第22話 五輪改革で国会論戦
参議院予算委員会-。
渋川ゼミを始めて以来、広海たちにとっては国会中継で見慣れた舞台だ。
「横山千鶴君」
進行役の委員長が質問者を指名すると、横山議員が起立した。
「横楊千鶴でございます。本日は、主にオリンピック・パラリンピック2020東京大会についてお尋ねしたいと思います。大臣、まずはじめにオリンピック憲章の根本原則についてお答え下さい」
「オリンピズムの根本原則として5項目記されています。その目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進のために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることと規定しています。そして、スポーツをすることを人権の一つとして定め、すべての個人がいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づきスポーツをする機会を与えられなければならない、とした上で、オリンピック精神においては、友情と連携、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる、としています。IOCのHPにも書かれています」
大臣はなんとか答弁書を読み上げると、ホッとしたように大臣席へ。大臣席の後ろに控えた官僚たちも安堵しているのが分かる。
「大臣はパソコンはしないと聞いていますが、ホームページはご覧になるのですか。『いかなる種類の差別設けることなくと』いうのはとはどういう意味ですか」
「人種や性別、障害のあるなしも含めたものが“あらゆる差別”だと考えています」
「私もそう思います。では次に、報奨金について伺います。日本のメダリストに贈られる報奨金の内訳をオリンピック、パラリンピックの別に教えて下さい」
「オリンピックは金メダルが300万円から500万円に引き上げられました。2016年のリオ大会からです。銀メダルは200万円、銅メダルは100万円です。パラリンピックは金メダルが150万円、銀メダルが100万円、銅メダルが70万円でございます」
大臣は細かい数字が苦手なようだ。官僚お手製の答弁書を指で辿りながら、額や両頬から大粒の汗が流れ出る様子をテレビが映し出す。
「はい。報奨金はどこから贈られるのですか」
「オリンピックはJOC、日本オリンピック委員会。パラリンピックはJPSA、日本障がい者スポーツ協会でございます」
「JPCで、日本パラリンピック委員会ではないのですね」
「JPSAでございます」
「なぜ、オリンピックはJOCなのに、パラリンピックはJPCじゃないのですか」
「通告を戴いていませんので、お答えできません」
「出たー、『通告がないので』」
テレビの前で、幹太。液晶の画面の中では、淡々と横山議員の質問が続く。
「政府は、先の国会で『同一労働同一賃金』を含む働き方改革法案を強引に決定しました。総理、オリンピアンとパラリンピアンのメダリストの報奨金の大きな金額の差は、同一労働同一賃金の考え方に明らかに反していますが、いかがお考えですか」
一瞬、総理と目を合わせたオリ・パラ担当大臣が右手を上げて、答弁席に進み出て来た。
「総理、総理。大臣、あなたには訊いていない。総理に訊いているんです」
今度は文部科学大臣が立ち上がった。広海たちには、大臣たちが総理を守っているようにしか見えない。
予算委員会の各党理事が、議事進行役の委員長席の回りに集まって、運営について協議している。国会審議ではよく見る光景だ。総理の後ろに控えた官僚が、総理に資料を見せながら何やら耳打ちしている。質問に対する答弁の仕方を助言しているのだ。総理が右手を上げて、発言を求める。
「内閣総理大臣」
「同一労働同一賃金は、えー、言わば、“原則”でありまして。その上において、その上においてですね、JPSAでも報奨金の格差をなくす方向で、協賛企業に協力を得ながら検討しているということです」
「その上において、とは、どの上でしょうか?」
委員会室の嘲笑が起きた。
「口癖ですよ、口癖。『えー』とか『あー』とかいうのと一緒ですよ。次の言葉を考えているんですよ」
切れかかった総理が足早に大臣席に戻る。
「では、同一労働同一賃金を掲げる総理は、何もしないということですか」
「報奨金については、JOCとJPSAが行っているものと理解しています」
「JOCにもJPSAにも税金が使われているんですよ。JPSAからJPCに移せないのも、格差を解消できないからじゃないですか」
