第一六話 大和撫子は見ている

 集中、とは目的以外のものから故意的に意識を外すことにある。

 放課後の校内には部活動で残る生徒たちの声、近隣の道路からの雑踏音。

 それらを意識的に聴覚から遮断。

 私はただ、突風が訪れるのを待っていた。

 願いは運良くも神に届いたのか、凡そ二秒間に渡る強い風が校舎へ吹き当たり、窓をガタガタと揺らした。


「此処だ!」


 私は縦に並べ揃えた五指をドアの隙間に入れ込み、そして押し込む。

 押し込んだ指の厚さ分だけの隙間が生徒指導室のドアへ作られ、その際に生じるドアを揺らす音は、風の音の中へ隠れた。

 これで群青家の三者面談の様子が覗き見れるわけである。

 廊下に人の気配がないことを確認し、廊下へ寝そべる。

 隙間の最下段から中を覗き見る為だ。

 これならば内側から見ても人影を生じさせず、覗き見の気配を最小限に抑えることが出来る。

 もしも中に居る福原先生や群青家の方々に見つかれば、ドアの最下段に私の瞳だげが見えるという何ともホラーなアレではあるが、多分きっと恐らくメイビー見つからないので大丈夫。

 廊下側から見れば、廊下に寝そべって中を覗き見しているという不審者のアレだが、今は生徒も部活動の時間で見当たらないので問題ない。

 これが私、鶴名伊織が長年の愛の傍観者としての経験が生み出した技。いや業。

 

「──息子は勇者なのです」


 群青君のお父様が厳かに言った。

 その妄言とも取れる発言を聞いて、私には嘲笑する気持ちが生まれたりするどころか深い納得を得ていた。

 道理で上級生一〇名を宙へホイホイと投げるわけだと。

 あの人間離れした身体能力と子供らしからぬ知能の高さ、それと美しさと可愛さと雄々しさを絶妙なバランスで並べ立てたお顔立ち。

 その全ては神が与えたもう奇跡の塊なのだ。

 私がこんなにも心を奪われるのも無理はない。私がこんなにも粘着質になるのも無理はない、のだ。


「《炎球ファイヤボール》!」

「っ!?」


 目の前でいとも容易く起こる奇跡。

 彼の掌の上で起こった、道具などは未使用の発火現象。

 何処からともなく炎が集まり自ら丸まっていき、彼は炎の集束体を熱がることなく掴んでいる。

 これで最早疑う余地は微塵もなくなった。

 お父様が言った、息子は勇者であるとの発言は妄言ではない。

 真実だ。


 その証拠の提示は連続して行われていく。

 氷の槍、雷の鞭、燃え盛るワンワン。走り回って生徒指導室のカーテンを焦がすワンワン。

 

「──では!」

 

