第30話 中継されないアジア・パラ大会

 「マジか? NHKがアジアパラ大会中継しないって」

勢いよくドアを開け、客がいないのを確認すると、大宮幹太がカウンターに立つ小笠原広海に詰め寄った。まだドアのカウベルの余韻が残っている。“開口一番”の四字熟語がピッタリのシチュエーションを初めて見た。一緒に入ってきた志摩耕作は思った。

 「マジ、マジ。NHKのスポーツサイトにアジアパラ大会の放送予定がなかったの。立ち読みしたステラにも。だから、マスターに問い合わせてもらったんだけどね」

猪突猛進型の幹太の行動も、高校で3年間同級生だった広海は慣れっこだ。。

「アジア大会は、競技ごとに連日の放送スケジュールがきめ細かに載っていたからな。『パラ大会を中継しない』って聞いてオレも耳を疑ったよ」

どうやら広海の疑問に、店主の渋川恭一が立ち上がったらしい。

 喫茶『じゃまあいいか』の窓越しに柔らかな夕日が差し込む。その日の講義を終えた幹太は広海からのメールを見て、耕作を誘って溜まり場の喫茶店にやって来た。広海に借りた本を返しに来た千穂は、ボックス席で企画書を書いている長岡悠子のパソコン画面をのぞき込んでいた。

9月6日、インドネシアのジャカルタを主会場に開幕するアジアパラ大会は、NHKでも中継されない。民放は、隣国韓国の平昌大会でも、熱狂しまくったオリンピックと対照的にパラリンピックには背を向けて中継しなかったので、下位大会のアジアパラ大会は中継するわけがない。パラリンピックをBSを中心に中継したNHKは、アジアパラ大会も中継する思っていたのだが地上波はもちろんBSでも扱わない。NHKの視聴者ふれあいセンターは『ニュースとハートネットTV、サンデースポーツ2020で取り上げる』と答えている。8月18日から9月2日まで行われたアジア大会はNHKとTBSが、ともに地上波とBSでLIVE中継したのに比べるといかにも寂しい。

「『ニュースなどで取り上げるから中継はしない』という言い分は納得いかないな。だったらアジア大会もパラ大会同様、中継する必要はなかったはずだ。アジア大会は中継するけど、アジアパラ大会は中継しないという根拠にはなっていない。まあ、視聴者対応の女性と議論しても、明快な答えは期待できないから追及しなかったけどな」

言葉は穏やかだが恭一は相当に怒っている。筋が通らないことが一番嫌いなのだ。自らを落ち着かせるように、ゆっくりとコーヒーを淹れながら、広海たちゼミ員に考えさせるように言った。

「っていうか、おかしくねぇ。平昌の時は、オリンピックもパラリンピックも中継があったのに」

スポーツについては、大宮幹太は一家言あるつもりでいる。

「アジア大会って、アジアのオリンピックって位置づけでしょ。同様にアジアパラ大会は、アジアのパラリンピックって位置づけのはず」

千穂がカウンター席に戻って来た。

「オリンピックとパラリンピックはよく“車の両輪”なんて喩えられてるもんな」

耕作に反応したのは幹太。

「NHKも民放同様、片輪だけのアクロバチック走行だな。前輪を宙に浮かせたウィーリーかもしれない。アジア大会はオリンピックより格下の大会だからって理由で全部を中継しないんなら、まあ納得もするけどな」

「NHKが、オリンピックは全力で中継しながら、パラリンピックは知らん顔の民放と同じになるのは大問題だね」

耕作はリオ・デ・ジャネイロのオリ・パラの時から民放の姿勢に疑問を感じていた。

「判断としては、健常者のアジア大会は中継するに値するけど、障害者のアジアパラ大会は中継するに値しない、って切り捨てたわけよね」

「相変わらず厳しいな、広海は。でも、アジア大会を放送しといて、アジアパラ大会を放送しないのは『差別』と指摘されても仕方ないな」

食洗器のスイッチを入れた恭一が続けた。

「『ご意見は今後に生かして参ります』ってさ、NHKは。とっても事務的。アジア大会に限って言えば、今後って最短でも4年後なんだよな。2020東京オリ・パラはとっくに終わってる。どれだけ世間の熱量が残っているかも微妙だな」

「とっても事務的なのは多分、対応のマニュアルを読み上げているからね。震度の大きい地震の時に『火を消してください』とか『倒れそうな物から離れて下さい』とか読み上げるコメントもスタジオに用意されているのよ。クリアファイルとかに挟んで」

