第八話 パパうえ攻略戦③

 親の虐待問題に過敏な昨今を非常に良い傾向にあると、親の身として思う。

 拳骨一つでも晒し報道に繋がりかねないと危惧し、大人から子供への暴力は減少することだろう。

 大賛成である。

 しかし一方で、俺は親父に拳骨を何度も喰らって育ててもらったことにも感謝がある。

 言ってしまえば被害者の立場でありながら、別段、親父に対して否定的ではない。

 虐待は論外だが、躾に拳骨一発が必要悪かどうかなんてことは、それはきっとニュースなどで傍から見る俺には決めようもなく、当事者にしか分かり得ないことがあるのだろう。

 もしも俺がこれから放つ拳骨が、一発でも夕陽に届いて夕陽が虐待だと騒いだのなら、俺は胸を張って殴ったと証言し、罰を受けよう。

 それでも俺は息子を止めたい────異世界へは行かせたくない!


「行くぞ夕陽!」

「わ、ちょ、ちょ! 父上! 待って下さい!」

「パパだって……言ってるだろうがコルぁあああああああああ!!」


 拳骨と言う割には、しっかりと中腰に落とし脇を締めた突きを、ソファーへ座ったままの夕陽へ放つ。

 あくまで様子見の牽制的な突き。しっかり当てるつもりはない。

 俺の子供は勇者だ勇者だと聞いてはいても、実際にその身体能力を戦闘環境下において目撃したことはないのだ。

 Tシャツハーフパンツで、一見しただけでは只の虫取り大好き少年みたいに見えるこの子が、本当に人間離れした強さを持っているのかと未だ疑っているのだ。

 ──しかし。

 手加減などは必要なかった。

 幼い頃に軽く取って見せた野球ボールのキャッチを再現するように、俺の拳は易々と掴まれた。

 やはり勇者。動体視力が一二歳の子供のものではない。

 同時に腕力も握力も。

 握られた拳を夕陽の手から引き剥がせないでいる。

 夕陽は俺の拳を握り込んだまま、慌てた様子でソファーから立ち上がる。


「父……パパ! 待ってってば!」

「待たん! 俺を倒さない限り旅へは行かせない! 仕事も休んで二四時間体制でお前を見張ってストーカーして、ついでに遊んでもらうんだからね!」

「最終的に私欲が入り込んでる!」

「きゃー! あーくんかっこいい~!」

「打って来ないのか! いやぁ……打てないのかぁ……?」

「っく!」


 ──やぁはり。

 夕陽は前世から持ち合わせている善意が作用し、親に手をあげられない。

 良い子だ。だが良い子過ぎる。

 これでこの日本から、地球世界から出ないと言うのなら俺は手放しで喜べたものを、しかしながら夕陽が行こうとしている場所は悪党の巣なのだ。

 良い子過ぎることが、こうして仇となるのだ。


「打って来ないのなら、此方から行かせてもらうぞ!」

「パパうえ! 辞めて下さいって!」

「混ざっちゃってるじゃん! パパと父上が混ざっちゃってるじゃん!」


 それだけ動揺を誘えていると見ていいか。

 歴史的瞬間だ。

 一般人が! 勇者を! 困らせた!

 その困惑に堂々と付け込ませてもらうべく、俺は乱打攻撃へ打って出た。

 今度はしっかりと、どれか一発だけでも当たってくれと強い願いを込めて、本気で拳骨を当てに行く。


「オラオラオラぁ!」

「ちょ、わ、ま、っふ!」


 もう当たってくれさえすれば何処でもいい。

 一発でも当てて──こんな一般人に一発もらうようじゃあ、まだ異世界は早いんじゃないのぉ?──などと言いくるめてやると、そういうつもりだった。

 もう攻撃箇所に見境はなくなり、頭、腹、脚、色々なところ目掛けて拳を放つ。

 だがしかし、いかんせん当たらない。

 しかも夕陽の回避は身体を大袈裟に捻ったりすることもなく、必要最低限の動きだけで行われている。

 着弾地点の先読みを、俺の肩の上げ具合と目線から探り、突き出された拳をカンフー映画のような捌きで手で払い、今にも抱き合ってしまいそうな距離感でありながら一発も当てられない。

 格闘経験アリ、空手有段者のこの俺が、である。

 

「じゅ……一二歳でこれかよ……」

「パパうえ、無駄です。攻撃は見切っている」

「パパうえ呼びが馴染みだしている!」

「わぁ~ゆーくん本当に強いんだねぇ~」


 とても150㎝未満の子供の動きとは思えないとはいえ、俺も諦めるわけにはいかない。

 俺の無鉄砲な乱打には意味がある。

 既に三〇は放ったであろう、俺の愚直な正拳突き。

 だがこれで十分、拳に意識を奪われていることだろう。

 夕陽、地球世界じゃあ喧嘩ってのは、頭でするもんなんだぜ!

 俺は元々近かった距離を、脚を擦って更にじわじわと近づけ、遂にヘッドバットが届く距離まで達した。

 とくと見よ夕陽。これが父の奥義。

 父の威厳、父の偉大さを知るがいい!

 俺から溢れる夕陽への愛情は空気中に混在する魔素粒子へ向かって爆散、そして結合し、再び棒線状粒子となって我が額に集束帰還し、そして遂には俺のおでこは光の闘気を纏った────ような気がした!


