第23話 秘書官、あなたのウソを数えましょう
<渋川ゼミの課題>
加計疑惑を120字以内で述べよ。
<秋田千穂の答え>
愛媛県今治市と学校法人加計学園が、政府の特区制度を利用した獣医学部新設までの不自然な意思決定過程の疑惑。総理と学園理事長の友人関係や交渉記録のずさんな管理、官邸主導の圧力と幹部官僚らに共通する曖昧な記憶や発言にも疑念の目が向けられている。(119字)
一週間後―。夕方の『じゃまあいいか』。静かに流れるジャズのメロディーが心地良い。
「これ、有線?」
天井から吊り下げられたBOSEのスピーカーを指差す長岡悠子。
「いいえ、CDですよ。バイトの広海の他には、まだ常連のゼミ生もいないし、たまには喫茶店らしくてもいいかな、ってね」
「私、この曲好きよ。『あなたのウソを数えましょう』。小柳ゆきね」
「素敵なバラードですよね。歌ってもいいですよ。マイクはないけど」
「まさか。カラオケ・ボックスじゃあるまいし。第一、歌詞がうろ覚えだもん」
「えっ、歌詞カードがあったら歌います? 私、聴きたいな。悠子さんの歌」
広海がスマホを操作し始めた。
「冗談やめてよぉ。歌わないからね、私」
「じゃ、今度カラオケ・ボックスで」
「そうね。それなら、いいわ。大人の恋歌聴かせてあげる。で、広海ちゃんのレパートリーは?」
「私の? 歌えるのは『糸』とか『
「中島みゆき、かぁ。意外ねぇ。安室奈美恵とかAKBとか乃木坂とかは?」
「歌えなくはないですけど、好んでは、ちょっと…。母が好きなんですよ、中島みゆき。小さい頃から家でも車の中でも流れてましたから」
「そうか。じゃあ、子守歌も、みゆきさんだったりして」
「アザミ嬢のララバイ」
すかさず恭一が割り込んだ。
「子守歌だけに、ね」
悠子も拾う。
「あっ、加計学園のゼミの時、久しぶりにオレも発表していいかな、ゼミ長」
「何ですか、藪から棒に。だってアドバイザーじゃないですか。ご意見番でしょ、マスターは。しかも私、ゼミ長じゃないし」
「誰も反対はしないよ、広海のゼミ長に」
「ゼミ長の話はともかく、誰も反対しませんよ。マスターが発表すること。でも、テーマは何ですか? 気になるなぁ」
「総理秘書官への忖度かな。タイトルは『あなたのウソを数えましょう』」
「もしかして、それが言いたかったわけ?」
悠子がいたずらっぽく笑う。
「まあ、それもあるんだけど。獣医学部の岩盤規制とか、石破4条件とか、文科省に農水省、内閣府だけじゃなく、愛媛県に今治市。関係する役所の関係も複雑だし、登場人物も多い。広海たちも少しは息抜きも必要だろう」
「息抜きなんですか? マスターの発表」
「中身は真面目だよ。でも入り口は入りやすい方がいい。みんなには内緒だぞ、タイトルは」
「ハイハイ。ネタばれしないように、ね」
週末の土曜日-。
『じゃまあいいか』にはいつものメンバーが集まった。
「きょうはゼミというより、謎解きをしてみたいと思う。刑事コロンボのように」
「ウチのかみさんがね…」
「マスター、奥さんいないし…」
幹太たちの言葉をよそに、恭一が切り出した。広海たちもいつもと違う展開に興味津々だが、如何せんコロンボはアウト・オブ・デートだ、と恭一は思った。主人公が“葉巻を咥えている”段階でなぜ、NHKで再放送が出来るのか良く分からない。端役の演出だったら間違いなくカットされるはずだ。昔のアニメが放送できないのも差別用語や残酷なシーンが多いから。「巨人の星」や「あしたのジョー」も同じ理由でアニメ番組として再放送される機会はほぼない。恭一の思いをよそに央司が口火を切ると、人気作家話で盛り上がっていた。
「同じ刑事なら、加賀恭一郎の方がいいかな」
「東野圭吾か。
「ドラマになったから、イメージは強いわね。映画化された『麒麟の翼』とか、『祈りの幕が下りるとき』もね」
「でも、シリーズは全10作で、それって全部最終盤の作品よ。最初の『卒業』では加賀恭一郎はまだ刑事になる前なの。っていうか大学生。7人グループの中で起きた密室殺人事件。私たちみたいじゃない?」
「大学生グループっていう点では似ていないこともない」
「主人公の名前もさ。恭一郎と恭一。名字は違うけど」
ゼミ生の満足感を確認しで、軽く咳払いした恭一が続けた。
「現場に残された唯一の手掛かりは、1枚の名刺」
恭一は、レジュメも何も用意していない。あるのは味気ないホワイトボードにマグネットで止められた新聞記事が1枚だけ。どこか刑事ドラマの捜査本部みたいだ、と広海は思った。
「新聞にもコピーが載ってたから、みんなも見ていると思うけど、2015年4月2日。首相官邸で当時、総理秘書官だった柳瀬唯夫氏が『加計学園と面会した』と認めた会合で愛媛県職員が名刺交換した柳瀬さんの名刺。たった1枚の名刺だけど、結構重要な意味を持っているとオレは思うんだ」
