幕間──現世勇者、元の世界にて──
波打つ砂浜に少年が立つ。
深い紺色の髪は大きく丸い瞳を隠さない程度に伸び、その目は海の向こうに見える孤島を見据えている。
あどけなさを残しつつも勇ましさを併せ持った彼は、未だ発育途上の小さめの身体に黒い学生服がよく似合う筈だったが、今は鉄製の
群青夕陽は波打ち際に立つと、右手に握った水色刀身の片手剣を、寄せては返す波へ差し込んだ。
「あら、冷たくて気持ちいいですわ」
「あはは、後で泳いでもいいよ」
女性の声が聞こえたが砂浜には夕陽しか見当たらない。何故ならこの海には魔物が出る。
その為に近隣の村人は海へは近づかないし、船も出ていない。
遠くに見える孤島へ訪れる為には他の手段で海を渡らなければならないのだ。
「では」
やはりもう一度、幼くも気高さを感じる女性の声は確かに聞こえた。
海に刺さった剣の刀身が輝き、そして白い煙が立ち込める。それは冷気だった。
パキパキパキ、と冷気が海水へ通うと、瞬く間に孤島へ続く氷の道が出来上がった。
剣を抜き、自分の顔の前へと持ってきて、鏡のようにして自分の顔を照らす。
しかし勇者が見ているものは自分の顔ではなく、剣そのものだった。
真面目な彼は、話しをする時は相手を見て、と礼儀を重んじての行動だった。
その剣は生きている。魔剣だった。
「勇者さん、分かってるとは思いますが海中に潜む魔物がタダで通してくれるわけありませんわ」
「うん、ありがとう」
言葉を受けて夕陽は優しく瞳を細めた後、直ぐに鋭い目つきに変えて氷の道を睨みつける。
転生前で培った戦闘経験が、魔物の気配を肌に感じさせる。
肺ではなく腹へ、すっと酸素を一口にすると夕陽は海上に出来上がった道へ向かって足を弾いた。
落ちれば魔物だらけの海中の上を通る、壁もない冷気の道をひた走る。
夕陽の聖気は魔物の勘に障る。
撒き餌のように作用して、魚類型の魔物が次々と海中から夕陽へ向かって飛び跳ねる。
「言葉は通じるか!」
魔物からの返答は敵意をいっぱいに孕んだ奇声のみ。
夕陽は更に息を呑んで、全力疾走の中に乱舞を繰り出す。
襲い来る魔物を次々と魔剣で払い、斬られた魔物の切断面に氷が張って海水へと落ちていく。
孤島は未だ遠く、一本道の向こうに大量の魔物がバリケードを作り上げている。
「退けぇ!!」
半魚類、深海類、貝類、頭足類──様々な種類の海中魔物は勇者の警告とは正反対に興奮を高める。
口からは水鉄砲を、氷を、炎を吐き飛ばし、魔法を使う者までもが居る。
夕陽は言葉の通じないジレンマを奥歯で噛み殺し、狭い幅の道の上で舞い踊るようにして魔物の攻撃をやり過ごすと咆哮と合わせて剣を振るう。
「ぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
その一閃を振りぬく直前────勇者の軽鎧の中から奇怪な音が鳴った。
カラララララララン、カラララララララン────と。
「な、何の音ですの!?」
振られながらも剣は勇者へ問いかける。
「──携帯アラーム……だよ」
「……何語ですの!?」
────カラララララララン、カラララララララン。
その音は勇者が乱舞し続ける五分間、絶え間なく鳴り続けた。
「す、凄い気が散るのですが!」
「っく!」
集中力を乱しているのは勇者も同じだった様子で、決意の眼差しは暗く濁る。剣先に僅かな怒りを込めつつ魔を振り払っている。
魔物側から発せられる、勇者というだけで芽生える殺意。謎のあらーむとやらの音によって勇者に抱かされた焦燥感。
その両者が狭い冷気の道でぶつかり合う。
「うわぁあああああああああ!!」
「グルルルルルァアアアア!!」
「な、何か……勇者さん荒れてません!?」
「ぅうう…………帰りたくない……」
「……は、はい?」
