第一八話 女子中学生、装備を買う

 私が彼を好きになったのは小学二年生の時だった。

 そんなおませさんな精神は、思えば厳しい家庭環境からの反動のように思う。

 庭に松の木が列を揃える和装の一軒家。併設された道場。

 厳格な父は仕事一筋で息抜き下手。

 亭主関白な父の生活ペースに合わせる為に、私と母は家族旅行などには連れて行ってもらったことはない。

 修学旅行を除けば東京都からは一歩も出たことがないのだ。

 同学年の女子が中学に上がり、早くもお化粧技術を会得し向上させようとする中、私は未だに竹刀を振らされる日々を送り、手の皮もそこいらの男子より厚い。

 しかし、それでも私は女だ。

 好きな人が居るというだけで、全国大会で優勝したことよりも日々は充実するし、爪の模様替えにだって励みたいし、釣り目のコンプレックスをメイクで垂れ目にしたいし、キャラクター物の化粧ポーチとか買ったりとかしちゃったりしてみたい。

 そういう年頃の、そういう女子だ。

 それなりに逞しい身体になってしまったけど、本当はフリフリの服だって着てみたい。

 ────だのに。


「──伊織さん! この銀系統の剣や鎧ならば、伊織さんの戦闘スタイルに合うんじゃないかな!」

「……そう……だな……」


 だのに。

 私はどうして、見知らぬ青空の下にある、見知らぬ城下町で装備を見繕っているのか。


「聞けば伊織さんは既に、地球世界の剣道スタイルが身体に馴染んだと聞いている」


 馴染んだも何もそれしか知らない。装備を買うと聞いて直ぐに辻褄合わせに入っていた。

 

「あ、あぁ……そうなんだ……」

「つまり盾の扱いには不慣れだし、防御手段としては躱すか剣で払うかのスタイルが身に付いているから、重鎧などで防御力を重視するよりは、軽鎧にして動きやすさに特化したほうがいいと思うんだ」


 違う。違うんだ。

 私は憧れていた。

 ショッピングモールへ一緒へ足を運び、同級生に遭遇してしまうかしまわないかの緊張感の中、お洋服やアクセサリーを一緒に見繕ってくれたりしないだろうかという、そういう憧れがあった。

 女子なら誰しもの胸に、その憧れはある筈だ。

 選ばれた服や下着を持って試着室へ行く私。

 女性らしいファンシーな空間に取り残されて居辛さを感じながらも健気に残ってくれる男子。

 お互いが恥じらいながら浮足立ちながら行う、そんな甘酸っぱいショッピング。

 これとかどうかな? とか自分好みの下着を勧められたりして。

 ど、どうかな? とか私も試着室から頬を赤らめて出てきたりして。

 そうして近づく二人の距離。

 それ。それがしたいのに。


「伊織さん! この銀の剣はどうかな!」


 彼は剣立てに掛かった剣の一本を取り出し、切れ味を伺うように天井を仰がせている。

 

「違ぁああああああああああああああああああああああう!」

「え!? そ、そんなに怒って……そ、そうか……剣の見立ては僕よりも伊織さんのほうが優れているのか……それなのにごめん伊織さん!」

「それも違う! が、すまん群青君! 気にしないでくれ! 私の怒りは別件だ!」


 待て。待て待て私。待つんだ鶴名伊織。

 間違っているのはこの私。

 彼と二人で居られるだけで幸せであり、確かに選んでいるものはジュエリーでも下着でもないが、これはれっきとしたお買い物。

 しかも異世界での装備を持たない私の安全を確保すべく、彼の善意で行われている買い物だ。

 彼の優しさを受けているのだ。

 想い人と一緒にお買い物をしているのだ。

 理想は叶っている。

 贅沢になるな。贅沢を求めるだけの人間の未来は暗い。

 無いものを強請るな。有るものに感謝しろ。

 そうだ。それが正しいのだ。


「……ふぅ。急に取り乱して済まなかった群青君。やはり先ほど群青君が選んでくれた剣を貰えないだろうか?」


 一息払って心音を鎮める。

 彼が選んでくれた装備なのだ。

 好きな人がショッピングを共にしてくれて、しかも品を選んでくれた。

 切れ味など最早どうでもいいだろうが私。

 彼が、この私の為に、何かを選んでくれた。それが大事だ。

 品が服や下着ではないだけ。それだけだ。

 

「すまんが続いて防具も選んでもらえないだろうか? 正直、私には良し悪しがわからんのだ。前居た世界とは装備の種類が違うのでな」


 単なる中三女子ですから。鎧の良し悪しなどわかる筈もない。


「なるほど。そういうことなら選ばせてもらうよ。よし、これはどうだろう?」


 疑う様子もなく彼は、僅かな紐で括られた銀色に輝く胸当てを手に取る。それはまるで輝くビキニのよう。

 同じく白い輝きを放つ銀を繊維化させたような腰当。それはまるで輝くミニスカートのよう。

 防御箇所の少なさを補うように手甲と長いブーツ状の銀靴。

 