恭一が『意味がある』という以上、深い意味があるのだろう。
「この名刺が?」
広海たちは、記事の隣りに載った名刺の写真に目を凝らす。一見、何の変哲もない縦書きの名刺。『総理秘書官 柳瀬唯夫』とプリントされてある。気づくのは、『27.4.2』の朱色の日付と名前の下に手書きされた『(経産)』の文字。中村時広愛媛県知事の会見で、日付も手書きも柳瀬さんによるものであることが明らかになっている。
「サラリーマンだったオレの経験上、相手に日付入りの自分の名刺を渡すことはない。相手からもらったことも一度もない。出向の経験もないから、手書き部分の“本籍地”と呼ばれる元の組織については何とも言えないがね」
「オレたち、まだ名刺持ってないし、名刺交換も経験ないからよく分からないんですけど…」
幹太には日付の意味がよく分からない。
「日付が入っていたら、その日以外は使えませんよね」
「当然だ」
「残ったら、もったいないですよね」
「経費のムダ遣いだね」
「うまく言えないんですけど、何か無礼っていうか礼を欠いているような気がしません? 名刺って本人の“顔”っていうか、そういうもんじゃないかと思うんです」
と千穂。
「一番、的を射た指摘だね。現在は横書きの名刺も一般的だけど、慶弔用に縦書きの名刺を用意している管理職も少なくない。『名は体を表す』という言葉があるように、名刺を考えている証でもあるんだよ」
恭一はさらに続ける。
「基本、名刺はそのまま使うことがほとんど。赤いインクで押印するのは『新任挨拶』とか『新年ご挨拶』といった特殊なケースに限られる。企業のキャッチフレーズやエコへの取り組みなどのPRステッカーを隅に張り付ける場合もあるが、日付を入れることは、まずない」
「ということは?」
「考えられること、その1。自らの業務の記録としての押印。不特定多数の相手と名刺交換するだろうから、日時を忘れることは多い。だから名刺を整理する時、相手の名刺の裏に日付やその人の印象などをメモる人はいるけどね。自ら事前に押印する人は珍しいと思うよ。柳瀬さんも立場が上の人には日付のない名刺で挨拶してると思うよ。例えば、加計学園の理事長とかね」
「えっ、加計孝太郎理事長と名刺交換してるんですか?」
ビックリして、耕作が尋ねる。
「例えばの話だよ。少なくても安倍総理の別荘で開かれたバーベキュー・パーティーで2人は同席しているし、その後のゴルフでも同じ組ではないものの前後して回っている。昼食や休憩時、そしてプレー中のティー・グラウンドで雑談するのは、むしろ一般的なことさ」
ゴルフの経験もない広海たちには、こうした発想は難しい。
「そして、考えられること、その2。柳瀬さんの場合は、悪用のリスクを防ぐ意味合いもあったんじゃないかな」
「悪用?」
質問したのは千穂だ。
「名刺1枚で、その人に成りすますのはかなり難しいが、そういう
「そういう対策を講じていた、ということですか?」
納得顔で耕作。
「だが、もしそうなら今回は裏目に出た格好ということになる」
「裏目?」
「そう。まず、総理も政府も柳瀬さんと加計学園側との面会の日時を4月2日と認めていないが、これを裏付ける重要物件だ。何しろ、日付は柳瀬さんが自分で入れたものだからね。彼をサポートする職員の仕事かもしれないけど」
総理秘書官に、それぞれ更に1人、秘書のようなスタッフがいることは柳瀬氏自身が述べている。
「で、普通の人がしないこんな作業を毎日、几帳面に励行している人のことだから、日時だけでなく面会の内容についても記録に残しているだろうと推測するのは容易だ」
「そういうことですか。もしかしたら、受け取った相手の名刺にも日付を入れている可能性もあるんじゃないですか。そんなスタッフなら」
と広海。
「そこまでは気づかなかったが、可能性は高いな、それ。何しろ事務次官の有力候補に挙げられるほど優秀な人だからね」
「やりぃ」
「それに、面会の内容を残してなければ、日付だけ残っていてもあまり意味がないと思わないか? “課長”」
「思います。用意周到ですよね。記憶が薄れることを前提にしての記録ですから。相手のために、自分の名刺に日付を入れる人はいない。相手に渡す自分の名刺に日付を入れるのは自分のため。自己防衛ですよね、一種の」
「鋭い分析だ。国会答弁を見れば分かる通り、『面会の記録を取っていました』とは口が裂けても言わないだろうがね。名刺の謎解きが終わったところで、彼のウソを数えてみようか。タイミングよく、愛媛県知事が反論の会見を開いてくれたので、違いが際立ったね」
恭一は、加賀恭一郎のように不敵に笑った。
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