第四話 ゆうしゃ、はじめてのおつかい
早くて四歳。遅くて六歳。
その年齢に差し掛かった子供には、全国共通で執り行われる通過儀礼が在る。
古より伝わりしその儀礼は、実のところ子供が行うにしては非常に難易度が高のだが、見返りも大きい。
恐怖に耐えうる勇気の会得、思考力の成長補佐、何よりも責任感を植え付けるにはうってつけの儀礼である。
それこそが────初めてのおつかい、であぁる!
我が息子、群青夕陽は四歳となり、この通過儀礼の時期を迎えた。
本日は日曜日の快晴。
ハンディカム、ハンディカムの予備電池、共に良し。
夕陽に何があっても直ぐに駆け出していけるように運動シューズ。
夕陽が転んで膝を擦りむいた時の為の、パンダちゃんプリントの絆創膏良し。
夕陽が転んで骨を折った時の為の、包帯、氷、石膏良し。
俺は万全の状態でもって、家から出て来る筈の夕陽を外で隠れて待ち構えていた。
キャッチボールの苦い記憶から一年。
今か今かとこの日を待ち侘びていた。
初めてのおつかいなんていうビックイベントを、絶対に撮り逃すわけにもいかないし、此処で父の威厳を取り戻す他ない。
念の為、夕陽が出て来る前に作戦概要の確認を行う。
小夜梨から渡された買い物リストのメモと五〇〇円玉一枚を持ち、夕陽は歩いて約200メートル先のコンビニへ向かう。
コンビニへは、家の門を出て右、直進して左、横断歩道を一つ渡って目の前、で到着する。
その道中、林さんのお家があり、其処はゴールデンレトリバーを庭で飼うタイプの家である。
遠くからの足音を聞きつけては、門へと飛び掛かり通行人を驚かせることで有名だ。
夕陽が何かに驚いたことなどはほぼ無い為に、録画媒体へ記録を収める重要な機会となっている。
だが。俺も反省している。
今回は忘れない。うちの子が天才であることを。
もしかすると犬程度には驚かないかもしれない。
だから俺は罠を張らせてもらった。
実は買うべきものを記したメモの作成は、この俺が担当している。
リストの中に夕陽のお菓子は含まれず、メモに書かれていたものを全て買おうとすると五〇〇円では足が出てしまうのだ。
実は最初から全てが買えないように仕組まれているのである。
これが二度目以降のおつかいであれば、夕陽も対応が練れるものではあるが、今回が初めてのおつかい。
親から言い渡されたミッションが完了出来ずに困惑する夕陽。
初めての一人外出。付近に顔見知りはいない、味方はいない。
初めて味わう孤独感、世間的疎外感。
泣きそうになる夕陽の前へ、そのタイミングで颯爽と俺が現れる、という寸法だ。
するとどうなる。
『ち、父上!』
『どうした夕陽! 泣きそうじゃあないかぁ!』
『お、お金が……足りなくて……』
『な、何!? 小夜梨のミスか! 仕方ない! 俺が足りない分を支払ってやるとしよう!』
『父上! ありがとう!』
『そうだ夕陽! お菓子の一つでも買ってやろうではないか!』
『え!? 父上いいの!?』
『構わん構わん! しかしママには内緒だぞ? これは夕陽と俺だけの秘密だ!』
『わぁ! ありがとう父上! これからはパパって呼ぶよ!』
『ハッハッハ! そうかそうか! ハーッハッハッハッハ!』
─────これだぁ。
これしかない。
救世主として現れた父の株は急上昇し威厳が生まれる。加えて互いの間に秘密を共有することで距離をぐっと近づけ、更にはパパと改めさせることが出来る。
素晴らしい。何と無駄のない作戦だろうか。
「母上。行ってまいります」
むむ。夕陽が家を出た様子だ。
俺は家屋の外壁や電柱を駆使して尾行を開始。ハンディカム録画ボタン、スイッチオンである。
先ず見張るべきは、走らないかどうか。
外では危ないから走らないようにと、言っておくように小夜梨へ伝えてあるのだ。
おんもで走ったとあらば、それは親として怒らなければならない。
そこでも父への威厳へと繋がるのだ。
フフフ……二重三重に張り巡らされた罠……夕陽は回避できるかな……?
