第20話 忖度は卍固め、ってマジ卍?

 「総理への忖度を見ていて、卍(マンジ)固めを思い出したよ」

野球部の部活を見届けて『じゃまあいいか』にやって来た横須賀貢。珍しく上下ジャージ姿だ。

「卍固め? 卍って“マジ卍”のあの卍?」

と先客の長岡悠子。

「“マジ卍”は知らないけど、他に卍は知らないから多分その卍。お寺の地図記号の卍」

卍固めは、『元気ですかー』でお馴染みの国会議員、アントニオ猪木氏がプレレスラー時代の得意技だ。猪木氏の平手打ちに行列ができるのも、当時のリング上をイメージしての光景だ。

「こんなに卍、卍って、本家の女子高生もビックリね」

「『マジ卍』ってか?」

恭一の一言に悠子が大ウケしている。一瞬置いて、横須賀がアントニオ猪木の必殺技『卍地固め』の解説を始めた。

「猪木の必殺技の卍固めは、対戦相手の協力なくしては完成しないんだ。技をかけられる方が、観客の気持ちや主役の立場を忖度するんだよ」

「意味分かんないんだけど」

プロレス女子ではない悠子の疑問はもっともだ。恭一が答える。

「当時の卍固めは、フィニッシュ・ホールドと呼ばれる決め技だった。醒めた言い方をすれば、猪木がこの技を繰り出した瞬間に勝負は決まり、ということさ」

「ご老公の葵の印籠みたいなモンだな」

時代劇ドラマ『水戸黄門』を例に出す横須賀。

「『恐れ入りました。は、はー』って言う役回りは、もしかして対戦相手の選手?」

「そういうこと。さすがに呑み込みが早い」

「忖度にも程があるんじゃない?」

「いやいや。何と言っても忖度の極みは、みちのくプロレスの新崎人生(しんざきじんせい)の必殺技“拝み渡り”だな」

恭一は素早くネットで“拝み渡り”の動画を検索、悠子に見せた。

顔の前で片手で拝むポーズを取った新崎が、3本張られたロープの最上段のロープの上を歩いている。丁度、綱渡りのように。綱渡りと異なるのは新崎の隣り、伴走者のようにマットの上を歩いている相手選手の存在だ。しかも、新崎と仲睦まじく手をつないでいる。新崎に手を引かれているという設定だが、まるで新崎がバランスを取るのを助けているようにも見える。というか、新崎を支えているようにしか見えない。

「これ、技なの? どこが効いてるの? っていうかどこを攻めてるの?」

「いい質問だね。見た通りの状態だ。どこを攻めてるかと言えば、恐らく“脳”だろう。念仏を唱えていわゆる催眠状態に陥れるんだ。教祖に従順な信者のように見えないか。そして、ここからダイビングして手刀を肩口へ。決まったッー」

大の大人二人のプロレス解説は真剣だ。

「ハイハイ、よーく分かりました、忖度の意味」

苦笑いした悠子。エンターテインメントとしてのプロレスを知ったことよりも、恭一と横須賀のいつもとは違った素顔を見ることができたことが新鮮な驚きだった。が、横須賀のプロレス愛は止まらない。

「コブラツイストは知ってる?」

「何となく」

ホワイトボードにフェルトペンで図解する横須賀を見て、『さすが教師だ』と妙に感心する恭一。

「お前、絵うまいなー」

「四肢を複雑に絡める点は、卍固めと基本同じ。けど、コブラツイストの場合は技をかけている方の軸足がマットの上に着地しているのに対し、美しい卍固めは両足とも中に浮いている」

