第一〇話 勇者さんの学園チート生活風景①

 教室を満たす沈黙の構成は複雑だ。 

 それは新入生という新しい環境に身を置く不安であったり、はたまた未だ口を利いたこともない人物が同室内に居るぎこちなさであったり、檀上に立つ先生が発する厳しさだったりする。

 その全てが合わさってできた沈黙が張る室内には、ノートを取るカリカリとした音がとよく響く。

 私の、横に動かした瞳が音を立てないか不安なほど静かだ。

 左二列目、その最後尾席に座る群青夕陽君を私は見ている。

 その彼は頬杖をついて顔を窓へ向けている。外からは室内の緊張感を少しだけ和ませる穏やかな日和が零れ入る。

 彼の視線の先には緑の葉を揃えた桜の木がある。

 ────彼は春を見ている。


 私は幸運にも彼の隣の席を確保したが、この私の、鶴名つるな伊織いおりという名前を彼は覚えてくれているのだろうか。

 私は周囲の女子に比べて発育も良く身長が高い為に悪目立ちする。

 髪型も黒髪を一つに結った形を変えていないのだが、彼は賢いのに人の名前を覚えるのが苦手らしいので、小学校で六年間一緒だったとはいえ不安なものだ。

 制服も黒い学ランと白いセーラー服になったことで、彼のクラスメイトへ対する記憶がリセットされてないといいのだが。


「──群青! 何を外を眺めている! この問題を答えてみろ!」


 よそ見していた群青君が許せなかったのだろう。

 数学教師かつ学年主任の福原先生が群青君を咎めるように問題を出した。


「あ、はい。マイナス6です」

「む、むぅ……よ、宜しい」


 福原先生は眼鏡を直す仕草の中に悔しさを滲ませていた。

 教室にざわめきが走る。

 彼はいつもこうだ。

 確かにずっとよそ見をしていたのに。

 こうして既に答えなど知っていたかのように先生方を返り討ちにしてしまう。


 確かに私たち中学一年生が習う数学問題は、まだ暗算が行える範囲の簡単なものだと思う。

 けど、彼は窓の外から黒板へ視線を戻して直ぐに答えてしまった。

 初めて負の数を扱っている数式に取り組んでいるというのに。群青君は小学校の頃からそうだった。

 文武両道であり、男性でも才色兼備の言葉が似あっていて、それでいて誰にも分け隔てなく接し、優しい。

 瞳に掛かるか掛からないかくらいの紺色の前髪が、彼の瞳をちらりと見せたり隠したりと一層輝かせるようで。

 肌なんかも女子より白く綺麗で、中性的さを残した顔は可愛いのだが目つきは雄々しい。

 しかし彼の真の魅力は其処に限らない。彼の真の魅力は、この後にある。

 ────そろそろか。


「福原教諭!」


 群青君は背筋と腕をピンと伸ばし上げ、挙手を行った。


「……群青、先生と呼びなさい。それと何だね」

「はい! よそ見をしていたのは事実です! 大変申し訳ありませんでした!」


 静まり返った教室で高らかに声を上げ、彼は深々とお辞儀をする。


「……う、うむ。以後気をつけなさい」


 着席し、いかにもこれでよしといった感じでシャープペンシルを取り直す。

 先ほどよりも大きいどよめきが教室に走った。

 失笑する者もいれば瞳にハートを作り浮かべる者も居る。

 

