第21話 恭一と貢とブッチャーと
「キョーイチ、覚えてるか。ブッチャーのこと」
「もちろん。あんな経験はなかなか出来ないからな」
ブッチャーというのは“黒い呪術師”の異名を取り、ヒール役として人気を博したアブドーラ・ザ・ブッチャー(リングネーム)のことだ。
「何、何。教えて」
悠子が人懐っこく聞いてくる。
「コイツ昔からプロレスファンでさ。高校2年の時、一緒にプロレス観戦に行ったんだよ。人気レスラーのタイトルマッチがあったから。なぁ」
恭一があごで横須賀を指しながらコーヒーをひと口。
「ああ。オレたち小遣い少なかったから、当日券売り場の人ごみに紛れて『こども2枚』って窓口に千円札2枚握った手だけ差し出してチケット買ったんだ。懐かしいな、古き良き時代だ」
「オレもう心臓がドキドキしたよ。若気の至り、ってやつだな」
「大きな体育館だったけど、会場に入ったらBSで午後の早い時間にやってる大相撲の序の口や幕下の取り組みと同じように、格下の前座と呼ばれるレスラーの試合が始まっていたんだ。テレビで観るプロレスの印象とは程遠い地味ーな試合展開なわけよ」
「キャリアの浅い無名の若手は持ち技自体が少ないから、ヘッドロックや腕の取り合い、寝技で関節を攻めたり、比較的動きが小さい試合運びになってしまう。アマチュアのレスリングみたいなもんさ。でも、実は見映えのするド派手な大技よりも地味な基本技が一番スタミナを消耗するんだ」
「あの時も、そんなおまえの解説を聞いたなぁ」
恭一が高校時代を懐かしむ。
「俺は、悠子さんに説明しているんだ。で、ちょっと時間を持て余していた俺たちは、ステージの緞帳の前で椅子に腰掛けているブッチャーを見つけたわけ。出番はまだまだで、リング上の試合を観戦してたんだな。テレビで見る凶暴なイメージはなく、割と気さくに笑顔でファンとふれ合っていたから、興味半分で恐る恐る彼のシューズを触ろうとしたんだ」
「そしたらどうなったと思う?」
「指でも踏まれたとか…」
「そんなんじゃ、鮮明な記憶に残らない。こうして話す意味もない」
「じゃあ何よ。勿体つけないで」
「勿体もつけたくなる話。実はさ、“黒い呪術師”の逆鱗に触れたんだ」
「逆鱗?」
「うん。彼の真っ黒のシューズのつま先の部分には、サイの角のような飾りがついてたんだけど、これって本当に痛いのかなって興味があったから、そっと手を差し伸べたわけ」
「硬かったの? それとも、柔らかいフェイクだった?」
「触れなかった。っていうか、突然立ち上がったブッチャーが『シュ、シュー』ってヘビが威嚇するような声を出しながらお馴染みの戦闘ポーズで睨みつけるから、オレ思わず手を引っ込めたんだけど…」
「ステージから降りて来たんだよな。反射的にオレたち小走りで逃げたんだけど、ブッチャーが血相変えて追い掛けて来る。頭の中でピンク・フロイドの『吹けよ風、呼べよ嵐』がガンガン響いてる状態」
「オレなんか追いつかれて地獄突きされるんじゃないか、って思ったよ」
「お客さんも見てたから、オレ、リアクションまで考えていたよ」
「冷静だな、お前」
「で、ノック・アウト?」
「まさか。20、30メートルくらい走ったかな。結局、彼にしてみれば、ちょっとしたファンサービスだったんだろうけど、さすがに生きた心地がしなかった。冷や汗かいたよ」
「見てみたかったな。ブッチャーvs貢少年と恭一少年の場外乱闘。あー、残念無念。今だったら間違いなくユーチューブで流出もんね、再生回数ウン万回とか話題になってること間違いなし」
悠子が二人をからかうように明るく笑った。おバカボーイスの思い出話は続く。
「で、ジグソーの『スカイハイ』が流れると青コーナーのリングサイドにまっしぐら」
「何で、何で」
二人のエピソードにさらに興味をそそられる悠子。
「『吹けよ風、呼べよ嵐』はブッチャーの入場曲で、『スカイハイ』は人気の覆面レスラー、ミル・マスカラスの入場曲。ファンにもみくちゃにされながらリングに上がったマスカラスがパフォーマンスで、被ったマスクを観客席に投げ込むんだよ。コンサートで人気アーティストがギターのピックを投げるのと似ているかもね。その方向が大抵、登場してきた花道辺りなんだ」
「あら、大変じゃない。覆面レスラーなのに、マスクを取って素顔で戦うつもり?」