「必殺!──《愛の頭突きラブ・ヘッドバット》!!」

「──っむ!」


 ────僅か5㎝。

 夕陽の額と俺の額が合わさる、その僅かな隙間へ夕陽は手を入れ込み、俺の額はキャッチされた。

 形としてはまるで一二歳の子供が三四歳の大人へアイアンクローをお見舞いしている図。

 これも、見抜いてみせるというのか。

 これが、勇者という存在なのか。


「パパうえ、もう辞めようよ」

「っく……完全にパパうえが定着している……」

「僕は必ず魔王を倒す。だから安心して待ってて」


 今にも口が触れ合いそうな至近距離で、必死なるでも困るわけでもなく真っ直ぐと俺の目を見て説得を添える夕陽。

 子供のように喚いて暴力に打って出る俺より、最後まで話し合いで決着をつけようという大人な夕陽。

 そんな自分に嘲笑が漏れる。

 一二歳の子供よりも子供な大人、か。

 ──どうせなら、堕ちるところまで堕ちてやろうではないか。


「……そうか。夕陽。これだけはやりたくなかったが……」

「もぉ、今度は何をするつもり?」

「っふ……小夜梨! ちょっとこっちに来てくれ!」

「きゃんっ、もぉあーくんったら子供の前でぇ~」


 俺は小夜梨の手を無理やり引っ張り、夕陽を置き去りにしてリビング奥へのキッチンへと連れていく。

 冷蔵庫を開き、セロリを引っ張り出す。


「ぱ……パパうえ……それは……まさか!」


 小夜梨の自由を奪い上げ、口元へセロリの先端を近づける。


「そうだ夕陽。これはセロリだ」

「ママうえの……唯一食べたら吐くレベルで嫌いな食べ物! ネギと間違えてカゴに入れたと思ってたら本当に購入していたのか!」

「だから混ざってるんだよ! ママと母上が混ざっちゃってるんだよ!」


 小夜梨はナイフでも突きつけられたように、言葉を失い涙を滲ませた目で、セロリの切っ先を見る。

 小刻みに震え、瞬時に恐怖は最上級に達しているようだった。


「動くな! 少しでも動いたり、お前がどうしても異世界へ行く気持ちを変えないのなら……小夜梨にこれを食わせる!」

「ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 

 ゆーくん助けてぇええええええええええええええええええええ!!」


 あっという間に大量の涙を溢れさせる。小夜梨の大絶叫が群青家に響き渡った。

 普段はおっとり妖艶美人系な小夜梨が、瞬時に感情を爆発させるほど、如何にセロリを嫌悪しているかがよくわかる。


「っく……パパうえ……何と姑息な!」

「何とでも言え! 親の俺には、子供の命を守る義務がある! 子供の命を守りたい愛がある!」

「そうまでして……!」

「私は嫌ぁあああああああああああ! セロリは嫌ぁああああああああああ!!」


 俺は最後の手段、脅迫を行使しキッチンへ立て籠もる。

 最低な夫で最悪な父親に成り下がったのだ。今日を機に、夕陽はまともに口を利いてはくれなくなるだろう。

 他で聞き及ぶように、いよいよ反抗期は、そうして混沌さを増していくのだろう。

 それでも、子供に嫌われてでも、子供の命を守りたい────。

 そう覚悟していた俺を見る夕陽の瞳は、俺を蔑むわけでも怒るわけでもなく。

 少しの憂いを挟んで、直ぐにいつもの輝かしい目へと戻した。


「────」


 息子がボソリと何かを言った。

 ──次の瞬間。

 俺の目は一時的に視力を奪われた。

 いや瞳を閉じてしまっているのは俺だ。

 強制的に瞳を閉じさせられている。

 瞳には微かな痛みが走り、否応なく瞼を降ろさなければならない──まるでレモン液でも目に絞られたような。目が染みる感覚。


「ぐぉぁあああああああああ!! 目が! 目がぁあああ!」

「ママうえ! 今だ! 早く逃げて!」

「ぅうう……あーくん! 後でおしおきだからね!」


 レモンなどこのキッチンにないどころか、買った記憶もない。我が家に現在レモンはない筈なのだ。

 何が。何が起きた。

 目をゴシゴシと擦ったその手には液体が付着している。

 何かを飛ばされたか。

 いやしかし夕陽は微動だにしていなかった。一体何が起こったというのだ。


「パパうえ、まだ目が開けないことでしょう。けど安心して。大したダメージはないから」

「一体……何が起きた!」

「僕は精霊を味方につけている。精霊は普通の人には見えないだけで地球世界にも存在しているんだ。例えばそこに水分があれば、其処には必ず水精霊が居る」

「何……だ……と?」

「そろそろ霞目でなら見えることでしょう。これを見て下さい」


 夕陽は勝ち誇ったように言った。いや、事実既に勝敗は決している。

 父と夫の尊厳と共に、人質を失い、セロリも地へ落ちた。 

 俺は、負けた────。

 その敗因となった水精霊を拝もうと、片目をきつく瞑り、もう片目で霞んだ視界を垣間見る。

 狭くなった視界の中では精霊の姿は見つけられないが、夕陽は何かを手に摘まんでいる。

 あれは──────お醤油差し。


「水分の中には必ず水精霊が居る。お醤油内に混在する水精霊に、パパうえの目へ向かって飛ぶように頼んだんだ」


 痛みを走らせ続ける俺の瞳は、人差し指と親指で醤油差しを摘まんで、キメ顔を浮かべた一二歳の勇ましい者を辛うじて捉えていた。

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