「……お前軍人かよ」

「え、いや……」

「群青君マジメ過ぎぃ~超ウケる~」


 即座に彼の一つ前と左隣の席からツッコミが入る。

 そして可愛らしい彼は、これにもいちいち困惑して見せるのだ。

 どうせ今頃──授業中のお喋りは禁止だというのに、それを破ってまで一声掛けてくれたクラスメイトに自分も何か言わなくちゃならない──だとか考えているのだろう。

 事実腕を組んで首を傾げている。

 そして決意し、


「──皆、相すまん」


 とても真剣な目つきでボソッと言った。


「武士かよ!」

「え、何……私小学校一緒じゃないから知らないけど、群青君ってそういうボケの人?」


 そのやり取りを羨ましそうに見ていた私は、つい参戦を決意してしまう。


「──いや、彼は天然だぞ」

「え、そうなの? イケメンなのに何か残念だねぇ」


 その感想は愚かを極めている。

 何故なら群青君を好きになる女生徒は、最初は必ずその残念的な印象を一度経由し、一月も経てばもう好きになっているのだ。

 持前のルックスの良さと文武両道というモテ要素に加え、清らかで頼りがいのある雰囲気、スター性、それらにギャップを生ませる天然さという可愛らしさ。

 気付かぬ内に虜になり、好意を自覚した翌月には告白しているのだ。

 小学校で六年間一緒だった私は、その様子をずっと見てきた。

 

「そこ! 何を喋っている! 群青これを答えてみろ!」

「はい! マイナス28です!」

「正解だ畜生! それと喋るな!」

「はい! 大変申し訳ありません!」

「いちいち立たんで良い!」


 クラスのあちこちで漏れていた失笑は、いつしかクラス中を包む笑いへ膨れ上げり、いつの間にか平和をもたらしている。

 先ほどまでの張り詰めていた空気が嘘のようだ。

 彼を中心として、彼の居る区画が平和になる。

 三つの小学校からの卒業を合わせたこの明葉第三中学校で、約三倍もの数に増えた生徒たちの中でもその魅力は埋もれたりはしないのだろうと思う。


 一言参加させてもらった今が好機。

 私は彼に用事を伝えるべく、ヒソヒソと口を開く。


「なぁ群青君」

「……えっと………………………………高橋さん」

「鶴名だが」

「あ、ご、ごめん」

「気にするな。人の名前を覚えるのが苦手なのは知っている」


 あまりにも人の名前を覚えないので以前、直接彼に聞いたことがある。

 昔は多くの国を巡っていた為に、初めて会う人だらけでいつしか名前を覚えようという意識が失せたのだとか。

 小学校はずっと一緒だったから、旅をしていたのはそれより前で、そしてその幼児時点で既に人の名前を記憶することが億劫になるほど、様々な人と出会いを果たしているということになるか。

