第10話 東大頼みのテレビ局にモノ申す
久しぶりに教え子たちと顔を合わせた横須賀貢。渋川恭一が淹れるコーヒーのリラックス効果も手伝ってか、いつもより能弁になる。担任と生徒の関係から解き放たれたことも理由の一つだ。
「学歴格差も同じで、同一労働同一賃金を可能にするにはハードルが高過ぎるんだよ。君たちも就職活動をするようになれば分かることだけど、例えば大卒と高卒ではまず初任給が違う」
「それって、就職する時の年齢が違うから当然じゃないんですか」
長崎愛香が不思議に思わないのも無理はない。
「そうだね。普通はそれで納得しちゃってるから誰も問題にしない。いや、誰もっていうのは間違いで多分、高卒で就職している人の多くは内心は納得していないんじゃないかな。でも、職場の中で発言力があり、物事の決定権を握っているのは大卒の上司だから、本音は言いにくい」
横須賀は続ける。
「ある職場に大卒の社員が入社した。浪人したり、留年したりしていなければ、同い年の高卒社員は職場経験が4年長い。給与は当然、職場によって違うから一概には言えないが、この段階で給与が同額になると仮定しよう。4年の実戦経験がある社員とこれから仕事を覚える新入社員。その先はどうなると思う?」
ハイ、と右手を上げた幹太が、当てられてもいないのに勝手に答える。
「大卒の方がどんどん追い抜いていくんでしょ、給料。俺が社長だったら、高卒の4年早く入社して仕事に慣れている社員の方に期待するけどな。だって新入社員は即戦力ってわけにはいかないっしょ」
「でも、大卒の社員っていわゆる“幹部候補生”っていうことでしょ」
秋田千穂の指摘は、世間一般の常識的な考えだ。
「そうそう。幹部候補生だよね、一般的に大卒の社員は。でも、今みたいに猫も杓子も大卒になっちゃうと、幹部候補生なんて死語だよ、死語。でも、昇進とか出世するためには高卒より大卒の方が圧倒的に有利であることに変りはない。それが日本企業の一般的な慣習だよね」
「その常識っていうか旧態依然としたスタイルを変えない限り、同一労働同一賃金なんて実現しっこないってことですね」
横須賀の言葉が終わらないうちに、小笠原広海が結論付けた。
「そういうこと。もうひとつは終身雇用。諸外国には少ない日本独特の労働形態で、労働者の立場を保証した制度ではあるけれど、いろいろ弊害が出てきていることも事実だよね。これも政府の目指す同一労働同一賃金、一億総活躍社会の実現には足枷になるんだろうな、きっと。明らかに矛盾する制度だからね」
「国会で取り上げるようなことでないけれど、学歴社会の固定化にはテレビ局の無責任な番組の影響も大きいと思うんだけどな」
アップルパイを切り分け、ひと通り“キョーイチ”のコーヒーを淹れ終わった恭一も言いたいことがあるらしい。
「テレビ局にも責任があるの?」
千穂が首を
「最近のクイズ番組。どの局も同じタレントや文化人が顔を揃える金太郎飴みたいなのが多いだろ。例えば、判で押したように定番の東大対京大の対抗戦。私立だったら早稲田対慶応。俺たちの頃だったらV.S.O.Pってヤツ」
「V.S.O.P? DAIGOのDAI語ですか。私、そういうの苦手なんだよなぁ」
千穂が、幹太なら解けるんじゃないかと救いを求める。
「U.S.O.Pだったら錦織圭が準優勝したテニスの四大大会のU.Sオープンで正解だと思うんだけどな」
「DAI語とはちょっと違う。れっきとした英語の略だ。もちろん、U.Sオープンでもウインブルドンでもない。もちろん、ブランデーでもない。ベリー・スペシャル・ワン・パターン。典型的なステレオタイプの分類さ。番組制作者の貧困な発想が原因か、知名度や偏差値が高いと視聴率が取れるからなのか、分らないけれどね」
大宮幹太のボケをサラリとかわした恭一の言葉に横須賀が付け加える。
「そういうことだ。知らないうちにそうした間違った感覚、先入観が刷り込まれていくもんだから始末が悪い。子供には、大学って東大、京大、早稲田、慶応しかないように映ってしまう。テレビ局の制作関係者にはきちんとした責任と自覚を持ってもらわないとな。V.S.O.Pにならないように」
横須賀は皮肉交じりに微笑んだ。出身大学対抗戦スタイルの他、最近はズバリ「東大王」と銘打った番組も登場した。どういう趣旨なのか、番組制作の意図が横須賀には理解できない。
「結局、視聴率なんだろうな。自分の子供をできることなら東大に入れたいと思う親にとって、東大生の生態が垣間見れる場所かもしれないしな」
恭一は、目を“ハート型”にして羨ましそうに画面に食い入る母親層の姿を想像した。
