第39話 東京一極集中を不動にしたリニア
「なあ“課長”、リニア新幹線ってどう思う?」
「なんだよ? 急に」
喫茶『じゃまあいいか』のカウンターで幹太は全国の新幹線を特集したムック本を眺めている。いわば、初代東海道新幹線の100系から500系か600系、700系などで区別される歴代の新幹線の写真集だ。
「新しい新幹線は、ノーズが16メートルだってさ」
「車のボンネットに当たる部分な。空気抵抗を避けて、スピード・アップするための設計だから、ドンドン長くなる。ピノキオの鼻みたく」
「単純に空気抵抗だけじゃなくて、トンネルの中の気圧の変化や高速走行によって生じる騒音対策でもあるらしいよ」
海の説明を耕作が補足した。
「東海道新幹線開業当時の100系は、昔のプロペラ機、戦闘機とかを模して設計したらしい。2019年で運行終了する700系のカモノハシ型は、耳っていうか、肩パッドみたいなついたヤツ、あれは空気抵抗より騒音対策を重視したんだろうな。これからはロング・ノーズ全盛だな」
「今はロング・ノーズのE7系の上越新幹線も、オレが子供の頃は全車2階建てのカモノハシ型だったなぁ」
ノスタルジーに浸る海に耕作が
「あれはさ、カモノハシというよりウルトラマンに出てくる怪獣に似ていた…」
「ジャミラな、ジャミラ。色白のボディに、顔より上にある出っ張った肩。オレもずっとジャミラだと思ってた。でもジャミラは人間でさ、宇宙飛行士として人工衛星に乗り、事故に遭っったんだ。言わば“進化”の過程であんな姿になった悲劇の怪獣ってワケ」
耕作に最後まで言わせず、オイシイところは幹太が持って行った。男子は“乗り鉄”や“撮り鉄”の違いはあれ基本、鉄道好きだ。広海には割り込むスペースがない。
「あんたたち、リニアの話をしてたんじゃないの? 大体、リニア新幹線って超電導で走る…、っていうか磁石の反発力で空中を滑るように動くんでしょ。車輪もないし。分類上は鉄道じゃなくて航空機じゃない」
広海の新しい問題提起に、3人は振り向かなかった。
「そうそう、リニアの話。JR東海のリニア新幹線って品川駅から八王子近くの神奈川県の内陸部を通って山梨県の甲府、長野県の飯田、岐阜県の大垣近くを経由して名古屋に出るんだ」
幹太に反応したのは、意外にも千穂だった。
「そこまでは2027年の開業予定。その後は2045年の開業目指して滋賀県を琵琶湖沿いに走って京都、そして大阪に出るルートみたいよ」
もしかして、千穂も“鉄ちゃん”なのだろうか。さらに続ける。
「私、体験試乗に2回応募したんだけど、外れちゃって。本運行が始まるまで乗れないかなって半ば諦めているんだ」
「まだ7年もあるんだから、チャンスはまだあるでしょ」
「年末の紅白歌合戦並みかもな。NHKホールの2000席以上がペアで当たるそうだが、全国各地から応募が殺到して、当選確率は1/800以上らしい。リニアの試乗の倍率は分からないけどな」
広海も恭一も無責任だ。千穂への慰めにも励ましにもなっていない。
JR東海は2013年9月18日、東京(品川)―名古屋間で2027年の開業を目指すリニア中央新幹線計画の詳細な走行ルートや中間駅の位置などを発表した。関係自治体の誘致合戦の末、最終決定したルートはほぼ一直線となり、総延長286kmの86%はトンネルの中を走るという。
「モグラだな、モグラ」
海が呟く。
来年度中には着工し、開業後は東京―名古屋間を40分でつなぐ。さらに2045年には、大阪までの全線が開通。最終的には、東京―大阪間(438km)を最短67分で結ぶ。
リニア新幹線は、超電導磁気浮上式で走る鉄道。車体に搭載した磁石と走行路に取り付けた磁石の間に生じる磁力で車体を10cm浮上させ、超高速で走行する仕組みだ。最高設計速度は時速505km。車がないのに車体と言うのも不思議な話だ。
「でも、これじゃ東京の一極集中はいつまで経っても解消しない。だってそうだよね。東京-名古屋間を40分、東京-大阪間を67分で結ぶのが可能になっても、今だって空路を使えば名古屋も大阪も約1時間圏内。搭乗手続きや空港から中心市街地までの所要時間は余分にかかるけど。五十歩百歩だと思うよ」
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、ってキャッチコピーが流行った時期もあったな」
と恭一。もちろん、耕作の教養の中に1970年代のキャッチフレーズは含まれていなかった。
「名古屋便って、セントレアだから結構時間かかるのよ」
「小牧空港って使ってないのかよ」
「地方路線の多くは使ってるみたい、小牧空港」
「じゃあ、大阪も全部、関空?」
「ううん、大阪は伊丹の方が圧倒的に多いわ。関空からじゃ街の中心まで不便だもん」
「東京-関空の方が短かったりして、時間」