 室内からはお父様が福原先生へ退室の一礼を送る。

 私は寝そべった体勢から膝を着き立ち上がり、ツーステップで階段まで駆けて行き、身を隠すまでの所要時間、一秒。

 群青家の面々は生徒指導室を出て談笑を交えながら、私の居る階段方向へと向かって来る。


「おい夕陽、話しが違うぞ。良い先生じゃないか」

「あぁぁあ……九死に一生を得た想いだよ……」 

「あそこまで褒めてもらえるなら賞状は勘弁してあげてもいいかしらねぇ~」


 壁から顔の半面だけを出して群青家の全体図を見ると、群青君の容姿端麗さにも納得を得る。

 あの雄々しさはお父様から遺伝されたものだったか。

 仰々しい袴姿を違和感なく着こなし、如何にも喧嘩っ早そうなあの凶悪な目つき。だがそれがまた漢らしくて良い。


 問題なのはお母様だ。

 美人にもほどがある。

 何だあの中学一年生の子を持つとは思えない魅惑のプロポーションは。

 胸部の巨大さによって、今にでも着物が着崩れしそうだ。

 茶色の毛を一つに纏めて横から流している感じが色気を引き立てている。

 一見、菩薩を感じさせる垂れさがる目を携え、慈悲深さが伺えるお顔でありながらも、正体不明の毒気のようなものが背後にうっすらと漂う。

 同性としても、ひれ伏す他ないほどの麗しさ。

 あの美貌が群青君の中で平均基準となっていると考えると恐ろしすぎる。


 その両方の遺伝子を受け継いだ群青君。

 ご両親の遺伝子を神がかったバランスで並べ立てた勇ましくも可愛い中性的美男子。

 彼の正体がこの世界の者ではないと言われて十分に納得を得られるだけの魅力がある。

 盗み聞きによれば、彼には前世の記憶があり、放課後直帰の理由があの魔王を倒す為というところへ繋がった。

 彼は嘘を言ってはいなかったのだ。

 どんな女子からでも告白を受けない理由は、本当に魔王を倒す為だったのだ。

 群青夕陽君は勇者だった。奇跡の権化だった。

 だが今──────そんなことはどうでもいい!

 どぉおおおおおでもいい!

 

 これは好機だ。

 群青君の秘密を掴み、彼のご両親に顔を覚えていただくまたとない好機。

 そのことに比べれば、彼が何者であるかなぞどぉぉおおおぉぅううううでもいい!

 偶然を装い群青一家の前へ現れ、さらりと挨拶を交わす。

 すると、こうなる!


『──おや群青君と……お父様とお母様でいらっしゃいますか? 初めまして、私は群青君の同級生にしてクラスメイトで委員長を務めており、彼の隣の席に座らせていただいております、鶴名伊織と申します。どうぞお気軽に伊織ちゃんとお呼び下さい』

『おやおや……何とも礼儀正しいお嬢さんじゃないか。こんな綺麗なお嬢さんが隣の席で委員長を務めるクラスに居るのであれば、この父の心配も和らぐというもの』

『そうねぇ伊織ちゃん。どぉかしら……この後、お家に来てお茶でも』

『有難いですが……しかし……群青君、いえ全員群青さんですので、此処はあえて夕陽君と呼ばせていただきましょう。夕陽君も年頃の男の子。私のような同年代の女子が家に来るのは緊張してしまうことでしょう』

『構わないよ山田さん……いや、伊織ちゃん』

『鶴名だが……そう言っていただけるのであれば、有難くお邪魔するとしようか』

『おやおや何だか二人とも良い雰囲気……というか、二人して如何にも真面目そうな雰囲気がお似合いなんじゃないかぁ!? 父は嬉しいぞ!』

『人前でよしてよお父さん……』

『ハッハッハ! 何やら我が息子は照れている様子! 可愛い奴め! ハッハッハ! ハーッハッハッハッハ!』


 ────これだぁ。

 これしかない。

 

 まぁだが?

 私とて真面目で成績優秀な女学生とであると同時に、彼を専属とした傍観者。

 つまり深く彼を理解する愛を持つ自負があり、それだけの知能がある。

 私の妄想など、その通りに上手く運ばれるわけがないことくらいさすがに理解している。

 人生そう甘くない。私はそんなに馬鹿ではない。

 が、恐らくこれを機に、私は彼を夕陽君と呼び、彼は私を伊織ちゃん、と呼ぶ仲にはなるだろう。

 最低でもその程度の展開は期待出来る。出来る、筈。

 行け伊織。

 彼との距離感をぐっと近づける為の一歩を踏み出し、階段へ向けて歩いてくる群青家の前へ姿を現すのだ。

 行け────行くんだ伊織ぃ!


「お、おや……群青君ではないか。や、やぁ奇遇だなぁ」

「あ、森本さん。彼女は森本さんといって同じクラスの──」

「初めまして群青君のお父様とお母様、私、鶴名伊織と申します!」


 群青君の両親にまで名前を間違えて覚えられないようにと彼の発言を遮り、ポニーテールの黒尾をしならせながら深々と頭を下げる。


「お、おぉ……凄いしっかりした子だな」


 厳格そうなお父様から思わずといった形で感心が漏れ出た。

 滑り出しは良し。


「わぁ~綺麗な女の子~ゆーくんの彼女ぉ?」

「ママうえ辞めて。失礼だよ」


 彼女──とお母様から聞こえ、今にも緩みそうな頬を引き締める。

 何だ。何だ何だ。何だか凄く順調だぞ。

 あっさり否定されたのは悲しいが、しかしそれは事実であり恋人でもなんでもないのだから仕方がない。

 それよりお母様から、『綺麗な女の子』と賜った。

 順調な滑り出しが、逆に私の手に汗を滲ませる。


「あ、というか、この鶴岡さんが今回の件で、僕が無実であることを証言してくれたんだよ」

「鶴名ですが」

「おいおい初耳だぞ。夕陽の恩人じゃないか」

 

