第28話 イルカはダメって言うけれど…

太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解(抜粋)


Q.イルカは知的で親しみのある動物なのに、どうして日本では食べるのか


A.人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています。

 日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、これらすべての動物には、我々と同じく生きる権利があります。しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。漁師たちが捕獲するイルカの種類や頭数の制限を厳守し、生活のためイルカ漁をしている限り、食べてよい、いけないという観点で動物を区別することは理解できません。                              (和歌山県HPより)


夏休みも間もなく終わろうとしていた。きょうは、剣橋高校の現役生とOBの交流会だ。幹太とさくらは野球部のOB戦。愛香は将棋部の後輩指南に母校の剣橋高校にやって来ていた。


「政治の話じゃないんだけど、アッタマくることがあるんだよね」

昼休みの教室。クラスで飼っているメダカの入った水槽をのぞきこんでいた吉野さくらが思い出したように言った。

「珍しいわね、さくら。虫も殺さないような顔した大人しいあんたが」

おにぎりを頬張りながら詰め将棋を解いていた長崎愛香が将棋盤から窓際に目を移す。

「虫は殺さないんじゃなくて、殺せないの。苦手なのよね。一番の苦手はセミ。去年の夏休みにね、気がついたらセミが一匹私の部屋の壁に止まっていて、じっとして動かないの。窓から追い払おうとしたら突然、大音響でミーン、ミーンって。もう、腰が抜けそうだった」

さくらが水槽を軽くつつくと、メダカが反応して泳ぐ向きを変える。

「腰が抜けそうって、母親世代の比喩よね。いわゆる“昭和”ってやつ」

さくらの相手をしながら、愛香は視線を盤面に戻した。右手で手駒をクルクル回しながら次の手を考えている。

「だって、本当に抜けそうだったんだからね」

同調してくれない愛香に、口を尖らせるさくら。

「それで、それで」

将棋盤を見つめたまま、愛香。言葉とは裏腹に、セミには関心がない。

「床掃除用のモップの棒で追い払おうとしたら、壁から落ちて床に引っくり返っちゃったの」

水槽を背に、愛香の方に振り返るさくら。

「ひっくり返ったのはセミ、それともさくら? セミだったら、手でつかんで外に逃がしてやれば一件落着でしょ」

手が決まり、指し手を進める愛香。さくらが愛香の机に歩み寄る。

「あのね、手でつかめるくらいなら最初っから苦労しないわけ。気持ち悪くて触れないから問題なんでしょ。裏返しになったカメみたいな格好で鳴いているセミを棒で起こそうと思って突いていたら、勢いよくパッと飛び去ったの。もう、思わず後ずさりしちゃったわよ」

「もう、揺らさないでよ。駒が動いちゃうじゃない」

愛香は視線をさくらに向けながら、

「で、今度はさくらが引っくり返ったわけ? 五月雨や 岩に染み入る 蝉の声、by 芭蕉。セミだって風流なのよ」

「あのね、風流なんて、しみじみしている余裕なんてゼロなんだから」

「芭蕉だけに、うわのソラって感じ?」

そう言って、さくらの目をのぞき込んだ愛香。いたずらっぽく微笑んだ。

「キター。お伴の河井曽良だあ」

さくらもつられて笑顔になる。

「セミってさ、幼虫の時は7年も8年も土の中でじっとしててさ、やっと成虫になって姿を現したと思ったら、僅か1週間とか2週間の命だよ。はかない命なんだから、尊ばなきゃダメよ」

小学生の頃に習ったセミの生態だ。子どもながらに生命のはかなさを感じたことを覚えている。

「そんなこと言ったって、姿かたちも鳴き声も許容範囲を超えてるんだから。 ダメなものはダメなの」

さくらはマジでセミが苦手らしい。

「分かった、分かったからさ。造形的にはさ、確かにトンボの方が美しいかもしれないよ。色彩的にはチョウチョの方が鮮やかで魅力的に映るもんね。でも世の中、外見で判断しちゃだめよってママから教わらなかった? で、何に怒ってたんだっけ」

愛香は散らばった駒を並べ直す。思い出したように、話題を変えるさくら。

「そうそう、イルカの話。オーストラリアの環境保護団体シー・シェパードが南極近くで、日本の調査捕鯨船の活動を力づくで妨害してるの知ってるでしょ」

「知ってる知ってる。海賊みたいなドクロのマークが入った船よね。日本の捕鯨船を邪魔しているところとかニュースでよくやってたもんね」

と愛香。わが意を得たりと、堰を切ったようにさくらが続ける。

「調査捕鯨もそうだけど、批判されているのは追い込み漁。複数の船で網を張って、魚を浅瀬に追い込んで捕まえる伝統的な漁法があるの。和歌山県の大地町は昔から追い込み漁でイルカを捕獲しているんだけど、その漁が槍玉に挙がってる。大地町では、食用もそうなんだけど、水族館向けのイルカもこの方法で捕獲しているわけ。それが動物虐待に当たるって抗議してるのよ」