「荷物預けていたら、そうなるかも」
「シャレにならないよね」
新潟出身の海と山形出身のメグ。こいつら飛行機オタクか? 幹太は思った。
「いずれにしろ将来、東京-大阪間は東海道新幹線、空路、東名、名阪の高速道路に加え、リニア新幹線の4つの高速網が整備されるわけ」
千穂と耕作の言った意味がようやく分かった広海。
「高速道路って全ての県にあるの?」
「あるよ」
「何よ、ぶっきらぼうに。まるで『HERO』じゃない」
「こう見えても、オレもマスターだからな」
恭一にしては珍しい、と広海は思った。耕作が取り上げたテーマに納得しているのだろう。機嫌がいい証拠だ。耕作が話を引き取る。
「高速道路と呼ばれる道路は47全ての都道府県にあるよ」
「でもオレたちがイメージしている高速道路とは“ダンチ”の高速も少なくない。片側一車線の」
と恭一。
「片側一車線? それって対面通行ってこと?」
運転免許のない父島育ちの広海には、そうもイメージが湧かない。
「中央分離帯もないんだ。高さ30センチくらいかな、リレーのバトンみたいな形のポールを並べただけの」
「自転車専用道路と車道を区切るみたいな?」
「そうそう、そんな感じ」
海もめぐみが知ってることを確認するように言い合う。
「その辺の国道だって、2車線、3車線って当たり前じゃない」
「それが地方ではそうじゃないんだよ」
「鳥取、島根や秋田に…」
千穂の疑問に答えたのは、と海めぐみだ。
「山形もそうだし、母の実家のある徳島もそう。山形はバイパスは片側2車線あるのにさ。普通に信号もあるけど…」
とめぐみ。
「ウソ? バイパスに信号があるんだ、山形って。新潟はバイパスって高速みたく高架の上を走ってて、信号なんかないよ。車線は片道2車線で、関越自動車道と北陸自動車道の近くは片側3車線。バイパスだからもちろんタダ」
こんな情報を知っているのはもちろん海だ。
「オレも若い頃、友人の運転するクルマで通ったことがある。彼なんかバイパス降りる時、『料金所がない』って慌ててたなぁ。なにしろ後に総理になった田中角栄さんがいたからな。越後湯沢のちょい先の自分の実家近くに関越のインター作っちゃうんだもんな」
「浦佐っていう新幹線の駅前に、角栄さんの銅像ありますよ」
と海。
「田中角栄って、ロッキード事件で逮捕された総理大臣ですよね」
同時代を生きてきた恭一に千穂が確認する。
「ちょっと関係ないんだけど、今ネットで調べたら、奈良県の高速って、たったの18.2キロ。時速80キロで12、13分」
「料金は調べてないけど」
「ブラック高速だ」
「コウソク違いでしょ。パーマ禁止とかとは違うのよ」
「高速道路の地域間格差が想像以上に面白いことは収穫だね。でも、ここは時間を巻き戻してリニアの話に戻るよ」
お国事情はそれぞに興味深いが、それはそれ。耕作が強引に話を本筋に戻した。
「結局、リニア新幹線の予定ルートは、三都市の人口集中を増幅するだけ。甲府と長野県の飯田市あたりや岐阜県の大垣市近郊はメリットがあるけどさ」
「2020東京オリ・パラで暑さ対策や渋滞緩和、満員電車対策にサマータイムやろうなんて言い出したけど、道路の渋滞や電車の混雑なんて一極集中を解消していれば、ある程度回避できたはずさ。暑さだって、エアコンや排ガスの熱を減らせれば今ほどじゃないよ、きっと」
「劇的な効果が期待できるかどうかは疑問だけど、取り組む姿勢、前向きな考え方としては決して間違っていないと思うわ」
リニア新幹線を東京オリ・パラ2020の課題に結び付けた幹太に千穂も同調した。
「オレもそう思う」
耕作はそう言うと、店にある折り畳み式の日本地図を広げ、マグネットで四隅をホワイトボ・ードに張り付けた。
「いいかい、東京-大坂間を1時間ちょいで結んで何の意味があると思う?」
「出張のサラリーマンの負担が楽になる」
「違うな。君らは知らんだろうが、かつて東北新幹線や上越新幹線が開通した際、それまで主流だった宿泊出張が軒並み日帰り出張に代わった。ビジネスマンの不満と対照的に、企業とすればもっともな理屈だ。それも仙台-東京間、新潟-東京間ともに現在より時間がかかった時代だ。しかも、最初は大宮駅で東京行きの専用列車に乗り換える必要があった」
恭一が言うまでもなく、東北・上越の東京側の終点は、在来線との工事の関係で、大宮駅から上野駅、そして東京駅へと変遷してきた。下りの東北新幹線の終点が仙台から盛岡、八戸、青森、函館と順次開通して来たのと同じだ。
「なるほど。時間短縮の“副作用”みたいな変化ですね」
と海。
「それに、新幹線のノーズの設計にトンネルの騒音対策があるんでしょ。全体の8割がトンネルのリニアの騒音対策は必要ないの? 試乗したことがないからハッキリ分からないけれどさ」
