第三話 ゆうしゃ、はじめてのきゃっちぼーる
温暖化の影響が色濃い五月の真夏日。
広大な芝生が敷かれ、丸みを帯びるように葉を整えられた樹木が並ぶ公園は暑い。
青と緑で景色を上下に分け、予報通りの快晴下で俺は何と無駄のない作戦を立てたものかと改めて感心する。
世に英才教育なるものがある。
五歳までに経験したことが、その後の思考力、運動能力、芸術才能に大きく影響を与え、疑似才能らしきものを意図的に芽生えさせることができるやもしれないというアレである。
息子は生後二ヵ月で立つほどに足腰がしっかりとしている。
下半身が強いのだ。
そこへ来て今回の作戦、『ウキウキ! キャッチボール大作戦!』は、英才教育に直撃するものがある。
何と無駄のないことだろう。
親子間での親睦を深め、俺の夢を叶え、父の威厳を見せつけ、息子のスポーツ才能まで育てている。
素晴らしい。
夕陽は強く優しい子に育つであろうことに加えてスポーツ万能と、既にモテ街道まっしぐらが約束されるわけだ。
果ては野球選手か、サッカー選手か。
オリンピック選手やメジャーなどの海外での活躍も、我が息子なら不可能でないのだろう。
メジャーリーガーの父か。フフッ。
親である俺の元へ記者たちが取材に来る光景が手に取るように浮かぶものだ。
今の内から取材を受ける練習をしておかねばなるまいて。
恐らく自宅突撃訪問が来るタイミングとしては甲子園優勝、ドラフト一位指名、メジャー移籍。
それぞれコメントを用意しておかねばなるまいな。
っは。しまった夕陽はモテるんだった。
不倫や浮気現場を抑えられての実家直撃取材という線も考えておかねばなるまい。
大丈夫だ夕陽。そうなっても父はお前の味方だ。
温かいお涙頂戴のコメントを今の内から考えておいてやるからな!
その夕陽は現在、公園の中央に佇んで色々なものへ関心を寄せているようだ。
腕を組み、顎に指を添え、「ほほぅ」と何かを見ては一人でに納得を得ている。
──おじさんかな?
いや、三歳児である。
俺譲りの深紺の髪を湿った風に靡かせ、何とも雄々しい雰囲気を放つ三歳児ではあるものの。
目に映る全てのものへ興味と疑問を抱く。その現象こそが、「なんでなんで現象」であり、幼児であることの何よりの示し。
子供だ。子供なのだ。
奴は幼児だ。三歳児だ。
「父上。今日はおやすみのところ、お時間をさいていただき、ありがとうございます」
周囲の観察もそこそこに切り上げた夕陽が俺へ言った。
「…………う、うん」
「して、きょうはどうしてこの公園へ?」
────武士かな?
いや、三歳児である。
「ほれ、これをやろう」
「ふむ?」
俺は子供用グローブを差し出し、装着の手本として自分の手にもグローブを嵌める。
「今日はキャッチボールをしよう」
「きゃっち、ぼーる……ですか?」
「あぁ、このボールを投げっこするんだよ」
「……ほぅ」
訝し気に手の上でグローブを転がし見ている。
そうだろうそうだろう。
興味が止まらないだろう。
一体何処で覚えたのか、大人のような武士のような言葉遣いであるものの、やはりグローブを握ればワクワクドキドキの止まらない男の子なのだ。
「ほれ」
言って俺は、至近距離からボールを下投げで放った。
緩やかな山なりの軌道で、夕陽が装着したグローブの元へ落ちる。
「こんな感じだ。落とさないようにする遊びだ」
「御……わかりました」
……まさかとは思うけど今、「御意」って言おうとしなかった?
まさかね。ははは。まさかね。
俺は夕陽と距離を取り、再度下投げで大きく放る。
うむ。狙いはバッチリ、夕陽の頭上だ。
しかし、そう簡単に取れないのが初めてのキャッチボールというものである。
誰しもが人生初めてというものには弱いのだ。
特に、グローブの扱い辛さといったならない。
初めて扱うにしては手袋よりも遥かに自由が利かず、グローブの中で指を広げることすら困難で──あ。取った。
普通に取ったなあいつ。
「父上! まいります!」
「お、おう! どんと来い!」
ここを狙え、と言わんばかりに俺はグローブを掲げてやる。
こういう細かい気の遣い方が子へ伝染するのだ。
まぁだが?