「番組のコスパもいいんだろう。ギャラが高いタレントや売れっ子のお笑い芸人をブッキングするよりも、時間の余裕のある大学生をバイト感覚で起用する方がカネも手間もかからないからな」
恭一に刺激されて、横須賀の本音が飛び出した。
「東大対京大だけじゃなく、阪大対北大とか、名大対東北大とかもね」
「一橋大対九州大とか、私立だって上智大対同志社大とか駒沢大対東洋大とか」
V.S.O.Pに反応して、次々に声が上がる。
「愛香、それじゃクイズじゃなくて駅伝みたい。私は高校野球みたいに全国の国公立、私立が混ざっても面白いと思うんだけどな」
愛香の脇を小突きながら千穂。
「そういう柔軟な発想が必要なんだよ、本当は。知名度やイメージのせいにして多くの大学を取り上げないのは、国の地方創生にも反しているんじゃないかな。東京一極集中をさらに加速する。総理風に言えば、間違いなくレッテル貼り」
「レッテル貼り、レッテル貼り」
幹太も愛香も本気で言っているわけではないが、俯瞰で見れば間違ってはいない。
「確かに東大、京大じゃなかったら大学じゃない、みたいな偏った取り上げ方は問題大アリね。官僚みたい。それに、大卒ばっかりっていうのも、やっぱりダメ」
黙って聞き役に回っていたが、広海もこういう話題は大好物だ。
「そうだな。でも、テレビ局の中にも、そうした意識の偏りがあるんだよ。官僚みたいに。無意識になんだろうけど、余計に罪だよね。無意識だから自覚がない。自覚がないから直らない。不偏不党は報道番組だけじゃなく、バラエティ番組にも必要だ。学歴偏重の蔓延は子供に与える影響大だからな」
テレビを語る横須賀は珍しい。どんなテレビ観なのだろう。広海は興味を持った。
「賛成」
「BPOに言いつけちゃおうかな」
「モンスター・クレイマーだ」
テレビを取り巻く状況には、みんな敏感だ。反応も早いし、すぐに笑いに変えてしまうセンスもイマドキの若者なんだろう。横須賀は、1年前の教室のフランクな雰囲気と重ね合わせていた。
「クイズに出題される内容も学校で習う試験問題みたいな類の難問が多い。だから、学校で優等生だった彼らにとっては楽勝なのよね。傾向と対策が立てやすいしね」
そういう千穂もきっと得意な出題形式でしょ、と広海は心の中で密かに思った。
「鋭い指摘だね。○○高校の入試問題とか堂々とやってるもんな。ってことは、世の有名中学や高校、大学の入試問題の多くは“クイズ”って言っても言い過ぎじゃない。今度から入学試験じゃなく、入学クイズって呼ぼうか。話題の民間の参入も民間英語クイズとか」
と幹太。横で聞いていた横須賀も苦笑いして見ている。でも、批判する一方で、クイズ番組を見ながら得意そうに答える幹太の一面を広海は知っていた。
「ハプニングもあまり期待できないし、よく考えたら東大が勝っても京大が勝っても別に何ともないんだけどね。対面を気にするのは当事者の彼らだけだしね」
テレビ好きの愛香だが、意外に醒めている。
「そんなの関係ねぇ、って感じ。そういえば、小島よしおも早稲田出身か」
ひとりボケツッコミは幹太。
「教科書的な知識じゃなくて、判断力とか頭の回転の速さを競うような問題で、平均的な偏差値のチームがチョー偏差値の高い大学を負かすような下克上を見てみたいんだけどな、私」
愛香は
「私も」
「でもさ、判断力にも潜在的な学力が影響するわけ。だから
的確な判断に、豊富な知識や学力が必要なことを幹太は経験的に知っている。
「企業の採用担当者や幹部の大学を見る目にも影響するよね、こういう番組」
「影響あるある、だな。テレビに出ている彼らはちょっとした有名人だからな」
千穂の意見に横須賀が呟く。だが、あるあるの使い方を間違えている。広海は横須賀にツッコむのを止めて矛先をテレビ局に向けた。
「ホントにマスコミの罪ね」
広海たちの行動が少し気になって「じゃまあいいか」にやって来た横須賀ではあったが、不安は杞憂だった。思った以上に社会のことを勉強し、自分の意見を持っている教え子たちに少し頼もしさも感じた。一方、脱サラして久しい恭一にとっては、学歴社会も雇用機会均等法も、もはやあまり関心のない話題だ。むしろ、農作物や食料品の価格、それに品質を左右すると思われるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉の推移や消費増税と軽減税率の行方の方が、小さな喫茶店のオーナーとしては気になるテーマだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます