第九話 パパうえ攻略戦④

 お醤油に通った水精霊を使役し、俺の瞳へ飛ばしていた。

 勇者としての力をお醤油なんかに使って宜しいのでしょうか。

 夕陽は未だ視力の回復しない俺へ走り寄り、俺の顔は床へうつ伏せに押し付けられ、右腕を絡め取られて背中へ回される。

 まるで犯罪者確保の扱いだ。

 いや、確かに。俺は人質まで用意してキッチンへ立て籠もった、立て籠もり事件の犯人だったか────。


「ウィンディーネ、ありがとう」

「な、何だ……?」

「あぁお醤油に入ってた水精霊ウィンディーネに礼を言ったんだよ」

「……なるほど……会話が出来るのか……何かボソっと言ってたのはそれか……」

「──さてパパうえ。お醤油が目に染みていることでしょう。目を洗いたいことでしょう。この腕を離して欲しければ、どうか僕に外出許可を……魔王討伐の許可をお願いします」


 流石だ。

 これなら俺に暴力を振るう必要はなく、取引の報酬として異世界への冒険を手に出来る。話しだけで、終わらせられる。

 しかしそれは、俺が屈すればの話しだ。


「っふ……甘いな夕陽よ。パパは夕陽を異世界へ行かせない為なら、一生お醤油が目に染みていても構わんよ」

「…………そうか……ウィンディーネ」

「っ! ────ぐぁあああああああああああああああああ!!」


 夕陽は冷酷にウィンディーネに合図を送り、俺の目へお醤油の追加注入を行った。

 なるほど。これは取引などではなく、既に脅迫立場を入れ替えていたわけか。

 存外、善意の塊の良い子で宇宙一可愛い坊やかと思ったが、中々に非道な面も持ち合わせているじゃないか。


「だが……俺は……! 屈しないぞ!」

「パパうえ……今回の騒動、僕にも責任がある」

「何……?」

「僕がもっと早く、ちゃんと胸の内を打ち明けていればよかったのだと後悔しているよ。遠慮……してしまっていたんだ。あまりにも温かい両親の元に生まれ直したものだから……下手に何かを話して、心配を掛けてはいけないと思ってしまっていたんだ」


 俺の心に痛みが走った。

 これでは結果として夕陽の気遣いが駄目なこととして表へ出てしまっているではないか。

 一二歳の子供が、頑張って気持ちを押し殺して、それで怒られたんじゃ救われない。それをしてしまっている自分が不甲斐ない気持ちになった。

 同時に、言い知れない不安に襲われた。

 息子の気遣いすら見落としていたのだ。俺はまだ他に、夕陽が抱えている何かに気付いていないのではないだろうか。

 下手に何かを話して──とそう夕陽は言っていた。

 他にも、誰かに打ち明けて聞いてもらいたい想いがあったんじゃないだろうか──。


「今更だが……お前、何か人に話したいことがあったんじゃないのか……」

「流石はパパうえだ……僕は生前、魔王を倒せなかった。その所為で、今も沢山の人が苦しんでる……本当は、赤ん坊の身でもなんでも……異世界へ行ってしまいたかったんだ」

「っ…………そうか……お前は……お前は……!」


 生前、魔王に倒された勇者の転生者だと四歳の時点で発覚し、そして父親であるならばその時点で気づくべきだったのだ。

 自分は敗北した。多くの人間を救えなかった。

 現在も元の世界の住人が恐怖に支配されているにも関わらず、自分は平和の約束された世界の温かい家庭で暮らしている。

 責任感の強い子だ。自分さえ無事ならそれでいいか、などと割り切れない子なのだ。

 常に罪悪感と早く助けに行きたい焦燥感に駆られながら、それなのに幼児の身体では実力を発揮できないでいる。

 そんな自分を常に責め続けたに違いない。それはつまり。


「お前……生まれたその時から絶望してたのかよ……!」


 絶望を胸に生まれて来る赤子など存在するだろうか。

 負けた。人々を救えなかった。取返しの付かない敗北を刻んでしまった。

 そんな風に産声を泣き声に変える赤子が居るだろうか。

 元の世界の住人などこの世界に居る筈もなく、夕陽には味方がいない。

 彼の味方は……この我々両親しかいなかったのに。

 その片方である父親までもが、こうして敵対してしまっているのか。

 あまつさえ、その息子にまで責任を感じさせる始末。

 俺は……何て駄目な父親なのだ。


「ぐぅ……夕陽ぃ! すまん……すまなかった!」

「パパうえ……僕の為に泣いてくれるだなんて……ありがとう……」

「そうかぁ……そうだよなぁ……俺はお前の絶望を分かってやれてなかった……お前の味方は俺たちしかいないのにぃ……俺は何て駄目な親なんだ……!」

「いいんだ……分かってくれたならそれでいいんだ……」


 子供の前で泣く親。威厳に拘っていた俺だが、今はいい。

 親の威厳とは保たれているに越したことはないが、かといって無理に保とうとしてはいけないと聞く。

 謝るべきは謝り、頭を下げるべき時なら、例え相手が幼い子供でもしっかりと頭を下げなければならないのだ。

 子供は鋭い。親が必死に保っている陳腐なプライドなどは見抜いてみせる。

 親だって人間なのだから、間違うことはあるし、その時しっかりを謝罪をしなければ子供の心はどんどんと離れ、結局保とうとしていた威厳は崩壊するのだ。

 褒める時は褒める。謝る時は謝る。怒る時は怒る。

 人間の正しさを示すのが親であって、偉そうにするのは親ではなく、ただの暴君なのだ。

 それはきっと、夕陽が倒そうとしている魔王と、それほど変わりはないのだろう。


「ぐぅ……うぅ……!! すまない! 本当にすまなかった夕陽よ!」

「ううん……分かってくれてよかった。僕は異世界に行っていいんだよね?」


 俺たち親子にもう言ってないことはないだろう。

 息子の声が軽くなった。夕陽も夕陽で胸の支えが取れたに違いない。

 俺もまた、素直でいようと思う。


「嫌だ」

「はぁああああああああああああああああああああ!? 今までの流れ分かってる!?」

「ぅうう……嫌なものは嫌なのだ……夕陽が心配で心配で仕方ないのだ……だから行くなら、こっそりと無理やり行ってくれ……俺はお前を止めることを辞められそうにないが、お前が行かねばならない気持ちも理解した……だから面倒だろうが……どうしても行きたいなら俺の目を盗んで行ってくれ……」


 ぼそっと夕陽が、超めんどくせぇ────と、地球世界の若者風に言ったのが聞こえた。

 俺の涙でお醤油は無事に流れ、目を開けるに至った。

 こげ茶色のお醤油色の小さい精霊が、ふよふよと浮いていた。


「あれ? 普通の人間に見えないって言ってなかった?」

「挨拶する為に姿を見れるようにしてくれてるんだよ。挨拶して」

「これはこれは、息子がいつもお世話になっております」


 俺は立ち上がりお醤油精霊さんにお辞儀を送る。

 続けて小夜梨がお茶を出した。

 いえいえお構いなく共食いになってしまいますので、と断っていた。

 そうして────親子喧嘩は幕を下ろしたのだった。


「パパうえ、じゃあ僕明日から行くからね」

「あぁ……俺は止め続けるけどな」


 再び家族揃ってテーブルを囲み座る。

 精霊さんにはお煎餅が出された。パリパリとかじっている。


「待ちなさぁ~い。今度はママの番よぉ~」

「え? ママうえも何かあるの?」

「勿論よぉ~。先ず、冒険を優先して学業を疎かにしてはいけませんっ。遅刻サボりは駄目ぇ。あとお勉強も宿題もちゃんとやるようにっ。あと、門限を設けるのでそれを守るように~」

「う、うん」

「パパはご飯一緒に食べたいから一八時にしよう」

「…………いや……それ殆ど冒険出来ないんだけど」

「じゃあ一八時には一度帰ってきて、ご飯を食べてからもう一度異世界へ行くことぉ。その時は、二一時には帰って来ること。それならいい?」

「…………うん……」

「それとパパは、もう少し夕陽と遊びたいな」

「………………うん……」

「そうだ。今度の日曜日は高速でドライブしよう! インターを巡って食べ歩きするんだよ! 関東圏や東海なら直ぐに帰って来れるし!」

「…………………………僕、明日早いからそろそろ寝るね」

「それと映画館とかも行きたいなぁ! ポップコーンシェアとかしてさぁ! その帰りに洋服も買おう! ほら、異世界へ行ってもお洒落なほうがやっぱり良いだろう!」

「ウィンディーネ」

「ぎゃぁあああああああああああああああああああああああ! 目があぁああああああああああああ!」


 異世界行きは止められなかったが、夕陽との距離は少し近づいた気がした。


 それは冬の冷気が失せつつある三月の夜のことだった。

 この三月の話合いをもって、夕陽は小学校を卒業し、中学へ通いながら異世界へも通う生活へと身を移していく。

 新しい生活の幕は、明日より上がる。

 季節の変わり目によって、息子の異世界冒険に抵抗する気持ちを残しつつも、まぁ応援してやってもいいか、とそんな風に俺も少しだけ変わった。

 冬が去ると共に、俺たち家族も少しだけ温かくなった。

 その温かさはもうじき桜を咲かせるのだ。

 ────春はもうそこまで来ている。

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