第38話 怪しい自主返納を洗い出せ!

「マスターの発表って、久しぶりなんじゃない?」

「大震災で多くの命を失った反省と将来の災害時に向けた提言、以来かしらね」

「テレビ局の分業化」

 広海の兄、渚の問題提起から約2週間後のゼミには、ほぼフルメンバーが集まった。

今年は自主返納が相次いだ。財政再建が順調に進んでいないとして安倍総理が大臣賞与の30%、全閣僚が同じく20%。財務省の公文書改ざんの責任を取って麻生財務相が、金融庁の情報漏えいで野田聖子前総務相が、それぞれ大臣給与の1年分。世耕経産相は官民ファンドの役員報酬問題で大臣給与1ヵ月分。返納先は国庫なのだろう。では、大臣たちは誰に対して責任を取ったのか。国民に対してであることは明らかだ。ならば、使途も明らかにすべきである。


 「じゃ、まずはオレから」

カウンターから出てきた恭一がホワイト・ボードの脇に陣取った。共同発表者の横須賀は、授業参観の親のように広海たちの後ろで全体を見渡す位置にいる。

「最初に、給与や賞与の自主返納の意味を考えよう。労働の対価としてもらう権利のある賃金や手当を、文字通り自主的に返納することだね。よく似た言葉に減給がある。何らかの理由で、給与を減額されることだ」

ホワイト・ボードを使って解説が続く。

「自主返納が能動的なのに対し、減給は受動的、つまり受け身だ。もう気づいている通り、減給は処分だ。処分による罰則だから、拒否権がない。一方の自主返納は“善意”と言っていい。“しなくてもいいこと”を進んで実行する。何かいい人みたいな錯覚も与えるかもしれない」

何か言いたそうな広海も黙って聞いている。

「もうひとつ。処分はキャリアに傷がつくが、自主返納は処分じゃないからキャリアに傷がつくことはない。ここが一番大きな違いだ。政治家や官僚、民間の組織のトップや幹部が一番気にするのもキャリアということになる」

「どうりで、自主返納ばかりがはびこるわけだ」

「財務省の元事務次官や元理財局長は、減給だったわよね」

幹太も千穂も納得の表情だ。

「福田元事務次官は、20%の減給が6ヵ月。佐川元理財局長は、100%減給が3ヵ月。2人とも処分の前に辞任したから、退職金から差し引かれたわけ。処分したのも、辞任を認めたのも財務省トップの麻生大臣だ。キャリア官僚や公務員の場合、一定以上の処分は出世に大きく影響するから、多くは辞職する。飲酒運転や公金の着服などは懲戒解雇は免れないだろうけどな」

「辞職が認められれば、退職金が保証されるからですよね」

「そういう面は大きい」

「でも麻生大臣は自主返納でしたよね」

「他人に厳しく、自分に優しい大臣なんだな、彼は。『責任を取る』の言葉とは裏腹に、自分は責任を被らなかった」

耕作と幹太の質問に簡潔に答えた。

「すっごくよく分かったわ、自主返納。フランスの空港で、勤務の搭乗前に基準値以上の飲酒が発覚して、機長が捕まったJALの社長が月額報酬の20%を、専務が月額報酬の10%をそれぞれ3ヵ月減らしたのも、確か自主返納だったわよね」

事前に予習してきた千穂がノートの書き込みを読み上げた。

「彼らの場合は経営者、つまり役員だから給与でなく役員報酬。報酬を減額するには、懲罰委員会などでの処分が必要なはず。でも、経営陣の中でトップの力がよっぽど強いんだろう。千穂の推察の通り、役員を退任する必要のない自主返納を選んだ例だな」