 初耳。その言葉が私の心を深くえぐる。

 彼を救った私のことなどは家で話題にも上がらなかったという何よりの証拠。

 まぁいい。

 この程度のことで削られて終わるほど、私の精神上限は低くはない。


「あらぁ~それは何かお礼をしないとだわぁ」


 ──お母様の一言によって墜落しかけた気持ちが急上昇する。

 だが歓喜の衝動に身を任せ、鵜呑みにするような私ではない。

 此処で飛びついては自分の卑しさを露呈しているに等しいのだ。

 謙遜の一つでも挟むのが常套手段というもの。


「いえいえ。私などは何もしておりませんので、お気になさらず」

「わぁ若いのにすっごくちゃんとしてるのねぇ~きっとご両親がしっかりしていらっしゃるのねぇ」

「うむ。鶴名伊織ちゃんだったか。夕陽の親として礼を言わせてくれ。この度は息子を救ってくれて、本当にありがとう」

「いえ恐縮です。私は見たままを報告したまでです」

「わぁ~伊織ちゃん今後もゆーくんと仲良くしてねぇ~」


 ──何だどうした何が起こった。

 お母様の中では既に、『伊織ちゃん』と定着したような自然さ溢れる口ぶり。

 こんなにもスムーズにことが運ぶのか。

 本当に段々怖くなってきたぞ。


「ねぇねぇ~伊織ちゃんお礼したいし、もう何もなければお茶でも行かない?」


 ────────────────────────おっと一瞬意識がぶっ飛んでいた!

 何だ。本当にどうした。

 私の妄想通りに物事が展開していく。

 え、お茶? 想い人のご両親とお茶?

 確かに私が強く望んだことではあるが、いざ現実化するとなると生きた心地がしないほどの緊張感が湧いて出る。

 しまった。下心だけで突き進んでいた為に気付かなかった。

 足が……足が……竦んできた……。


「つ、鶴葉さん……ごめんね強引な家族なんだ。断って大丈夫だからね」

「鶴名だが、気にするな群青君。折角のお誘いだ。断っては失礼というもの」

「じゃあ行きましょお~!」


 っく! 私の下心は留まる処を知らんのか!

 群青君からお断りするパスを受けたが、反射的に誘いに乗ってしまった。

 理性を欲望がねじ伏せ、その後で緊張感と戦い合っている。

 脳内を空気が圧迫するような真白感を抱えたまま、前方でお父様と群青君が歩き、その後ろを私とお母様で二手に分かれて歩く。

 すると突然、群青君が身を翻し後方へ来てお母様と交代し、私に声を掛けた。

 

「そういえば部活があるんじゃなかった? 大丈夫?」

「だだだだいだだいだい大丈夫だ群青君。光栄なお誘い、受けねば損というものだ」

「そっか……気遣いが出来る人なんだね────伊織さんは」


 ─────────────────────────────────おっとまた意識が飛んでいた!

 危ない、今度は戻って来れないかと思った。

 耳に入った言葉の衝撃の大きさが私の意識をぶっ飛ばしていた。

 何だ。聞き間違いか。

 聞き間違いでなければ……今彼は…………私の名前を────。


「い、今……私の下の名前を……」

「あ、うん。さっきパパうえが、『お前は苗字が苦手なんだろうから下の名前で呼べば直ぐ覚えるんじゃない?』って……あ、ごめん馴れ馴れしかったかな?」

「い、いや……そ、それで構わない」

「ならよかった。確かに、苗字って同じ種類のものが多いし耳馴染みがないものが多いけど、伊織って名前は早々いないからね」

「そう……だな……」


 ────私、多分今日死んだな。

 良いことが多過ぎる。

 溢れそうな涙と、頬と耳を火照らせるように働く歓喜を抑え込みながら。

 私は群青一家とのお茶へと歩み出す。

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