「そんなバカな。マスカラスは“千の顔を持つ男”って異名を持っていて、試合用には額にアルファベットの「M」の文字が入ったラメ入りの定番のマスクを被っているんだ。その上からファンサービス用のマスクを被っているわけ」
「なるほどね。で、ゲットできたの? 高2男子の貢クンと恭一クンは」
悠子はおバカ男子の結果が気になった。
「残念ながら一度もなかったね。何しろ大人気だったからさ。例えて言えば、東京ドームのライトスタンドで松井のホームランボールを奪い合うようなイメージかな」
「ワゴンセールの大売出しに群がるオバさんたち以上だな」
「フーン」
悠子は分かったような分からないような中途半端な反応を見せた。
「でさ、何しろ俺たちは自由席の『こども2枚』で入っているから、また観客席の後方に戻って試合を見てたんだ。事件が起きたのはその後」
「何? まだあるの、事件」
「リングの上がよく見えるように、オレたち空いてるパイプ椅子に乗って観戦してたわけよ。つまり身長より30センチか40センチ上から見てるわけ」
「イベント用の 折り畳みの椅子に乗ってるんだもんね」
プロレス会場の観客席の椅子は基本、スチール製の折り畳み椅子だ。場外乱闘ではレスラーの小道具として使われることも多い。でも、ダメージが大きそうなスチール部分が使われることは少なく、選手を叩くのはクッションの効いた座面の場合がほとんどだ。この辺も「プロレスあるある」だ。
「試合に夢中になっているうちに、ふと隣りに何やら人の気配を感じたんですねー。大歓声がだんだん遠くなって行くようで、いやーな予感がしたんです…」
「来た、来た、稲川淳二だ」
タイミングよく、恭一が合いの手を入れる。
「何よ、やめてよね。私、そういうの苦手なの」
「怪談話じゃないから大丈夫。で、恐る恐る隣りを見やったわけ」
「そしたら?」
「そしたらさ、隣りに人が立っていたんだ」
「なーんだ」
「なーんだ、って立っていたのがバスケやバレーボールの長身の選手だったら、俺だってそんなに驚きはしないさ。隣りにいたのはジャイアント馬場さん。赤いガウンまとって、腕組みながら弟子達の試合ぶりを観ていたんだ」
「アレはビックリしたね。危なく椅子から落ちるところだった。
馬場さんの身長は2メートル9センチ。170センチくらいだった横須賀が椅子に乗ったのと同じくらいというのは現実味がある話だ。
「リング上の姿は何度も見ていたけど、まさかそんな至近距離で見るなんて思わなかったし、とにかくオーラがあったよ」
「あの日はオマケもあったじゃないか」
「おまけ?」
「32文砲のことか?」
「32文砲?」
「馬場さんの必殺技。それも幻の。馬場さんの得意技と言えば16文キック。ロープに飛ばされて勢いよく跳ね返ってくる相手の胸や顔を、大きく前方に振り上げた右足の裏で蹴るんだ。丁度、カウンターパンチのようなイメージ。16文というのは足の大きさね。約36センチ。最近は大柄のスポーツ選手で足のサイズが30センチなんて高校生もいたりするから昔より珍しくないけど、とにかくデカイ」
「正確には蹴るというより、相手がぶつかって来る感じ。忖度の本領発揮ってところかな」
「でも、16文じゃなくて32文よね」
「32文ってことは両足ってことさ。プロレス技の中に、自分も飛び上がって両足を揃えて相手を蹴り上げるドロップ・キックって技があるんだけど、馬場さんのドロップ・キックを特別に“32文砲”って言うんだ。体格自体が大きいことと、若い頃と違ってやっぱり負担も大きいんだろうね、試合でもほとんど使わないんだけど、たまたまその日の試合の最後に見せてくれた。『ウォー』って大歓声も凄かった。みんな感激したんだろうな」
「よく分かんないけど、すっごくキラキラしてない?」
「だって、たった千円で幻の“32文砲”をナマで観戦できたんだぜ」
横須賀は同級生に自慢するような口ぶりだった。
「それは、ズルでしょうが。でも、忖度の具体例としてはよーく分かったわ。二人が絡んだお宝写真もゲットできたし」
悠子は、恭一と貢が汗だくで卍固めを掛け合うスマホの画面を、大きくかざして見せた。
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