最近はイケメンと言われるレスラーの活躍でプロレスファンの女子も増えているが、長岡悠子にプロレス趣味はない。

「平たく言うと、前かがみになった相手の背中の上に乗っかっている状態。技をかけられた側が懸命に相手を支えないと成立しないんだ」

代わる代わる説明する恭一と横須賀は “小6男子” と化している。

「何だかバカみたい。痛い上に何で相手まで支えてあげなきゃいけないわけ?」

二人は丁寧に説明しているつもりだが、悠子には依然チンプンカンプンだ。

「そう元も子もないことを言うなよ。痛さの前に、ある種の芸術なんだよ、プロレス技って」

「痛さの前にって言うのも何だかビミョーだな。まあ、芸術って意味では、ブレーン・バスターは一番の芸術だな」

ブレーン・バスターは文字通り、ブレーン(脳)をバスター(やっつける)する意味で、前かがみになった相手の頭を片腕で抱え込み、もう片方の手でレスリング・パンツをつかんで逆さに持ち上げ、一気に自ら後方に倒れ込みながら投げる技のことだ。かつては試合終盤に勝負を決める必殺技だった。しかし、今では試合の序盤から互いに投げ合うことが多く、決定的な技ではなくなっている。

「ブレーン・バスターを見ればレスラーの力量が分かるんだ」

「へー」

意味が分からないまま一応、感心する振りの悠子。軽い相槌と思って構わない。

「あっ、断っておくけど、力量ってかける方じゃなくてかけられる方の力量ね」

「美しく投げられる力量のことを言ってるわけ。レスラーとしてのセンスと言ってもいい」

「何の話をしてるわけ?」

「シルク・ド・ソレイユは知ってる?」

「もちろん」

「だったら話は早い。リングの上のシルク・ド・ソレイユだと思えばいい。一つの芸術。ブレーン・バスターで持ち上げられた選手は、逆立ちと同じように背筋がピンと伸びて両足も真っ直ぐ揃っている方が美しいんだ」

「これから投げられるというのに、腹筋と背筋を使ってマットに対して一直線の垂直を保つワケ?」

「うん。この状態で何秒間か静止できたら最高だね。反対に、腰が折れて股が開いていたりしたら興醒めだな」

「それじゃあ、シルクじゃなくて、コットン・ド・ソレイユだ」

「却下」

“小6男子”はそんな悠子のダメ出しには動じない。

「で、卍固めも一緒さ。高校時代、貢と掛け合ったけど実際難しかった。なぁ」

「相手の体重を支えられなくて、よく転がったもんさ」

横須賀はカウンターから立ち上がると、店のテーブルと椅子を2席分壁側に寄せた。

「久しぶりにやってみるか」

「おいおい、冗談だろ」

「天井が低いから、ブレーン・バスターはやらない。自信もない」

横須賀はボタンダウンの綿シャツの両袖を肘までまくった。

「何をやるつもりだ」

「だって卍固め、知らないって言うし…」

「何年経ってると思ってるんだよ」

ブツブツ言いながら、恭一がエプロンを外してカウンターの奥から出て来た。

「ウソ、マジ?」

ジャンケンの結果、恭一がアントニオ猪木役、つまり技をかけることになった。横須賀は両足を肩幅くらいに広げると、腰をかがめた。丁度、馬跳びの馬役のように。足の位置を慎重に確認している。恭一は横須賀の後ろに回ると自分の右足を横須賀の右足に内側から絡め、横須賀の上半身を横向きに捻る。そして、横須賀の右腕を左腕で抱え込むようにして上から負ぶさった。さらに左足を横須賀の頭の上に掛ける。横須賀は少し上気した顔。左足を自ら広げ、二人分の体重を支えるために床についた左腕の血管が浮いている。

「これが、卍固め」

掛けている恭一の息も少し上がってきた。横須賀の背中から降りかけようとした時、

「ちょっと待ってね」

そう言うと、悠子はバッグからスマホを取り出して3回シャッターを切った。

「10秒が限度だな」

写真映えを狙って、横須賀は左腕を宙に浮かせると両足だけで恭一を支えた。恭一も、空いた右腕でガッツ・ポーズを取るように肘を横須賀の脇腹にあてる。

「何だか懐かしいなぁ。思いの外上出来だ」

スマホのディスプレイを確認しながら満足そうな恭一。横須賀も覗き込む。

「広海ちゃんたちにも見せなきゃね。タイトルはもちろん“マジ卍!”ね」

「ウソだろ。だったら、もう一回ちゃんとやり直すか」

と恭一。

「何年経っても、“小6男子”は“小6男子”ね」

「せめて中1男子にしてもらえないか、なあ貢」

悠子が笑った。

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