悠子がノートパソコンから顔を挙げた。テレビ局に勤めているので、現場の説明にも説得力がある。

「東京オリ・パラを2年後に控えてるのよ。いろんなところで盛り上げを図っているのに、どういうことよね」

「『水を差す』ってこういうことね」

「『ニュースやスポーツ番組、障害者番組で取り上げる』って言っても所詮、動画は優勝選手だけで下手すりゃ銀メダリスト、銅メダリストも名前と顔写真だけなんてことだろ」

耕作はパラリンピックを取り上げるニュースを思い出していた。

「当然、スペシャル・サポーターなんてタレントやリポーターもいない」

「顔写真もなくて、一覧表だけかもよ」

アジアパラ大会は、幹太や千穂たちの予想の通りとなった。

「ジャカルタのパラ大会、テニスには確か、国枝慎吾も出てたよな」

「うん。上地結衣もね。壮行会でインタビューされてたもん」

「全米オープン準優勝のヒーロー、ヒロインの試合も中継しないわけだ」

「全米オープンで準優勝したことすら、新聞でもベタ記事だったからな」

と恭一。ベタ記事というのは、僅か数行からせいぜい十数行程度の1段の目立たない記事のことだ。

「最近のことなので、私も覚えてるわ。決勝戦でもない外国人選手を、写真入りで大きく報じていた同じ紙面に数行だけ。ホントに対照的だった」

と悠子。

「新聞もテレビもこれじゃ、フェデラーに笑われても仕方ないな。テニスファンならともかく多くの国民は、国枝や上地がどれだけの選手か知らなくても無理ないよ」

吐き捨てるように幹太が言った。

ウィンブルドンで5連覇を飾ったロジャー・フェデラーは2003年、記者に年間グランドスラムをいつ実現できるか問われ、こう答えた。

「僕よりクニエダの方が近い」

また、「なぜ日本のテニス界で世界的な選手が出てこないのか」との日本人記者の問いに「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか」と切り替えしたのは、現在でも語り草になっているエピソードだ。

当時、フェデラーは世界ランク1位。現在、4大大会の優勝20回を数える実力者も、車いすテニスにおける国枝をリスペクトしていた。そして、フェデラーの予言通り同じ年、国枝は男子の車いすテニス史上初の年間グランドスラムを達成した。

「何で民放はパラスポーツの中継をしないのかしら?」

「提供するスポンサーがつかないからさ。前に言わなかったっけ」

広海の問いに、退屈そうに幹太。

「視聴率も取れないと思っているんだろうな。何たって民放は視聴率至上主義だからね。前に悠子さんが言ってたように、かつてはキラーコンテンツともてはやされたプロ野球の巨人戦も地上波からはすっかり姿を消したじゃん」

耕作はさすがに学習能力が高い。以前のゼミで少し話題になっただけの情報がインプットされている。

「そうだな。君たちは知らないだろうけど、テレビの録画がVHSやベータだった頃には、野球中継の延長で後番組の予約録画に失敗しないように、延長に対応した製品が主流になったくらいだからな」

「そうね、その頃ね。どれだけプロ野球中継が盛んだったか。と同時にドラマの視聴者層たる私たち女子にはどれだけ不評だったかを物語るエピソードね。Jリーグの発足前の話だけど」

悠子が懐かしそうに頷いた。

「何しろ数字が取れなきゃ、人気の俳優や女優を起用した新番組のドラマだって予定を繰り上げて打ち切ってしまうからね、民放は」

普段あまりテレビを見ない耕作も、テレビの“常識”は理解している。

「NHKはCMで食べていないから、本当はできるはずなのにね」

「食っているのは、国民からの受信料と国からの膨大な予算。企業の顔色を窺う必要がないから、視聴率は気にしなくてもいいんだよ」

幹太と千穂の主張に悠子が異を唱えた。

「そうでもないわよ。昔に比べると民放と見間違うくらい番宣やってるし、情報番組のゲストも他の番組に出演中のタレントばっかり。民放と同じ演出の番組告知もやってる」

「デパートやスーパーでマネキンがやってる試食コーナーみたいですね」

耕作が喩える。

「新番組の番宣見え見えのゲスト出演も、視聴率を気にするから。『あさイチ』のオープニングで、キャスターが直前の『朝ドラ』の感想を言う演出も当たり前になっているでしょ。あれもしたたかな宣伝戦略よ」

「“視聴者目線”を印象付ける演出なんだろうけど、何だかなぁ、って思う時もあるな。って、オレも結構番組制作者に踊らされているわけだな」

恭一が頭を掻いた。

「だから、オリ・パラの合体案を提案したのよ。パラリンピックが邪険にされないためにも」

千穂がオリンピックとパラリンピックの一体化を提案したのは去年のことだった。

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