第18話 心ない字幕スーパーはTVの傲慢

「テレビについては、他にも気になることがある」


 恭一はテレビ世代だ。常々『世の中の大事なことの三分の一くらいはテレビから学んだ』と言っている。三分の一というビミョーな線引きの理由は、三分の一はラジオ、残りの三分の一はマンガから学んだ、と思っているからだ。しかし、世間では、ラジオっ子、マンガっ子というフレーズはない。そういう意味では、テレビっ子と言って差し支えないだろう。

「気になるって?」

 水曜日の喫茶『じゃまあいいか』。玄関から僅かに夕日が差し込んでいた。ボックス席のテーブルを拭き終わった広海がカウンターに戻って来る。授業を終えた愛香と耕作が、並んで詰将棋を楽しんでいる。恭一から話題を振ることは珍しい。広海は関心を持った。

「言論の自由とか報道の自由とか声高に主張している割に、権力志向というか、案外権力に弱いんじゃないか、ってね」

恭一が自らのテレビ観を語る。

「どういうことですか」

「放送事業が免許事業だという話は前にも話したと思う」

「震災の話の時ですね。国から電波を割り当てられているって話」

高市たかいち早苗元総務相の『電波の停止もあり得る』発言が大きな波紋を呼んだのも広海は覚えていた。

「だから、一般の企業や個人が簡単に放送業界に参入することは出来ない。ラジオは出力が極々小さな範囲であれば許されているから、趣味で楽しむことはできるけど」

「そう。総務省の管轄になるんだけど、民放は東京、大阪、名古屋、福岡の大都市周辺の一部府県を除けば、大体ひとつの県にテレビ局が3、4局。ラジオはAM局とFM局がそれぞれ1つずつと考えてもいいわ。コミュニティFMは別だけど」

来店したばかりのテレビ局にアナウンサーとして勤務する長岡悠子が補足する。この時間に顔を出すってことは、早番シフトだったのだろう。

「他の業界と違って、競争原理が働かないってことだったわよね」

その程度の経済原則なら広海にも分かる。

「そういうこと。守られているといってもいい。で、高校生でも取得できる原付バイクの免許と同様、数年おきに免許の更新が必要なんだ」

 「えっ、免許の更新? もしかして更新できない可能性もあるんですか?」

詰め将棋を解き終えた耕作が会話に参加してきた。愛香に薦められて借りた問題集を楽しんでいる。気分転換には最適だと言うが、広海にはむしろイライラが募って苦手の分野だ。

「基本的にはありえない。よっぽどのブラック企業なら話は別だろうが。既存の放送局の免許を停止することは、国民の知る権利の制限に当たるし、情報格差を生むことにつながるからね。でも、放送局側は、許認可権限を持つ監督官庁の総務省の顔色を窺うことになる」

そう言うと、恭一は冷めたコーヒーをひと口。

「万が一にも放送免許を取り上げられたら困るからね」

メニュー表に目をやる悠子。テレビ局で働く者としては、特に耳を傾ける内容ではない。

「以前、大臣だった高市さんが『あまり中立、公平性がひどい場合は放送免許の停止もある』って発言して大きな問題になってましたよね」

耕作が顔を上げた。まるで悠子を質すような物言いだ。

「あれはまた別の話。放送法の解釈の違いね。本来は放送局の側が自主規制するための法律なんだけど、違反と判断したら監督官庁としてしかるべき措置を取るぞっていう、言ってみれば脅し文句。何かと批判されることの多い政権が本気で投げた牽制球」

「牽制球じゃなくて、意図的な危険球だな。解釈変更。ビーンボールさ、ピンポイントに急所を狙った」

と恭一。メジャー・リーグでは、故意と思われるデッド・ボールを受けたチームの投手が相手チームの捕手や主力選手の打席で仕返しをすることが珍しくない。“目には目を、歯には歯を”だ。政権批判報道と受け取った政府が、放送局を威嚇してきたのだ。

「放送局にとっては死活問題ですもんね」

「だからあんなに反発したんだよ」

広海の指摘に耕作。

「でも局は、基本的には総務省には立てつかない。言うことを聞く優等生さ」

と恭一。今度は放送局に対する皮肉だ。

「何が気になるんですか」

「本来、放送局には、新聞社と同様、権力をチェックしたり批判したりする役割があるはずなんだけど、結局、強いものの言うことを聞いて、弱いものには高圧的な面もあるということさ」

