第9話 総理も官僚も、大卒しか見ていない
「ホットコーヒー。あっ、いつものアップルパイも」
カウンターの一番奥の席に腰を下ろした横須賀貢はオーダーを済ませると、小笠原広海たちの方に向き直った。
「そんなに身構えるなよ。ここは教室じゃないし、第一オレはもう元担任でしかない。何だ何だ、この空気感は。こっちが息苦しくなるじゃないか。喫茶店でリラックスできないなんて『あ~、なんて日だ!』」
横須賀は意識してバイきんぐの小峠ネタを真似てみる。“お笑い”の“沸点が低い”教室なら“鉄板”ネタだが、広海たちの前では100パーセントの空振りに終わった。
「ただの息抜きだよ。気分転換に
広海たちの警戒心を解くように横須賀は微笑んだ。どうやらウソはないようだ。
「本当に生活指導とかじゃないんですね」
千穂が横須賀と視線を合わせる。
「だから、もう君たちの担任からは解放された立場だ。何言ってるか分からない。授業の準備に部活の顧問。進路相談や大学の研究。生徒に愚痴は
もちろん冗談のつもりだ。学校で見せる顔とは違った表情の横須賀がいた。
「分りました。『まだ』っていうのが引っ掛かりますが、んじゃまあいいか。コーヒーブレイクということで」
幹太が皆をリラックスさせるように、店の名を冗談っぽく入れ込みながら横須賀を勉強会に招き入れた。全員が飲み物をオーダーする。横須賀が広海たち全員分のアップルパイを追加で注文した。
千穂が横須賀に、税金を原資とする給付型奨学金の問題点と民間による代替案、現実味のない一億総活躍社会構想など、ここまでの勉強会の流れをムダなく、かいつまんで説明した。
「たった4人で独占するにはもったいないテーマだな。ホームルームで提案してほしかった内容だ。ついでに、あの校長やあの教頭にも聞かせたいな」
と横須賀。素直な感想だった。名前を挙げたのは、高校時代の広海たちの行動を煙たく思っていた藤沢校長と伊豆田教頭のことだった。
「総理の掲げる一億総活躍社会。確かに耳障りは良いが、具体的な政策が提示できるのかどうか。これまでの制度の見直しも必要になるだろうし、既得権者の抵抗も予想されるだろうしなぁ。聞いたことあるだろ、抵抗勢力ってヤツ」
横須賀の言葉に、幹太は頭の中で整理した考えに自信を見せる。心なしか、さっきまでより声が大きく聞こえる。
「そうですよね。女性の管理職登用だってそう簡単にはいかないと思うんです。実際、結婚や出産のために既に職場を退職した中高年の女性も多いし、子育てや介護などで勤めていた会社を辞めるのも、比率で見れば男よりも女の方が圧倒的に多いわけで。要は働く男女の比率自体、男性中心社会なわけだから、今になって急に女性の登用を図ろうって言っても無理があるんですよ」
「確かに。国は学校現場や官公庁で女性を登用するようにして、民間の取り組みを促そうと躍起になっているよな。プレッシャーを与えているわけだ。『国はここまでやってますよ』ってな。政府は閣僚や党の主要ポストに女性議員を抜擢して本気度を見せているつもりだけど、そんな分り易いパフォーマンスは魂胆が見え見えで、どのくらい効果があるか
横須賀も卒業生相手にリラックスしているのか、言葉を選んで話している感じではない。素のミツグ君はこんなんだろうか、広海には新鮮だった。
「確かにそうなんだけど、私たち女性からすれば、そうした動きが全然ないよりはマシかな。女性の管理職登用の推進なんて、本当は男女機会均等法を作った時に同時にやらなきゃいけなかったことよね。『今更何よ』っていう気持ちもないわけじゃないけど、こうした取り組みっていっつも尻すぼみで終わってしまうでしょ。ちゃんと継続して欲しいわね」
「右に同じ」
「オレさ、時には“ゲタ”を履かせてもいいと思うんだ。野球で4番打者ばかり並べても、いつの間にか平凡な打線になってしまう。逆にちょっと力のある7番打者を4番に抜擢すると、案外4番の活躍をすることもあるんだ。プロでもね」
幹太は野球経験者らしく、あるプロ野球の球団を例に例えた。
「ポストや役割が人を育てるって例だな、“豚もおだてりゃ木に登る”」
「先生、飛ばない豚は、ただの豚ですよ」
横須賀に幹太がかぶせてきた。
「却下ね、『紅の豚』のその喩え。豚に罪はないけど、女性は豚じゃないわ」
突然の元担任の参加にも気後れすることのない千穂のダメ出しに、広海もウンウンと大きく2回頷く。幹太は、しまったと頭を
「あのさ、同一労働同一賃金にしても女性管理職の登用にしても、一億総活躍社会をマジで実現するつもりなら、もっと大きな問題があるだろ」
「大きな問題って? また勿体つける」
「ヒントは漢字四文字」
「キター! 四字熟語」
愛香が素っ頓狂な声を上げた。
「学歴社会。一億総活躍っていうことは国民全体ってことだよね。だけど日本って、大卒とか高卒とかの最終学歴による待遇の違い、平たく言えば差別って言ってもいいくらいの壁が厳然としてあるわけじゃん。『バカの壁』じゃなくて“学歴の壁”。差別なんてありません、ってセンセーたちは言うけどさ」
幹太の指摘に、横須賀は恭一と視線を合わせ苦笑い。確かにホームルームで指摘されたら立場上、差別があるとは言えない。
「なるほど。政府もマスコミも言わないけれど、確かに差別はある。総理がお題目に掲げる同一労働同一賃金の一番のネックになるのも一般に大卒と高卒、中卒と区別される最終学歴による賃金格差かもしれない」
「じゃまいいか」の同じカウンターに並んだ元担任は、厳然と今ここにある差別を否定しなかった。
「結局のところ、議員や官僚が大卒だから、そもそも検討の対象にすらならないんじゃないかしら」
官僚たちが、自分たちと違う境遇の人間には考えが及ばないことを千穂は見抜いている。
「いろんな問題を考える時に作る有識者懇談会とか、第三者委員会もメンバーは大学教授とか、弁護士とか、有名企業の経営者ばっかり。いわゆる高学歴の人だけよね」
「しかも、総理や政府の息のかかった“お友達”ばっかりな」
広海も普段から思っていることを口にした。有識者懇談会とか第三者委員会っていうのは責任逃れに過ぎない。政府や省庁が当事者責任を曖昧にできる上に、ある種の“お墨付き”にもなるというわけだ。「おい、そこの当事者! もっとしっかりしろよ」と広海は思う。
「中には、オリンピックとか国際舞台で活躍したスポーツ選手とか作家とか文化人って呼ばれる人もいたりもするけど、どっちにしても人生の成功者だよね。大卒の経歴のない人って人口全体では結構多数を占めていると思うんだけど、物事を決める段階でそういう人がメンバーに入っていないのは私、大問題だと思うんだよね。物事を決める時の集まりとして果たして適当といえるかどうか」
元気な広海に押されるように、愛香にもエンジンが掛かってきた。
「面白い指摘だし、真っ当な意見だと思う。さっき言ってた男女雇用機会均等法だって、正しく機能しているかどうかは相当疑問だし」
活発な教え子の議論を横須賀も楽しんでいる。
「どういうことですか」
広海が身を乗り出して横須賀を見る。
男女雇用機会均等法は昭和55年(1980年)に施行された法律だ。文字通り、働く際の男女の差別をなくそうという趣旨の法律だが、適切に運用されているかといえばお寒い限りで、いわゆる“ザル法”になっている面も否定できない。法律違反にならない“抜け道”が多いからだ。一例を挙げれば、企業の求人。均等法の施行後は、特殊な業務を除き一般職の場合、男子だけ女子だけに限定した募集はできなくなった。求人する企業が男性社員の求人を希望していても、男子に限定した求人は違法となる。男女不問の求人をする結果、職を求めて女性が応募することもある。しかし、企業側は
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