何より、初めての一人外出というものは精神的圧迫が尋常ではない。
まるで世の中全てが敵に見えることだろう。
しかし恐怖と共に、初めて一人で立たされた世界に自由を感じるのも生物の本能だ。
恐怖と興奮が相まって、思わず走り出し、棒切れの一つでも拾って振り回してしまうのが子供というものであ──駄目だ全然走らないあの子。
とても落ち着き払って姿勢を正して雄々しく歩いている。
否応なく湧いてしまう筈の緊張感など持っていないように見える。
四歳児が、視線を泳がせることなく歩んでいる。
いやよくよく見れば緊張感のようなものは見て取れる。
どちらかというと警戒心といったほうが適切だ。
首と瞳の動きを最小限に抑え辺りに警戒を向ける、その警戒模様は戦場を歩む戦士の様相。
何だか思っていた子供のおつかいとかなり違う。
しかし、試練は直ぐそこ。
林さんのお家の前へ差し掛かる。
────ガシャン!
「バウバウバウバウ!!」
来た!
林さん宅のゴールデンレトリバー、ゴンちゃんの突進が門の鉄柵を揺らした。
「伏せ!」
ぉう…………見事、という他ない。
夕陽はカウンターと言わんばかりに、鉄柵へ前足から飛び掛かったゴンちゃんへ向かって右手を突き出し、ドスを利かせた声で伏せを命じた。
そしてゴンちゃんはそれに応じた。
「よしよし、いい子だ」
「キャウ~ン」
頭を垂れるゴンちゃん。垂らされた頭を撫でる夕陽。
ゴンちゃんを瞬く間にご満悦へと誘った。
流石。流石は天才児。
あれ、うちの息子です。
「すまいないな。ぼくはもう行かなくては」
一言置いて、夕陽は優しい別れをゴンちゃんへ送った。
大人だ。
その後は特にこれといった問題はなく、夕陽は走ることもなかったし、すれ違う人々に深々とお辞儀をして挨拶を交わし、談笑し、終始大人の対応でコンビニへと辿り着いた。
目前にあった横断歩道も、本来子供が一人で渡るには緊張して仕方ない筈のもの。
しかし夕陽は走り去る車に対し、相変わらず顎に手を添えて関心深そうに小刻みに頷いているばかりだった。
しかし、再び試練の刻。
俺の仕掛けた罠に涙するがよい。
買えと言われたものが買えない。
どうすればいいかなど、困惑した子供の思考力が追い付く筈もない。
黙り込んでしまい、俯いてしまい、レジのおばちゃんの、「どうするぅ?」の問いかけに成す術もなく落ち込んでしまうのだ!
それが子供だ!
それが四歳児だ!
夕陽は今のところ冷静に、カゴの中へと品物を収めていく。
そしてレジへ足を運ぶ。
偉いわねぇ坊や、とおばちゃんが一言添える。
夕陽が深々とお辞儀で対応する。
ピッピと機械音が鳴り、そして遂に────表示価格は五〇〇円を越えた。
「五八二円になりまーす」
「……む」
「あら、どうしたの?」
「あ、いえ少し足りないようで」
「あらぁどうするぅ? どれか減らそうか?」
黙り込む夕陽。
凄い、凄いぞ。夕陽を黙らせた。
俺はあの天才児を黙らせるに至ったのだ。
腕を組みながら黙り込む姿は子供らしくはないが、それでも初めて、夕陽が言葉を失っ──あれ、何か……何も買わないで出てきた。
コンビニから出てくるなり、隅の区画へ移動。
そして周囲に視線を配り、何やら深呼吸。
どうやら人がいないことを確認した様子だ。
「久しぶりだな……できるかな……」
言って夕陽は、徐に瞳を閉じる。
「──《
夕陽が厳かに言うと、四歳児の腕先に紫色の五芒星魔法陣が展開された。
周囲へ首を二度三度向けると、自身の身体ほど大きく浮いた魔法陣へ向かって歩み──そして夕陽は魔法陣へ呑まれ、その場から消え去ったのだった。
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