 何とも壮絶な幼少時代を送ってきたのだと驚きだったけれど、その人生経験の豊富さが彼の魅力に繋がっているのだろう。


「鶴山さん、どうしたの?」

「鶴名だが。放課後空いているか?」

「あー……えっとごめん。僕暫くの間、家の事情で早く帰らないといけないんだ」

「そうか、わかった」

「今聞けることであれば聞くよ?」

「いや、例のアレだ」


 アレ────女子からの告白である。

 私はあまり感情の起伏が顔に出ない所為か、どうやら他の女子には群青君に想いを寄せていることが伝わっていないらしく、そしてそのような女子は校内では珍しい。

 だから私は仲介役として頼られることが多い。

 群青君に告白したいんだけど時間作るように言ってもらえないかな、と。

 私も頼られて悪い気はしない。


「え? ま、また?」

「あぁ、私も驚いている。何せまだ中学が始まって最初の五月だ」

「うーん……じゃあやっぱり行くよ。行くって伝えておいて」

「……相変わらず優しいな」

「折角想いを告げてくれるんだ……直接会って断らないと失礼だと思う」

「……そうだな。言われるべきことを言われなければ、整理のつかない想いもあるだろうな」


 私自身へ言っていた。

 私は仲介役を担うばかりで自分の想いを告げていない。

 ただただ彼の隣の席に座ったことを幸福に想い、彼を眺めているだけだ。

 小さい頃から習っている剣道でも、どうやら乙女の心までは鍛えてくれないらしい。

 外見上では気丈だとよく言われるものの、こうして臆しながら彼と話す機会を得られることに喜んでいる。

 私は卑しい。


「鶴谷さん、いつも申し訳ない」

「鶴名だが。気にするな。しかし中学校になってもモテモテなのは変わらなさそうだな」

「そんなことないよ。三つの学校が合わさって生徒数も三倍に増えてる。僕より魅力的な男性は他に沢山いるさ」

「謙虚なことだ。女性に興味がないのか?」

「ううん、そういうわけじゃないけど……やるべきことがあるんだ」


 決意の強い眼差しを黒板に向けている。

 黒板を見ているようで違う想いを見つめているのだろう。

 彼が言った、やるべきこと。

 それが何なのか、私は知っている。だが真意は問いただせない。


「そういう鶴間さんも、大人びていて美人だし男子に好かれるよね」

「っ!」


 我ながらよくぞ堪えた。

 歓喜の雄たけびをどうにか抑え込んだ。

 これが自分の部屋ならば今の発言を日記に記し、携帯に記念日として登録し、道場に赴いて竹刀を振りながら夕陽! 夕陽! 夕陽! と叫びながら素振りをしていたに違いない。

 感情が出づらい顔に生んでくれた父と母に感謝を。


「鶴名だが……そんな、私はモテたりしないぞ」

「勇気が出ない男子が多いらしいよ。もしもそういう男子の相談を受けたら、今までの恩返しで僕が仲介してあげられると嬉しいな」


 ………………………………告白してもいないのに、私は今フラれなかったか?

 我ながらよくぞ堪えた。

 絶望の呻きをどうにか抑え込んだ。涙も。

 これが自分の部屋ならば衝動的に首を括っていたかもしれない。

 ま、まぁだが?

 異性として意識されていないということが判明しただけであって、何も将来性までもが奪われたわけではないのだ。

 そうだ。そうだな。

 ふぅ、落ち着いた。

 感情が出づらい顔で、本当に良かった。


「ふん、必要ない。私は夢があって忙しいのだ」


 群青君とお付き合いしてみたいという夢。


「そっか。僕と一緒だね」


 そう言って彼は、窓の外から入る光一杯を背負って微笑んだ。

 あぁ駄目だ。彼の笑顔が太陽よりも眩しい。

 もう失神しそうだ。

 本当にポーカーフェイスでよかった。

 黄色い声を上げそうだったが何とか抑え込むに至った。


「群青! またお前何か話してるな! これを答えて──」

「マイナス13です!」

「正解だ! 喋るな!」

「はい! 申し訳ありませんでした!」

「立つな!」


 そうして彼はクラスの視線を集めていった。

 あぁ、彼の隣に座れるとはなんと贅沢な立場にあったものだろうか。

 私は本当に運が良い。

 出来れば運が良いついでに彼が授業中に消しゴムなどを落として気付かぬまま終わったりしないだろうか。

 私が拾い自分の筆箱へ納めて高校受験の合格祈願お守りにしたいのだが。いや体操着を忘れて帰るというハプニングのほうが望ましいか。申し訳ないが一晩拝借して彼の汗の匂いを記憶に焼き付けたいところでもあるし、他にも様々な使用法が思いつく。うむ。体操着だな。体操着を狙おう。というか甚だ疑問だが彼は忘れものをした記憶がない。教科書とか忘れてくれさえすれば私が席をくっつけて見せてあげられるのに。定番だろう? 定番だよな? どうして忘れないのだろうか。近づく席、近づく肩。触れ合いそうな彼の学ランとセーラー服。では次のページ、とか先生に言われた時に私がめくってあげようとした手と彼のめくろうとした手が触れ合っちゃったりして其処で互いに赤く染まる頬始まる異性への意識。そうなればもらったも同然だと思うのだが一体どれだけしっかりした人なんだこの人は。もうあれだな。彼のミス待ちをしていても埒があかない気がするからいっそ私から行くか夏になったら私の身体を包んで濡れたスクール水着を彼の机の上に置いておこうかなそうすれば多少私のことを異性として見る意識も高まるというものであって彼だって年頃の男の子なのだからスク水一丁ありゃあ妄想の一つや二つする筈だし私は発育の良いほうで胸も大きいのだからスク水を彼の机に置いたその日から彼の厭らしい視線を感じたりして其処から始まる二人のラブ!


 こんなことを考えながら彼を見つめても彼は気付かないでいる。

 まぁとりあえず、気持ちが顔に出ないでよかった。

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