ネクタイの結び目に手をやりながら答弁席へ向かう総理。少し落ち着きがない。
「現在格差があるのは事実です。しかし、なるべく差をなくそうと言うんですから、いいじゃないですか。必要があれば、私も議論しますよ、胸襟を開いて」
「お好きですよね、胸襟開くの。国会でも是非、胸襟を開いていただきたい。国民が注目する2020東京大会まで時間がないんです。一刻も早く、報奨金の差別をなくしてほしいと思います」
「担当大臣から対応してもらいます」
「横山君」
「今、大学生たちがオリ・パラ統合の指名活動を行っています。大臣はご存知ですか」
「活動していることは知っています」
とオリ・パラ担当大臣。額に頬に、汗を拭う手が忙しい。
「大臣はどう思いますか」
「2020東京大会まで時間もありませんし、予算も限られていますので2024年のパリ大会、2千…、2千…、その次のロス大会以降の課題かと理解しています」
大臣が官僚が準備した答弁用の原稿を棒読みする。終始、原稿に目を落としたまま。自分がテレビにどう映っているかに関心はないようだ。
オリ・パラは2020年の東京の後は、2024仏・パリ、2028米・ロサンゼルスまで開催都市が決まっている。開催経費の膨張が続く昨今、開催立候補する都市が減り、IOCも頭を痛めているのが実情だ。
「本当に理解しているのですか」
「理解しています」
今度は質問者を見て答えた。さすがにワンフーズだし、答弁書に書いてあるはずもない。
「時間がない、予算がないということですが、彼らの考えでは今より予算が増えることもありませんし、新たな予算化は必要ありません。現在の準備の流れで十分対応できるので、時間的にも問題はありません。私もいろいろ考えましたが、何なら、年が明けて開催年に入ってからだって間に合うくらいです。大臣は、本当に彼らの主張をお読みになったんですか」
「詳細は、専門のスタッフに答えさせます…」
「私は大臣に訊いているんです。もういいです」
横山議員の実問時間が終わり、質問者が代わる。
「副嶋(そえじま) 彩君」
「はい。副嶋 彩でございます。横山委員の質問の続きになりますが、オリ・パラの統合を呼び掛ける大学生たちの主張は、パソコンでサイトを開けば分かりますよ」
「大臣はパソコン使わないんだよ」
「っていうか、使えない」
「USBも無理だぞ」
委員会室の奥の方から野次と嘲笑が飛び交う。野党議員だけじゃなく、どうやら大臣を支える立場の与党議員もいるようだ。
「総理にお尋ねします。先の内閣改造以降の国会での答弁や記者会見を見ていまして、担当大臣の資質に問題があると思いますが、いかがお考えですか」
「適材適所だと考えております」
「麻生財務大臣と菅官房長官、世耕経産大臣の言わば“3本の矢”以外は派閥の論理で選んだ大臣なのではありませんか」
「まあ、“3本の矢”はアベノミクスを象徴する例示として使いました私の地元の毛利元就の言葉を引用したもので、その上で、その上においてですね、派閥の論理なんて、そんなことで選んだことなんか、ありませんよ。適材適所って言ってるじゃないですか」
気色ばんだ総理の口調が早口になる。
「大学生、高校生による署名運動の広がりについては、どうお考えですか」
「18歳選挙権の導入後、参議院議員選挙や各地地方選挙があったわけですが、その上で、その上においてですね、経験値を積みつつある有権者である若者がが関心を持つ。民法の改正で、間もなく成人も18歳になります。その上において、その上においてですね、政治に関心を持つことは大いに結構なことだと思います」
少し、文脈も怪しい。
「オリ・パラの統合についてはいかがお考えでしょうか」
「この問題は、日本だけで決められる問題でなく、IOCが決めることです。基本的な考え方には反対するものではありませんが、開催都市は東京都ですから…」
これもいつもの発言方法だ。積極的な賛成は表明せず、消極的な賛成。仮に後に賛成派が劣勢になった時にも言い訳が出来る“玉虫色”の答弁だ。
「では、都知事と相談されるおつもりは?」
「それは、まず担当大臣の仕事です」
「実はですね、1964年の東京オリンピックの時もですね、ギリギリになって総理が五輪担当大臣を兼務されてるんですよ。池田勇人総理が。今回の大会については既に5人の大臣が入れ代わり立ち代わり就任と離任を繰り返しています。2012年末からたった6年間で5人ですよ。50年、半世紀ぶりに国内開催されるスポーツの祭典を政府がどれだけ軽視しているかが分かりますが、最後の最後、大会直前になって総理が兼務するなんてお考えをお持ちなのでは?」
