第二話 奇跡の軌跡

 群青ぐんじょう家大黒柱、群青ぐんじょう朝陽あさひは────俺は苦悩していた。

 最愛の息子である夕陽の成長を綴ったこの、「ゆーくん成長記録ノート」を顧みて、息子が起こした数々の奇跡を振り返ると共に、其処から導き出される息子の子供としての異質さに対し対応を練るものとする。

 俺は急がなければならない。

 息子はどこかがおかしい。あまりに子供としておかしいのだ。


 ────先ず生後一ヵ月時点。

 通常、赤ん坊が意味のある発言をする平均的年齢は一歳五カ月。

 夕陽はこれを〇歳一ヵ月時点で実行へ移した。

 この時は、「ちちうえ」と、「ははうえ」の二種の言葉を放った。

 その後、間もなくして奇跡は再び起こる。

 通常、赤ん坊は歩く前の兆候として這いずり行動を行う。

 その平均的な年齢は生後八ヵ月であり、掴まり立ちも大体この頃の年齢である。

 が、夕陽はこの掴まり立ちを生後二ヵ月で完遂。

 ハイハイをすっ飛ばして、いきなり立ったのである。


 ここまでの時点で言い知れぬ不安を覚えた俺は、あらゆる病院へ足を運び夕陽を診てもらった。

 診断結果としては筋肉発達が異常な速度で行われているとのこと。

 医者が冗談交じりで、「夜な夜な筋トレでもしてるとしか……」と零していた。

 …………筋トレする赤ん坊が居てたまるか。

 あらゆる医者が、息子が成した僥倖の原因を特定できないでいたが、妻による、「わぁ~ゆーくんはきっと天才児なのねぇ」の一言で落ち着き処を見出す。

 流石は我が聡明な妻、小夜梨さより。これ以上ない見解である。


 息子が天才なのだと分かれば何も不安になることはない。

 妻の見解により不安は取り除かれ、後は息子の成長する様子を見守る幸福に身を委ねるばかりかと思われた。

 しかし一点、この〇歳二ヵ月以降で危惧される件が在った。

 息子の成長は早い。

 ということは、俺の仕事の合間に成長を遂げてしまい、初めて歩いたり会話したりする姿をビデオキャメラに抑えられないという可能性が高かったのだ。

 それは非常によろしくない。

 夕陽が成人した際、幼い頃の映像を見ながら酒を飲み交わす、という夢が塵と化してしまうのだ。

 既に、「パパ」と呼ばれたい夢は、夕陽が〇歳一ヵ月時点で散っている。

 その反動か、俺にはあらゆる夢、野望が湧いて出た。

 何としても、俺の胸に宿る夢の数々が爆ぜるのを死守せねばならない。


 これに全室内監視カメラをもって緊急対応。

 無事に成果を果たす。

 俺の仕事中、やはり息子は目覚ましい成長力を見せたのだ。

 〇歳三ヵ月時、「ははうえ、おなかがすきました」と、夕飯を催促する赤子の姿の記録に成功したのである。

 先の通り、赤ちゃんが意味のある発言を行うのは平均的には一歳半。

 それを生後三ヵ月でやり遂げた息子。しかし我々夫婦は、既にこれくらいのことでは驚かなかった。

 だってうちの子は天才だもの。

 もうそれくらいでは驚かない俺である。


 それからも夕陽の辿る軌跡は、正に奇跡のオンパレードだった。

 〇歳五カ月にてオムツを卒業。

 同時期、自ら歩いてトイレへ向かう。

 〇歳六カ月にて箸を巧みに操り食事を取る。

 一歳にて起床時、目覚まし時計を活用し始める。

 同時期、ラジオ体操をマスターする。

 一歳と半年。通称、「なんでなんで責め」が始まる。

 誰もが通るこの現象は、目に見える全てのものが対象であり、これからが始まるのは大体三歳前後とされている。


「ちちうえ、あの箱はなんでしょうか?」と、テレビを指して言う。


 教えてもいないのに敬語である。


「あれはテレビといって、お外で起きたことを、こうしてお部屋にいる人たちへ知らせてくれるんだよ」と返したところ。

 顎に手をやり、「ほぅ」と渋い返答が得られた。


 二歳にて家の中を回遊することが日課となる。

 意図を聞き出したところ、「たいりょくをつけねばなりません」とのこと。

 同じく二歳にて。

 絵本を一人で読み終える。

 この頃から俺と妻が絵本を読み聞かせる姿はなくなった。

 二歳半。

 知識を欲する傾向が強く、テレビに釘付けになる。

 教育テレビよりもニュース派。

 三歳。

 漢字辞典を活用し、新聞を読み始める。


 他にも様々な奇跡を起こしながら成長─────そして現在、三歳と一ヵ月である。

 俺は寝室かつ私室のデスク上で肘をつき、溜息を払う。

 天才と発覚した時には誇らしい気持ちになったものの、それだけに夕陽は手の掛からない子だ。

 他の子供のように泣き喚いた試しがない。

 大抵のことは一人で解決してしまうし、親の威厳など見せられたものではない。

 威厳は大切だ。

 威厳のない親の元で育てば、将来、反抗期を迎えた時に非行へ走る気持ちに歯止めが利かなくなってしまうことだろう。

 このままでは拙い。

 何か作戦を練らなければならない。

 

「やはり……アレしかないか……」


 独り言を落として、部屋の隅に置かれている紙袋に視線をやる。

 アレを使用するべき平均年齢は四歳とされている。

 しかし夕陽は天才だ。

 多少早すぎても、きっとそれなりに形にするだろう。

 紙袋を漁り、グローブを取り出し、袋に残された野球ボールに目をやる。

 キャッチボールである。


 大人用野球グローブと子供用が一つずつ。そして野球ボール。

 夕陽が四歳になった時に夢の一つを叶えようと思って準備してあったものだった。

 親子でキャッチボール。

 それが俺から溢れ出た、数多ある夢の内の一つだった。

 夢として叶える筈だったが、父の威厳を示す用途ととして使わせてもらおう。

 ついでに夢も叶うし。

 

 作戦はシンプルだ。

 夕陽には悪いが、俺は何球か往復させたのち、思い切り明後日の方向へボールを放つ。

 豪速で飛んでいくボール。追いつけない夕陽。

 太陽の光で見失ったボールを見つけられず────あぁ、父とはかくも力強いものか、とそう思うに違いない。

 恐らく、こうなる────。

 

『ちちうえ、すごいちからですね!』

『ハッハッハ! そうだろうそうだろう!』

『やっぱりちちうえはすごいです!』

『うむ、これから父上ではなくパパと改めなさい』

『はい! そうします!』


 ──────これだぁ。

 これしかない。

 欠落ヶ所の見出せない完璧な作戦だ。

 子供に運動させ体力を養い、俺の夢も叶い、そして父の威厳も示せる。

 何と無駄のないことか。

 作戦決行は明日、日曜。天気予報は快晴。

 小夜梨の弁当は下ごしらえ済みとのこと。

 既に、勝利を確信した俺の高笑いが、夜の群青家内に響き渡っていた。 

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