第37話 総理、自主返納は処分? 善意?
「マスター、折り入って相談があるんだけど…」
「どうした? 珍しいな。バイト料を上げろって賃上げ交渉か?」
「まさか。バイト代に不満なんかありません。よくしてもらってる上に、ご飯やコーヒー、紅茶も飲み放題だし…。それにゼミも…」
「勘違いするなよ。バイト料は正当な対価。広海が腕を上げてくれるから、オレも結構時間が作れるし、好きなこともできる。広海は実家のペンションで、いちいちお茶代払うか? そういうことだ。ゼミについては、まあ物好きなんだろうな。広海たちの目線が正直、新鮮だし楽しいんだよ。メンバーの誰かが政治家になることを期待しているわけでもない。それが目的になるヤツばっかりだからな、今の政治は。手段だよ、手段。やりたいことがあって、それを実現するために政治家になる。そう思わないか」
「まあ、確かに。どんな職業もそうよね。ううん、大学もそう。横須賀先生によく言われたわ。『何しに大学へ行くんだ』って。『それが目的なら、考え直した方がいい。将来の夢があって、それを実現するために必要だから行くんじゃないのか』だって。頭をガツンて殴られた気分だったわ」
「マズいな、暴力は。あいつ、スカジャン羽織ってるだけでも柄悪いだろうに、手出しちゃマズいよな。教師の風上はもちろん、風下にもおけん」
「気分よ、気分」
「おつ、噂をすれば…だな。暴力先生のお出ましだ」
カラン、カラーン。
「何だ、何だ。閑古鳥が鳴いてるな。客より店員の方が多い。もしかして、今オレの噂してなかったか? くしゃみがな…」
横須賀は勝手にボックス・ティッシュを1枚抜き取ると鼻をかんだ。いつものジャージ姿ではない。ジャージの上からベンチ・コートを着込んでいる。晩秋の東京は結構肌寒い。
「ご名答」
恭一はグラスに入った水ではなく、日本茶の入った湯呑みを横須賀の前へ。
横須賀は湯呑みに両手を当てて温まる。
「どうせ悪い噂だろう」
「相変わらず冴えてるな、勘」
「嘘に決まってるじゃない、先生」
横須賀はスポーツ新聞を広げると、
「腹ペコなんだ。ナポリタンと“キョーイチ”」
「お前の好きな渚のフライパンじゃないけど、いいのか?」
「贅沢は言わない」
少し、説明がいる。横須賀がオーダーした“キョーイチ”は店主の恭一が淹れたコーヒーのことで、いわゆるブレンドだ。渚のフライパンは、宮城の被災地で「麺食亭」と「飯食亭」を開店している広海の兄、小笠原渚が使っている南部鉄器のフライパンのことだ。鉄のフライパンで作るナポリタンは格別だという蘊蓄を語るファンも多い。
「生憎、オレは“洋食屋”じゃないんでね」
他に客がいないので、“小6男子”の減らず口対決は絶好調だ。まるで勝ち負けを競うようなやりとりを広海が持て余していると、タイミングよく“小6男子”の扱いに慣れた長岡悠子がやって来た。
「この空気と、この状況。もしかして売れない若手お笑い芸人の“マエセツ”かしら?」
「もしかしてじゃないの」
「“売れない”は余計だな」
落語の“まくら”のような他愛ない会話を楽しむと、悠子はチーズ・トーストとカフェ・オ・レをオーダーした。
「マスター、さっきの話なんですけど…」
「あつ、折り入っての話だったな」
フライパンがジュージューと音を立てる。恭一は、ベーコンとタマネギを炒める手を休めない。
「『折り入っての話』って、まさか広海、お前…」
「先生、考え過ぎ。そんな“まさか話”、こんなタイミングでするわけないでしょ」
バブル世代の人って、どうしてこう話が軽いんだろう。そう言えば、『軽薄短小』ってフレーズも当時の流行語だったわね、と思った広海が切り出した。
「昨日、久しぶりに兄からメールがあったんです」
「まあ、兄妹だからな」
「ちょっと見てもらっていいですか?」
広海が差し出したスマホを受け取った恭一。
「いいのか?」
と念を押す。『相談』というタイトルのメールだった。
<渚のメール>
元気にしてるか? 大学生活は慣れたか?
ゼミは快調か? 署名活動は進んでるか?
コーヒーは上手に淹れられるようになったか?
こっちも順調だ。今年はなかなか帰れなかったが
年末には父島で少しのんびりしたいと思っている。
実は、店で仲間と飲んでいる時に疑問が出てきた。
最近、政府や企業の不祥事でトップが給与やボーナス
を自主返納していることは知っているだろう。『カネ払う
から許してくれ』ということだ。それにしては10%、20%を
1ヵ月とか3ヵ月とか女々しい数字だが、そのカネがどこ
にどう返納され、その後どう使われるのか報道されない
からさっぱり分からない。そんな話だ。
問題点は大きく3つ。
1. 自主返納って何だ? 減給とどう違う?
2. 返納先はどこか? 特に民間
3. 返納されたカネの行方、使いみちは?
渋川ゼミでもうやっているテーマかどうか
分からないが、みんなの意見が聞きたい。
年明けにでも教えてくれ。
「『相談』という割には、広海の近況ばっかり聞いてきて、お前は広海の親か。昔から人一倍突っ張っていたが、妹にはデレデレだな」
メールを読み終えた恭一。
「そこじゃなくって…」
広海はメールの画面を直接見せたことを少し後悔した。
「自主返納の話は、オレも気に入らないニュースのひとつだ」
「オレも同感だ。責任を取るべき立場なのに、“自主”って善人ぶっているのもどんなもんだか」
口の周りにケチャップをつけた横須賀に何となく愛着を感じた。
「自主返納で、事が収まったみたいなマスコミの取り上げ方にも問題があるのかもしれないわね。他の問題みたいに、その後を検証しないと」
アナウンサーの悠子がノートにメモを取っている。きっとネタ帳なのだろう。
「で、このテーマ、マスターにお願いしたいんですけど」
「広海のお願いなら、聞いてやらんとな。親代わりのコーヒー屋のオヤジとしては」
笑顔で答えたのは横須賀だ。
「“課長”もカンちゃんも、署名の処理で結構忙しいらしいの。千穂も“課長”を手伝ってるし。お願いっ」
広海が胸の前で両手を合わせる。
「じゃ、広海がやれば。元々、アニキから“お願い”なんだし…」
「ボランティアの高校生たちにとって、広海ちゃんは心の支えなの。幹太クンだけじゃ荷が重いかもよ。広海ちゃんのお兄さんと言えば、マスターにとっても弟分じゃない。ここは漢気(おとこぎ)見せないと」
悠子にも背中を押された恭一は、横須賀も巻き込んだ。
「仕方ないな。お前も手伝えよ」
「打ち合わせのコーヒー代とナポリタンは、キョーイチの奢りな」
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