「帰りたくないんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
魔剣の彼女には勇者の言葉の意味が分からない。
携帯アラームは夕陽に定められた門限時間を報せる為の細工であり、家族揃って夕食を取る為に設定した自分の真面目さを今は呪っていた。
今日ばかりは。今日ばかりは帰りたくない。
今頃学校からは連絡が着ていて、帰ればその話になるだろう。
そして両親は言うのだろう。
────お前の初呼び出し記念にカメラを回す、とか。
────大丈夫だ夕陽、俺がその福原とやらを一発ぶん殴ってやる、だとか。
そんな見当違いの愛情を自信満々に見せつけ、大人しく謝っておけば済む話を変に大きくさせようとするのだろうと、既に夕陽は確信を得ていた。
「ただでさえ時間が惜しいのに……! 向こうのいざこざに巻き込まれている余裕はないのにぃ!」
ジレンマから涙を滲ませて乱暴に魔剣を振るう姿は、道端で棒を振るう子供のような姿だった。
それでも実力は間違いない。
──魔物の残骸は氷道の上に横たわり、残りは海中で眠りについた。
「ア、アタクシでよければ……お話聞きますわよ?」
「…………ふざけてると思わないで聞いてくれる?」
「勿論ですわ。むしろ勇者様は真面目過ぎて少し困っているくらいですもの。少しおふざけを覚えていただいたほうがいいですのよ」
「うん……ありがとう……」
胸元から携帯電話を取り出し、画面へ触れてアラーム音を鎮める。
表示されている時刻を見てみれば帰宅時間を僅かに過ぎていた。
真面目な彼はそれだけで落ち着かない。
親と交わした約束を違えてしまっている精神的圧迫へ、異様に逆らう姿勢を見せる子供の反抗心。
帰らなければ。帰りたくない。帰らなければ。帰りたくない。
「……愛され過ぎて困ってるんだ」
「…………ふざけて……いないのですよね?」
「まぁ……そう思うよねぇ……」
極めて悲痛そうに、夕陽は嬉しい悲鳴を口にした。
だが冗談めいた素振りはない。
魔剣の彼女にそれが伝わると、彼女は再び白い煙を上げる。
冷気が剣先から柄まで満ち、煙の中へ姿を隠すと────その中から垂れ耳の白い子犬が一匹現れて、氷の道へ着地した。
勇者の横へ短い四つ足をついて、共にトコトコと歩いていく。
「チキュウ……でしたっけ? あちらの新しいご両親のことです?」
「うん……とにかく愛が重いんだ……向けられているのが愛以外のなにものでもない為に無下にするのも悪い気がするし……」
「やはり真面目ですのねぇ。そんなのうざったい、って一払いにしてしまえばいいですのに」
「可哀相だよ……折角愛情込めて僕を育ててくれているのに……」
「ふぅ……勇者さんはやはり勇者ということですわね」
尊敬と好意を込めて子犬はそう茶化した。
「……愛している者が大切にしているものを、同じように大切に想ってくれることが愛だと思いますわよ」
「……アイスは大人だなぁ。それ、そのまま言葉を借りていってみようかなぁ」
「えぇどうぞ。アタクシの言葉でよければ使って下さいましっ」
アイスと呼ばれた雌の子犬は、垂れていた耳をピンと尖らせ誇らしげに氷の道を歩み、遂に夕陽とアイスは孤島の地を踏んだ。
勇者は今後この島へいつでも来れるようにと、海に囲まれた自然溢れる孤島の模様を脳裏に焼き付ける。
転送ポイントの記録を終えた頃、夕陽は先ほどよりは幾らか救われたように温和さを表情に取り戻す。
「……よし、帰って話してみるよ」
「えぇ、上手くいくといいですわね」
────カラララララララン、カラララララララン。
嫌々でも真面目な彼が設定したスヌーズ機能が、帰宅の催促として孤島の地で虚し気に鳴る。
群青夕陽は────勇者はやっぱりげんなりして帰っていった。
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