「全くありません。その指摘は全く当たりません」
「次の改造内閣では、また6人目の大臣を起用するおつもりですか」
「仮定のお尋ねにはお答えできません」
これも、いつもの逃げ口上だ。
「森友学園の際には『もし、私や私の妻が関わっていたら、総理も、もちろん国会議員も辞める』と自ら仮定の答弁をされましたよね」
「あれは、みなさんがしつこかったからですよ」
「それは総理の答弁に『真摯さも丁寧さ』もなかったからですよ。オリンピックでも、リオ大会開会式の“安倍マリオ”のように、オイシイところだけ持って行くおつもりでは?」
「全く当たりません。オリンピックは、IOCとJOC、東京都でお決めいただくことで、国はサポートする立場ですから」
「オリンピック・パラリンピックの一本化は、総理のおっしゃる共生社会やバリアフリー社会の実現にも合致するとお考えにはなりませんか?」
「IOCとJOC、東京都がお考えになることだと思っています」
同僚の高梨議員に代わります。
「高梨由布子君」
「はい、高梨由布子です。2020東京オリンピック・パラリンピックについて、国が負担するのはいくらですか?」
「新国立競技場の建設費用分とパラリンピックの開催費用合わせて1500億円です」
オリ・パラ担当大臣が答える。
「1500円でなく、1500億円ですね。しかし、会計検査院の集計では、既に約8011億円が支出されていたと発表されています。オリンピック・パラリンピック組織委員会が公表している国の負担分1500億円を6500億円も5倍以上も上回っていますが、どういうことですか?」
「競技場周辺の道路輸送インフラの整備やセキュリティー対策、熱中症に関する普及啓発など周辺事業の経費でありまして、私どもではオリンピック・パラリンピックの予算には含めておりません」
相変わらず、大臣の大汗は引く気配がない。むしろ、その量は増えているようにも見える。
「会計検査院が指摘するということは本来、別予算ではなく、オリ・パラ予算として計上するべき予算じゃありませんか。政府はオリンピック関連予算を少なく見せようとしているんじゃないですか?」
「そんなことはございません。検査院と見解が異なったのは事実ですが、意図的に少なく見せようとしたわけではございません」
大臣の口調が丁寧になるのは気のせいか。
「計算方法については、きょうはこれ以上追及しませんが、まだ本番まで2年近く残した段階で関連予算を含め8,000億円以上の経費が使われていることは事実です。これから更に数千億円単位で経費が掛かって来るんじゃないですか? 国は再来年の大会本番までの概算をどのように見積もっているのですか?」
大臣に官僚が資料を見せながら説明しているが、大臣は要領を得ない。
「答えられないのですか? いくらになるか分からないので それじゃ、青天井じゃないですか」
「計算したところ、国のこれまでの支出は1,725億円です。今後透明性を確保し、国民の理解を得るために今後も支出段階で集計、公表してまいります」
「開催が決まった当初から『コンパクトで、お金をかけない』と公言していたんですよ。これでは国民に対する裏切りと言うしかありません。マスコミの報道では、経費の総額は1兆3,000億円どころではなく、3兆円以上に膨れ上がるとも試算されています。一体、どれだけ税金をつぎ込むつもりですか?」
「オリンピック予算については、IOCからもできるだけ削減するよう求められております。その上で、東京都と大会組織委員会とともに、可能な限り予算を削減する努力を重ねているところでございます」
「いい加減なムダ遣いは1円たりとも許されません。これからも厳しくチェックし、無責任な税金の使い方は許さない。そういう姿勢で対峙していくことを誓って、質問を終わります」
横山、副嶋、高梨。予算委員会での3人の質問が終わった。喫茶『じゃまあいいか』で固唾を飲んでテレビで中継を見守った広海たちも緊張から解き放たれて、拍手を送った。
「こんなにマジに国会中継見たのも初めてかもね」
と千穂。
「あー、肩凝ったー。マスター、“キョーイチ”のコーヒーお願い。大盛りで。お金は払いますから」
広海も気分が高揚し、満足感に浸っていた。
「当たり前だのクラッカー。世の中そんなに甘くない。でも、国会を動かした行動力には敬意を表して、アップルパイは特別にサービスだ」
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