千穂はどうしても試乗しないと気が済まないようだ。
「もしかしたら、宙を浮いて移動するリニアは、車輪が線路に接し続ける新幹線より静音設計が可能かもしれない。でも時速500キロは300キロの現在の新幹線より1.6倍も速いからな」
「時速100キロと時速100マイルの差と同じか」
耕作の説明はよく分かるが、幹太の例えはさっぱり分からない。空気を察した幹太は、
「まあ、イヤホンで音楽でも聴きながら、パソコン叩いてればいいじゃん。いかにも仕事してますぜ、って体で」
「だって、67分よ、67分。1時間7分。メールの処理か会議の資料か分からないけど、本当にデキるビジネスマンなら野暮用は乗車前に済ませて、車内では仮眠取ってる余裕でお茶してるわね」
「私もそう思う」
千穂が幹太の意見を一蹴した。
「移動時間の過ごし方はともかく、今の新幹線や旅客機よりもちょい速いだけの東京-大阪を結ぶリニアに、国が3億円も投入する意味があるのだろうかって思うんだよね」
「政府が自ら掲げている『東京一極集中の解消』とも矛盾するわ」
と千穂。
「JR東海の東京-大阪間だけ3億円も補助するのは税金の使い道として説明がつかないから、遠い将来には路線を増やすんだろうけど。どっちにしても、東京一極集中、大阪を含めた二極集中は解消されそうもない。っていうか、政府は一極集中を解消するつもりがないっていうのが、オレの見方」
「“課長”のミカタなら太鼓判だよ」
「そんなところで太鼓判押さないでよ。じゃあ、省庁を地方に移転するための“お試し”みたいな実験は何なの。お金だけかけといて、収穫はゼロってこと?」
広海には納得がいかない。
「所詮“お試し”は“お試し”なんだよ。ちょっとした保養っていうか息抜き。ほら、森友学園問題の時、総理夫人付きだった谷さんだっけ。イタリアの大使館に異動になったじゃん。あれと一緒」
「あれは意味が違うだろ。まあ、問題が収束するか、安倍さんが総理を辞めるまで戻ってこないだろうけどさ」
耕作が幹太の寄り道に付き合った。
「その地図でいうと、どこだったら良かったのかな? リニアの路線」
カップを洗った濡れた手で広海がボードを指差すと、ちょっと考えた耕作が、
「首都移転のテーマの時にも言ったけど、第一候補は宮城の仙台かな。東京からの距離では2027年開業のリニアの終点、名古屋と大差ないし。同じ被災地の福島、岩手だけじゃなく、山形、秋田、青森へのハブ的な位置にある。札幌までの開通を目指す北海道新幹線の拠点、中核としての役割も期待されているからね」
「仙台もいいけどさ、こっちの金沢から新潟、秋田を通って青森までの日本海側を貫くルートは基本、手を付けてもらえなかったんだ。政府の一極集中が本気なら、こっちだよな。新幹線や空の便の代替輸送の手段もないし、将来の日中、日ロの経済協力や外交交渉にとっても有効だよな」
「名付けて“北前船ルート”。金沢から京都まで伸ばすの。山形県の鶴岡、酒田のある庄内地方は何て呼ばれてると思う? キャッチフレーズ。ナントカの小京都とかさ。“陸の孤島”よ、“陸の孤島”。今でこそ空港が出来て、東京便と大阪便が、それぞれ2往復と1往復あるけど、お隣の秋田を含めて冬は特に風が強くて結構、欠航になるし…」
「結構、欠航か」
「こらつ、茶々入れない!」
「チーちゃんに叱られた~」
「メグ、続けて」
マジで怒る千穂は珍しかった。
「新潟と秋田を結ぶJR羽越本線の特急もあるんだけど、2005年の12月25日の夜、強風で脱線、横転して5人の乗客が亡くなったの」
「クリスマスの夜だよな」
と耕作。
「竜巻が原因だったという分析もあったわ。報道はされていないけど、家畜用の堆肥小屋に突っ込んだのよ、特急列車」
一同が口を閉ざす中で、めぐみが続けた。
「リニア新幹線ってほぼほご地中のトネンルを走るんなら、風にも影響されないでしょ。だから、私も瀬戸内クンに一票」
努めて明るくめぐみが提案した。
「まあ、JR東海の開発だから仕方ない面もあるけど、国はもっとリーダーシップ取らないとな」
と幹太。
「JR東海のリニアはさ、貨物専用にすればいいんだよ。今はネット回線を使ったテレビ会議とか当たり前になってるから、物理的な人の移動なんてあまり意味がない時代だからね」
「なるほど。ネット回線ではモノは送れない。1時間ちょいで東京から大阪まで“なるはや”の荷物を送るのは“佐川男子”も黒ネコでも出来ないもんね。それなら、まあまあ意味はあるか」
「景色が見えなくても、仮に気になる騒音が続いても、載っているのが荷物なら心配することないから。ねっ、チーちゃん」
機嫌の悪かったチーちゃんが、耕作を叱ることはなかった。
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