態回復魔法を掛ける勇者。


「わぁっ! 手がパァって光って……どういう技術……違う……違うのよムーン・ドロップ……これが現実……やはり魔法はあった……魔法はあったのだよムーン・ドロップ……フフ……フフフハハハハ……!」

「な……僕の魔法が効かない!?」


 遂に覚醒するムーン・ドロップ! ショックを受ける勇者!

 もぉ何・この・状・況!!

 極めている! 混沌を極めている!

 一刻も早く事態の改善を求む!

 その為に先ずは雑魚戦。その雑魚戦に対して安全を期す為の、彼女の装備が必要だ。


「アハ……ヒャハ……ハハハハハハハ! 異世界! 此処は余が求めた異世界に他ならない! アハハハ!」


 現実を受け止めきれずトリップし始めた優等生を引っ張り、私と群青君は近場の城下町へ足を運ぶ。

 此処に私は好機を見出した。女同士で話すまたとない機会だ。

 現状をしっかりと理解している私が彼女に真実を伝え、彼女の落ち着きを取り戻すチャンスだと踏む。


「群青君。済まないが彼女の装備を見繕っててくれないか。私は彼女を落ち着ける」

「役割分担だね。分かった。僕の所為で手間を掛けさせてすまない伊織さん」


 ──そうしてツッコミを入れるべき存在を一人遠ざけたことで、事態は落ち着きを取り戻す。

 群青君と別れ、私は震える月野さんを連れながら城下町の中央に在る噴水の設置された広場へと足を運んでいた。

 其処へ異世界では違和感満載のセーラー服を着た女子二人が噴水を囲む石垣へと腰掛ける。

 彼女の背中をさすりながら、私は言葉の限りを尽くす。


「月野さん……今起きていることが薄々分かって来ている頃だと思う……」

「鶴名さん……あの……こ、此処は……本当に何県なのですか? あ、違う、外国? なのかな?」

「っく……月野さん受け止めるんだ。此処は他県の田舎でも外国でもない……っていうか地球じゃない……彼の魔法を見ただろう?」


 わなわなと、月野さんは怯えているのか歓喜に震えているのか、その両方なのかわからない猟奇的な瞳を浮かべて身を震わせる。


「じゃ、じゃあ……こ、ここここれが現実で……私は異世界に来た……の?」


 半笑いの口から、遂にムーン・ドロップさんではなく月野さん状態の彼女から真実を受け止めようとする言葉が出た。

 此処まで来ればもう少し。


「そうだ。信じきれないと思うが、目の前で起きた奇跡を見て最早疑う余地はないと思う。だから告げよう……彼……群青君は勇者なのだ。魔法を使えるのだ。魔王を倒そうと日々、学校へ通いながら放課後から夜まで異世界で奮闘しているのだ」

「うん、うん、うん……」

「私もその旅に同行していた。しかし私たち二人だけでは戦力的に心許ないと、新たな仲間を求めていたのだ」

「うん、うん……えと……そ、それが私? ですか……?」


 終始、彼女は可愛く必死に首をコクコクと振って、私から出る夢絵空な言葉を呑み込もうとする。

 会話の応酬が出来る程度には月野さんも落ち着きを取り戻すに至る。


「厳密に言えば違う。群青君が天然ボケな人なのは知っていると思うが、アレは勇者の感性がそうさせている。彼は昨日、机に置かれた漫画を読み、それが現実の出来事だと勘違いしたまま突っ走っているのだ。現実世界にも、魔法を使える者が居ると信じて止まないのだ」

「え…………」

「漫画とアニメを通し、異世界転生者は他に居る筈と彼の中で結論付けられ、それで放課後アニ研へ伺ったところ……色々な勘違いが奇跡的に噛み合って今に至っている、というわけなのだ」

「う、うぅ……ごめ、ごめんなひゃい……ひっく……」


 落ち着きを取り戻したかと思えば、再び様相を変えて彼女は大粒の涙を流し始める。

 それは彼女のか細い指で、手の平で、甲で掬っても掬っても取りきれないほどの大量の涙だった。

 どうして今、突然大泣きし始めるのだ?

 自分の口上が勘違いの引き金として作用してしている罪悪感なのだろうか。

 彼女の涙に合わせて、か弱い女子を泣かせてしまったと私も罪悪感が込み上げる。


「す、すまない! 別に責めているつもりはないのだ! 私はただ現状の改善を図ろうと……」

「わた、わた私なんです……」

「…………え?」

「ぐん……っひ……群青君の机に……漫画置いたの私……なんですぅ……」


 決壊しきった涙が次々と溢れ出る。

 眼鏡の内側は水滴に覆われ、その量を増やしていく。

 彼の机の上にコミックス本を置いた犯人が判明した。しかしそれが示すところは不明だ。

 

「それは別にいいと思うが……どうして……」

「……す……好きなんです……群青君のこと。好きな人に、私の好きな物をお薦めしたかっただけなんですぅ……」


 お約束を一つ忘れていた自分の愚かさを恥じる。

 そうだ。そうだった。彼は校内のスターで異常なまでにモテる存在だった。

 それは優等生で、そして真面目で、その裏側でキャラクターに成りきって口上を練習するような彼女も例外ではなかったのだ。

 ──ふざけるな、お前の所為でこんなおかしなことに────などと。

 不思議と憤慨を口にする気持ちになれなかった。

 私のストーカー行為に比べ、彼女の取った行動は何と健気でいじらしいことだろう。

 ──好きな人に、自分の面白いと思うものをお薦めしたい。

 私の陰湿なエゴに比べれば、彼女の恋心には多量に善意が含まれている。

 そう思うと叱咤など出来ない。

 

「……私もだ。私も彼が好きで近づけないかと旅に同行している」


 段々と陽が落ち、噴水を夜闇が覆う。

 現実世界の都会ほどの灯りは街になく、騒音もなく、辺りには心地の良い静けさが流れる。

 落ち着いた夜の帳が、私たち二人を素直にさせていた。

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