広海の質問を待っていたかのように恭一が言う。

「例えば?」

「そうだな。まず、言葉の使い方。文部科学省やナントカ審議会が決めたら、もう全部丸飲み。批判精神とか欠片も感じられない」

「そういえば、私の母親が久しぶりに銀ブラしていた時、テレビのインタビューを受けたんだって。楽しみに番組を見たらコメントの字幕で訂正されていた、って私たちに当たるんだから」

詰将棋を何問か説き終えたのだろう。愛香が参加してきた。

「何て?」

広海には愛香の言葉が話の流れに沿っているのかどうか分からなかった。愛香が続ける。

「もう50才になるのに、何気なく喋っているとついつい『ら抜き言葉』になる癖があるのね。で、画面には『ら』を抜かない正しい言葉がスーパーされたんだって」

「つまり、お母さんの喋った言葉と字幕が違っていた、ってことだね」

恭一の確認に、愛香が頷いた。

「そりゃ、注意されているみたいで恥ずかしいわよね。あなたの言葉遣い、間違ってますよって公衆の面前で注意されているのと一緒」

「うん、だから怒ってたの。『ら抜き言葉』で喋る側から『ら』を抜かない正しい言葉が画面に表示されたから。そんなんだったら、インタビューしている時に教えろよって。撮り直しも出来たはずよね、って。全国に無知さ加減をさらされたって、もうオカンムリ」

愛香が母の成子しげこのセリフを感情を交えてリフレインした。

「そりゃ怒る気持ちも分るなぁ。テイク2撮らなきゃ。タレント相手だったらカンペも出すんだからなぁ」

成子を同情しているのだろうか。悠子に抗議するように恭一が軽く笑う。

「魚の食べ方を聞かれた時に『煮つけでいただくのが好き』と答えた部分も『煮つけで食べるのが好き』とスーパーされたらしいわ。別に気取っていたわけじゃなくて、ちょっとよそ行きに丁寧に話しただけなのにって」

「それって、人間性とか品格、気遣いを無視されちゃったってことね。だって、こっちは日本語として間違ってないもん」

広海も成子の肩を持つ。

「結局、誰の方を向いて仕事をしているのかって話よね。『ら抜き言葉』の訂正は、正しい日本語に直してやってるっていうおせっかいな親切心。そうでなければ“ら抜き言葉はNG”って教育されているから機械的に直しているだけ。話している人のことなんか考えていないの。丁寧語の変換は、意味が同じだからって単に文字数を少なくしているだけ。判断基準は自分の都合で、相手の立場なんて端っから頭にないの。そういうスタッフには」

愛香の質問は的を射ていたようだ。悠子の言葉に、恭一も饒舌になる。

「平仮名の『あ』に濁点をつけるのも最近では珍しくないが、オレは嫌いだ。お笑い芸人のNGシーンなんかで使われてきたと思うけど、東山動物園のフクロテナガザルの登場で一段と増えたよね。国会の強行採決の乱闘でもやってほしいけど、やらない。バラエティじゃないからだろう」

「あった、あった。雄叫びみたいなやつね。ユーチューブでもいっぱいアップされてた」

愛香は、酔っ払いのおやじのようなサルにだけ反応した。

「『う』の濁音は主にアルファベットの『V』由来の単語を訳す時に使われる。『B』由来の『ぶ』と明確に区別されるから分かる」

「ラヴ、とかデジャヴとかね」

「音量を表すボリュームも、厳密に言うとヴォリュームだし、革命のレボリューションも、本来はレヴォリューションが正しい。コーヒー豆の袋に貼ってある紙はラベルだが、君たちの学力のレベルは正確にはレヴェルだ」

恭一の口から、使い分けが曖昧な例がポンポン飛び出してくる。

「『ヴ』はもちろん、あまり使わない『ゔ』だって、パソコンでも当然変換できるね。でも、『あ』に濁点は当然、PCも変換してくれないし、広辞苑の最新版にも載っていないだろう」

「おっしゃる通りです。CG(コンピューター・グラフィックス)の担当者が『あ』と『゛』を組み合わせて記号みたいにして使ってるの。使う頻度が高いから、単語登録しているの」

悠子が勤務先の局の例を紹介した。

「方言も同じ。放送局にとって大きな関心事ではないってことさ」

「方言?」

愛香がオウム返しに反応した。

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