流石に俺と夕陽の距離は5メートルはあり、子供が狙いをつけるにはいささか難しいと言い切れる距──バスン!
──ぉぅ。
夕陽は教えてもいない上投げ投球フォームでもって、俺がグローブを動かす必要を与えず、寸分の狂いもなく俺の手へボールを収めた。
なるほど。マグレが二連続というわけか。
まぁいわゆる、「持ってる」というやつか。
相変わらず将来有望な奴め。
「上手いじゃないか夕陽! 凄いな!」
きっちり褒めてやるのも子育ての秘訣だと聞く。
自分の得意分野を持つことへ繋がり、自信を持って生活出来るようになる。
自信が持てない子は内気になり、コミュニケーション不足を生み出し、不登校児を生む。
褒められることをしたらちゃんと褒める。
すると子供は頬を赤くして笑むものだ。
それがまた可愛い。
「いえいえ! このていどのきょりなら、ぞうさもないこと!」
わぁ、三歳児が謙遜してるぅ。
「しかしなるほど! ちちうえ! これはもっときょりをあけたほうが、落とすまいとひっしになって面白いかもしれませんね!」
「……そ、そうね」
あぁ、そうだったそうだった。
肝心なことを忘れていた。うちの子は天才児なのだった。
そうだよね、たかだか5メートルくらいのボール普通に取るし、普通に投げて届くよね。
天才だものね。
────俺は一気に20メートルほどの距離を取った。
何球か往復させてから作戦に入ろうかと思っていたが、夕陽が天才児であることを計算に入れると、こうして大きく取った距離感に慣れてない今がベスト。
知るがいい我が子よ。これが父だ。
俺の高校時代の体力テスト、ハンドボール投げの記録は28メートルと少し。
平均より僅か上といったところ。
それでいて投げるものが野球ボールだというのだから、大体35メートルの投球は期待出来るだろう。
手加減などしない。厳しさを教えるのも親の役目!
投球のコツは脇を締め、腕の力よりも地を踏む足にこそ力を収束させる。
そして、投球時は大声を出すべし。
俺の中で燃え盛る熱い意志が炎となり、その炎は身体全体を包み、最後に瞳へ向かって収束────した気がする!
「ぁああああああ! 夕陽、ごめぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええんぬっ!」
ボールは夕陽の頭上を軽々と越えていった。
ハッハッハ! どうだ夕陽!
これが父よ! 到底追いつけまい!
これを機にパパと改め、そして父の偉大さを知り、非行への道は閉ざされ──うわぁ何かあの子、めっちゃ走ってるぅ。
速い、凄い早い。え、あの子何? 子供? 大人? 人?
あの子、本当に人科の子供?
うわぁ、落下地点を走り抜けるようにして取ったぁ。
えー。えー。え、えー?
「父上ー! まいりますよー!」
────は?
いやいや、息子よ。馬鹿を言うことなかれ。
凡そ35メートルの距離。三歳児の投球が届く筈もない。
なるほど。ユーモアに走ったか。
中々に機転の利く子じゃないか。
届かない距離だと分かるや否や、無理だと分かっても投げることで惨めさを演出し、笑いを取ろうという魂胆か。
流石は天才。思考の回転力が違──バスン!
夕陽が35メートル先から放ったボールは、一応の形で構えていた俺のグローブへ、寸分の狂いもなく投げ入れられた。
そして夕陽は何やら、心配そうな顔を浮かべて俺に駆け寄って来る。
「父上! 手はいたくありませんでしたか!?」
────何故だか気を遣われた。
あらやだ。何だか。
目から汗が。
「ち、父上! いかがしましたか!」
「……ううん、なんでも……なんでもないの……」
「しかし父上! なみだが!」
「あはは……夕陽は優しい子だなぁ……偉いなぁ……」
親が悲しい時でも、褒めるべき時は褒めなければならない。
「しかし父上! もしやどこかわるいのでは!」
「う、うん……そうだね……今日は帰ろうか……」
こうして。
俺の夢であった息子との仲睦まじいキャッチボールは、想像とかなりズレたところで成就した。
どうやらパパと改めさせるには、もう暫しの時間が掛かりそうである。
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