「それも海賊船の仕業?」

先を促す愛香。

「愛香、もしかして分かって言ってる? シワザって」

「えっ、何のこと? 私何にも分かってないんだけど」

「あのね、イルカ漁に抗議しているのははWAZA(ワザ)っていう世界の動物園や水族館で組織する協会なの。そのWAZAが、日本の動物園と水族館の団体のJAZA(ジャザ)に、追い込み漁でイルカの捕獲を続けるならWAZAから除名するって通告しているのね」

「一発退場じゃなくて、わざわざ通告してくれるんだ」

愛香の言葉に意味はない。“わざわざ”を使ってみたかっただけだ。

「ふーん」

突然、後ろから声がした。

「ワザだかジャザだか知らないけれど、ガンダムに出てきそうな名前だな。でもさ、そういうのって結局言いがかりなんだよね。クジラの時もそうだったけど。クジラって、今は食用にしている国が北欧とか日本に限定されるから、欧米の意見がまとまりやすくて、環境保護の象徴みたいになってる。昔は鯨の油は欧米人の生活に不可欠だったし、鯨の歯だって貴重な装飾品だった。ひげは釣竿の先につけたり、それこそ捨てる所がなかった。それが時代が変わって自分たちの生活にあまり影響がなくなったもんで、絶滅の恐れがあるって大義名分?、錦の御旗をかざして、保護って名目で“力技”に出ているわけよ。グイッとさ」

野球部のOB戦を終えたばかりの大宮幹太が教室にやって来て、汗を拭いている。ユニフォームには土がつき、帽子を後ろ前に被っていた。

「幹ちゃん、女の話立ち聞きしてたわけ。エチケットもなしに」

幼なじみだけに、愛香の言い方もぞんざいだ。

「まあまあ、堅いことは言わずにさ。男子禁制の恋バナでもないんだし。オレも環境問題には関心あるし、イルカも好きだからさ」

さくらが続ける。

「地球規模での個体数の減少していることもあるけど、クジラもイルカも哺乳類で、なおかつ知能が高いっていうのが捕獲反対派の一番大きな理由なの。知能の高いイルカやクジラを追い込み漁で捕まえるなんて残酷だって主張」

「追い込み漁なんかで捕まるイルカの知能をかいかぶる人間てどうよって思わないか? それはそれで置いといて、 『白鯨』って有名な冒険小説に登場するクジラは、人食い鯨で悪者なんだよな」

と幹太。男子らしく、好きなジャンルは探偵モノや冒険モノだ。

「それって、スピルバーグ監督の映画『ジョーズ』の元ネタだよね、確か。まあ、悪者かどうかは読み方次第だけど」

愛香が切り返す。幹太も負けてはいない。

「イルカやクジラはダメって言う割に、ヤツらはカジキなんかは全然OKなんだ。個体数は同じように減少しているはずなのに、世界的な釣りのカップ戦まで開かれている。それも超有名な文豪の冠のついたね。それも知能の問題かな。カジキはアホだって」

「有名な文豪って、もしかしてヘミングウェイのこと?」

「ピンポーン」

愛香の勘が当たった。しかし、さくらが反応したのはヘミングウェイではなく、知能の方だった。

「差別だよね。知能が低い動物は別に保護の対象にはしないのに、知能が高い動物は保護する価値があるっていうのはさ。単純に個体数が激減していて保護が必要って言うんなら分からないでもないけど、もし個体数の減少が現実問題だとしたら、乱獲の罪より環境破壊の罪の方が“人間の罪”としては重いと思うの。だから、対策としても環境保全を優先すべきよね」

「牛や豚はバーベキューで丸焼きにしても全然平気だけど、知能が高いイルカやクジラはダメっていうのは確かに納得がいかない。禁漁にしても自分たちの食生活に影響がないからなんだろうな、やっぱり」

と幹太。調査捕鯨で生態を調べることだって環境保護の役割だと考えている。

「あのさ、牛や豚はともかく、馬はどうよ。馬は知能高いよ、間違いなく」

愛香は手の中の角の駒を見ていた。角の裏には「馬」の文字が彫られている。

「馬?」

いぶかしそうに、さくらが聞き返した。

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