「銀は軽い上に魔法にも耐性が高い。動きやすさも損なわないし、少し肌は露出してしまうけど、この辺りでどうだろう?」


 ふむ。確かに。

 これならラッキーエロスにも期待出来る。


「ちょっと待った群青君。まるで銀装備にはリスクがないように聞こえる。それなら君も全て銀装備にするべきでは?」


 私に選んでくれたものと比べて、群青君の装備はいささかお粗末。

 剣は瑠璃色に淡く発光する刀身であり、それが普通の剣ではないことを悟るには容易だが、防具は明らかに鈍い灰色の鉄製軽鎧。

 歩く度に金属の擦れる音が鳴るのは、下着に鎖帷子を着込んでいることを鑑みても、その分重量がある筈。

 彼もまた全てを銀装備に変えるのがベストではないだろうか。


「リスクならあるよ」

「ほぅ、それは?」

「吸収性が高い銀装備はその分柔らかくて手入れが大変……つまり費用が掛かるんだ」

「待て待て。そんなものを買ってもらうわけにはいかんぞ!」

「大丈夫だよ。僕はずっと一人で行動してたし、以前とは違って家に帰って寝るから宿泊費も食費も掛からない。お金は貯まってるんだよ。まぁただ……もう一人分を買うほどは持ってないかな」


 セーラー服のまま魔物と対峙させることを良しとするようでは、それは勇者の持つ正しさに反する、ということか。

 自覚があるかどうかは不明な自己犠牲の精神。

 それだけに自然さ溢れる気づき辛い優しさ。

 あぁやはり私は、彼が好きだ。


「……優しいのだな」

「僕が頼んで同行してもらってるんだ。当然だよ」

「だが完全に甘んじるわけにもいかん。金を得る手段はないのか? 私が装備を一新するならば、君もそうでなければ私は納得いかんな」


 そうだ。私はどちらかと言えば買ってもらうより、買ってあげたい派だ!


「私がお返しに何か買ってあげたいのだが」

「心配には及ばないよ。僕は宝具を集めているからね」

「宝具?」

「うん。この剣もそう。この剣実は、剣に見えて魔獣なんだ。生きてるし喋ることも出来る」

「…………は?」

「後で紹介するよ。宝具は剣だけじゃない。鎧も盾もある。僕は旅を続けていれば何れは最高級の装備が手に入るからね。薬草や備品にお金を使うことはあっても装備は買う必要はないんだ」


 二人きりの旅ではないことの落胆を抑え込み、彼に何かをしてあげたいと強く気持ちを保つ。

 何か施されるばかりだと、何故だか居心地が悪い。

 これも苛烈な家庭環境のせいだろうか。

 お返し。謙譲。奉仕。

 彼に尽くしたい。


「なるほど。では、この後宝具とやらを取りに行こう」

「え……いや、宝具は魔物に守られていることが多くて危険度も高いから、伊織さんも久しぶりの戦闘に身体を慣らしてからのほうが……」

「気遣い無用。あまり私を舐めてくれるな群青君」

「う、うん……そうだね、ごめん」


 そう。あまり私の愛を舐めるなよ。

 こちとら早く防具などを入手してもらって、不要となる現在の装備を持ち帰り、染み付いた彼の香りの限りを脳内に記憶しようという算段なのだ。

 地球の季節は夏を前にした五月。

 入学から一ヵ月経ったというのに授業中に消しゴムを落とし紛失させる素振りはない。

 彼の所持品入手のチャンスは此処しかない。

 鎧。いや贅沢を言えばその下の鎖帷子。

 さぞ汗が染み付いていることだろう。

 入手に成功した際には鎖帷子で枕を包み、彼の香りに包まれて睡眠へ入るのだ。

 

「あ。伊織さん。試着してきたら?」


 ────来た。

 試着イベントの到来。

 試着室へ入り、白と紺の学生服を脱ぎ捨てる。

 下着のみの姿となり、その上からビキニ型のような胸当てを装着し、手甲で腕を、レギンスで脚部分の肌を隠していく。

 腰元に銀の剣を鞘へ通して引っ掛けて、パーテーションを開ける。


「…………ど、どうかな……?」


 そして言えた。憧れの台詞。

 竹刀ではなく剣を、フリフリの服ではなく銀の胸当てを、白粉ではなく手甲を、アクセサリーではなく腰当を、下着ではなくレギンスを。

 私が夢見ていた憧れは、遠く離れた位置で着地を見せた、が。


「うん! 似合うよ伊織さん!」


 彼が満面の笑みを添えてそう言うと、私は確かに憧れの一つを叶えたのだと実感を手に入れた。

 同時に。

 これからどんな魔物でさえも、彼の笑顔の為ならば切って捨てられると、謎めいた無敵さが私の胸に湧きあがる。

 この無敵感を胸に、私は異世界への冒険へ乗り出す。

 彼の宝具を取りに、異世界の青空の元へ駆け出す。

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