「私、思うんだけど、麻生財務大臣と野田元総務大臣の返納金額が大臣給与の1年分なのに対して、世耕経産大臣が1ヵ月分ってどうなの?」

「まあ、自主返納だから明文化された規定はないんだろうけど、オレも個人的には、小ちぇえな、って思うわな」

広海の疑問には、恭一ではなく幹太が応じた。

「じゃ次は、返納先と返納金の使われ方だ。総理や大臣の場合は、給与や賞与は国庫から支払われるはずだから、常識的には国庫に返納することになるだろう。がどうなっているかはオレたちには分からないが、-国の資金の出納業務を担当しているのは日銀、日本銀行だ。自主返納の理由は、総理と全閣僚の賞与の一部は財政再建の遅れに対する内閣としての責任。麻生さんは公文書の改ざんなどの一連の不祥事のトップとしての責任。野田さんは金融庁からの情報漏えいの個人的責任、世耕さんの場合は官民ファンドの役員報酬をめぐるゴタゴタへの組織トップとしての責任と、それぞれだから同じ口座に返金されているかは分からない。そしてマスコミが報じないから、何に使われているのかも一般国民には知るよしもない」

そこまで言うと、横須賀はスペースのなくなったホワイト・ボードの文字を消す。教室でも生徒の意見を導くための独自の手法でもあった。

「大臣の国会答弁を作る官僚の手当てとか、“居酒屋タクシー”って揶揄された深夜の通勤代とかに使われたりして」

「まさか官僚の残業代や飲食代等に回されることはないんでしょうね」

幹太も愛香も疑いの目を向ける。

「国会で情報公開を求められて、頁まるまる“のり弁”状態の黒塗りで公表することを恥じない省庁だからな。日銀だって同じ体質だよな。次年度への繰越金になるにしても、使途はチェックする必要があるよね。まあ、何に使われていても、万が一、自主返納の事実がなくてもオレは驚かないけどね」

耕作が辛辣な予想するのも無理はない。何しろ情報が少ないから。

「今の“課長”の意見は重要だ。それが3つ目の課題。貢、バトンタッチだ」

ゼミ員の後ろに立って、恭一の発表を聞いていた横須賀が席の間を縫って歩み出る。

「志摩の意見は、大方の国民の見方かもしれない。それが如実に表れているのが大臣ではなく、民間の場合だ。例えば、誰かの指摘にもあった通り、日本航空の社長や日本取引所グループのCEOをはじめ多くのトップが自主返納を発表したが、気になる返納先はどこだろう?」

「そうか。大臣じゃないから国庫じゃないし」

「民間企業の社長や幹部だから、その企業じゃないの?」

横須賀の問いかけに、ゼミ員から思い思いの意見が飛び出す。

「首をかしげるヤツもいたが、役員報酬の出所がどこかを考えれば答えは明らかだね。そう、それぞれが経営者として意思決定を行っている企業だ。でも、彼らは組織のトップとして返納するわけだが、組織自体にも責任があるはずだ。社長が会社に返金するだけなら、会社は何も痛まない。子どものままごとのようだ」

「確かに」

「中でも、安倍総理との面会をでっちあげた責任を取る形で給与の10%を1年間自主返納する加計学園の加計孝太郎理事長の場合はどうだろう。一体誰に返納するのか。もし、自ら経営するグループに返納するのではとんだ茶番もいいところだ。仮に返納の事実があったとして、何らかの名目で理事長自身に還流していても、関係者以外誰も分からない」

「加計学園グループって彼のワンマン経営ですもんね。理事会とかの意思決定機関があっても、結局は鶴の一言でしょ」

千穂が皆の意見を代弁した。

「だからこそ、記者会見などで直接取材ができるマスコミには、単にうわべの数字をえるのではなく、その事実や使われ方も伝える責任があると思うんだ」

横須賀は、発表を黙って聞いていた悠子に視線を向けると言った。

「こんな調子だと、来年はさらに増えるんだろうな、自主返納。国会議員として議員歳費や大臣給与、賞与のほか、政党交付金だって党から配分されるし、事実上“責任逃れ”の自主返納は十数万からせいぜい2,3白万。それで保身が図れるんなら安いもんだからな。今年はそれを証明する年になってしまった」

「よーく見ておけよ、ゼミ員の諸君。横須賀貢の大予言だ」

恭一は冗談めかして、広海たちにチェックを求めた。

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